竹内平吉

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竹内 平吉
生誕 (1887-09-06) 1887年9月6日
出身地 日本の旗 日本 静岡県
死没 (1972-04-14) 1972年4月14日(84歳没)
学歴 東京音楽学校卒業
ジャンル オペラ宝塚少女歌劇
職業 作曲家指揮者チェロ奏者
共同作業者 伊庭孝ほか
著名使用楽器
チェロ

竹内 平吉(たけうち へいきち、1887年明治20年)9月6日 - 1972年昭和47年)4月14日)は、日本の作曲家指揮者チェロ奏者帝国劇場附属洋楽部の初代楽長宝塚少女歌劇作曲家、指揮者。

人物・来歴[編集]

静岡県出身。1906年(明治39年)、静岡県立静岡中学校卒業[1]東京音楽学校卒業。チェロハインリヒ・ヴェルクマイスターに、音楽理論をアウグスト・ユンケルに学ぶ。1911年(明治44年)に新設された帝国劇場附属洋楽部の初代楽長として迎えられ、チェリスト、専任指揮者としてジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーとともに創成期のオペラ指導に尽力。1923年大正12年)に起きた関東大震災を機に宝塚少女歌劇に移り、指揮者を務める。同団では作曲家としても活躍、大正・昭和期の音楽劇の発展に力を注いだ。傍ら宝塚交響楽協会のチェリスト・指揮者としても活動。校歌・応援歌から神楽まで、幅広く作曲を手がけた。

作品[編集]

宝塚で作曲を担当した音楽劇[編集]

校歌・応援歌など[編集]

関連書籍[編集]

  • 『タカラヅカという夢』[2](第2部 タカラヅカとその時代(宝塚歌劇の作曲家竹内平吉について))田畑きよ子 青弓社 2014

関連項目[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 47頁。
  2. ^ タカラヅカという夢

外部リンク[編集]