篠永善雄
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篠永 善雄(しのなが よしお、1927年(昭和2年)9月9日[1][2] - 2012年(平成24年)2月23日[2])は、日本の政治家。愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)長。
来歴
愛媛県宇摩郡三島町(のち伊予三島市、現・四国中央市)出身。旧制愛媛県立三島中学校(現・愛媛県立三島高等学校)を経て[2]、明治学院大学経済学部に入学するが、中退する[1][2]。帰郷後は伊予三島市議会議員、同副議長、同議長となり[1][2]、1979年[注 1]、伊予三島市長に当選[1]、合併するまでの2004年まで市長を7期26年務めた。在任中、四国初の高速道路の建設、川之江三島バイパスの建設、富郷ダム建設等の実績を残したが、平成の大合併での新市名決定に関する発言[3]に対しては批判が多い(発言の内容については四国中央市を参照のこと。)。2012年、十二指腸癌のため死去[2]。死没日をもって従四位に叙される[4]。
栄典
脚注
注釈
- ^ 『現代物故者事典2012~2014』には「昭和56年(1981年)」と記載。
出典
参考文献
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。
- 『現代物故者事典 2012~2014』日外アソシエーツ、2015年。