立花宗鑑
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立花 宗鑑(たちばな むねあき、1937年〈昭和12年〉12月25日[1] - )は、日本の実業家[2]。
経歴
[編集]1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業[2]。
大学卒業後の同年に三井物産に入社[2]。重機械部にて、機械、プラント関連の業務に従事する[2]。1975年に豪州三井物産のシドニー、メルボルンの支店で機械関連の業務に従事[2]。1980年に本店業務部経営企画室に勤務[2]。1988年に日本ユニバックへ出向[2]。バロースとの合弁事業に携わる[2]。2001年6月に取締役、常務取締役関西支社長などを経て退任[2]。同年7月よりは日本ユニシスサプライ代表取締役社長に就任[2]。2004年に退任後は、財団法人軽井沢文化美術学院を立ち上げ、理事事務局長に就任、公益法人の認可を取得[2]。2013年には財団法人立花財団を設立、翌年に公益法人の認可を取得[2]。立花財団はかつての旧領の福岡県柳川市で立花家史料館を運営している[3]。
系譜
[編集]- 父:立花和雄(海軍大将・男爵島村速雄次男)[4]
- 母:立花文子(伯爵立花鑑徳の娘)[4]
- 妻:利根 - 西村伊作の孫、石田アヤの娘。文化学院副学長。
- 長男:立花宗和(日本航空パイロット、機長[5]を経て、執行役員運行本部長[6]。また、慶應義塾高等学校テニス部監督も務めている。)
- 姪:立花千月香 - 柳川藩主立花家の旧邸宅を利用した観光施設「御花」社長[7]
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.47
- ^ a b c d e f g h i j k l m “【S03】立花宗茂 その迷い無き生涯いかにして関ヶ原から20年を経て、旧領地へ奇跡の復活を遂げ得たのか”. 学習院さくらアカデミー. 2021年9月19日閲覧。
- ^ “立花家史料館が閉館の危機 コロナ禍で入場減、CF募る”. 朝日新聞. (2020年12月11日) 2021年9月19日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年、タ219頁。
- ^ “「パイロットはおもてなしの舞台装置をコントロールする側」 JAL A350運航乗員部長・立花機長に聞く”. Aviation Wire. (2019年8月26日) 2021年9月19日閲覧。
- ^ “執行役員体制”. 日本航空. 2021年9月19日閲覧。
- ^ 旧大名家 地域と歩む 旧藩主の遺産 読売新聞、2022/06/11