秦野町
はだのまち 秦野町 | |
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廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
合併 中郡秦野町、南秦野町、北秦野村、東秦野村→秦野市 |
現在の自治体 | 秦野市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 中郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
秦野町役場 | |
所在地 | 神奈川県中郡秦野町 |
座標 | 北緯35度22分29秒 東経139度13分12秒 / 北緯35.37481度 東経139.21994度座標: 北緯35度22分29秒 東経139度13分12秒 / 北緯35.37481度 東経139.21994度 |
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秦野町(はだのまち、はたのまち)は、神奈川県中郡にかつてあった町である。
1955年1月1日に南秦野町、北秦野村、東秦野村と合併し秦野市になった。
歴史[編集]
- 1869年 - 竜門寺に修身館開学(現在の秦野市立本町小学校)。
- 1889年4月1日 - 明治22年町村制が施行。曽屋村(十日市場含む)、上大槻村、下大槻村飛地、名古木村飛地を分合し大住郡秦野町となった。
- 1890年 - 曽屋水道竣工、配水開始。(土管による近代上水道)
- 1896年4月1日 - 大住郡と淘綾郡が合併し中郡秦野町となる[1]。
- 1897年1月 - 曽屋に秦野葉煙草専売所設置。
- 1903年 - 煙草専売法公布。
- 1906年 - 二宮駅から秦野駅を結ぶ湘南馬車鉄道開通。
- 1916年 - 町営電気事業開始(南秦野村、西秦野村の一部にも送電)
- 1927年 - 小田急電鉄開通。
- 1942年 - 町営電気事業の設備を関東配電株式会社に出資、町営電気事業に終止符。
- 1955年1月1日 - 合併により秦野市となる。同時に中郡から離脱。
歴代首長[編集]
代 | 氏名 | 在任期間 |
1 | 村上長兵衛 | 1889年(明治22年) - 1893年(明治26年) |
2 | 佐藤政吉 | 1893年(明治26年) - 1897年(明治30年) |
3-8 | 大野与五右衛門 | 1897年(明治30年)-1920年(大正9年) |
9 | 安藤奏太朗 | 1920年(大正9年)-1923年(大正12年) |
10 | 佐野義職 | 1923年(大正12年)-1925年(大正14年) |
11 | 西海惣兵衛 | 1925年(大正14年)-1926年(大正15年) |
12 | 平野儀三郎 | 1926年(大正15年)-1930年(昭和5年) |
13 | 梶山久次郎 | 1931年(昭和6年)-1935年(昭和10年) |
14 | 関野顕治 | 1935年(昭和10年)-1935年(昭和10年) |
15 | 石井兵助 | 1936年(昭和11年)-1938年(昭和13年) |
16 | 杉山茂 | 1939年(昭和14年)-1940年(昭和15年) |
17 | 木村淳 | 1941年(昭和16年)-1944年(昭和19年) |
18 | 高橋角蔵 | 1944年(昭和19年)-1946年(昭和21年) |
19 | 北村寅之助 | 1946年(昭和21年)- 1947年(昭和22年) |
20 | 望月永三郎 | 1947年(昭和22年)- 1947年(昭和22年) |
21, 22 | 中村新治 | 1948年(昭和23年) - 1953年(昭和29年) |
この節、「いしずえ」(秦野市史編纂室)[2]および「神奈川県町村合併誌」(神奈川県)[3]を参考にした。
電気[編集]
秦野町の電気事業者は当初秦野電気合資会社(1909年事業開始)[4]であったが1916年(大正5年)6月事業譲渡を受け町営にかわった。発電所はもたず富士瓦斯紡績会社より受電していた[5]。
廃止後[編集]
現在の秦野市の地域区分では本町地区と区分される。住所としては「秦野市上大槻」「秦野市曽屋」など大字名が使われるほか、旧曽屋村地域では、住所表示の分割により、「秦野市文京町」「秦野市末広町」などの新地名も用いられる。
脚注[編集]
- ^ 1896年(明治29年)3月26日法律第19号『神奈川縣下郡廢置法律』。ウィキソースより閲覧。
- ^ 秦野市市史編さん室『いしずゑ』秦野市、1985年。
- ^ 神奈川県『神奈川県町村合併誌 下巻』神奈川県、1959年、110-111頁。 NCID BN10336364 。
- ^ 『電気事業要覧. 第〔6〕回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『電気事業要覧. 第9回』(国立国会図書館デジタルコレクション)