福田辰五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福田辰五郎

福田 辰五郎(ふくだ たつごろう、明治2年10月1日[1]1869年11月4日) - 大正7年(1918年8月5日[2])は、衆議院議員(維新会→新政会)、弁護士。旧姓・丸山。

経歴[編集]

武蔵国入間郡南畑村(現在の埼玉県富士見市)出身。自由民権運動活動家で埼玉県会議員・衆議院議員の福田久松の養子となる。1890年(明治23年)、東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業し、翌年には東京法学院(現在の中央大学)を卒業。高等文官試験に合格して、前橋地方裁判所検事に任命された。1894年(明治27年)、横浜地方裁判所上席検事に昇進した。1898年(明治31年)、司法大臣曾禰荒助の勧めでアメリカ合衆国に留学した。アメリカではイェール大学コロンビア大学で学び、博士号を取得した[3]1902年(明治35年)に帰国した後は、官を辞して弁護士を開業した。

1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。

脚注[編集]

  1. ^ 漆崎多四郎『貴衆両院議員名鑑』、1919年、p.7。
  2. ^ 『官報』第1805号、大正7年8月8日
  3. ^ 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』、1936年

参考文献[編集]

  • 岸上克己『埼玉壱百人』埼玉通信社、1917年。