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礼氏夫人

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礼氏夫人
各種表記
ハングル 예씨부인
漢字 礼氏夫人
日本語読み: れいしふじん
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礼氏夫人(れいしふじん、朝鮮語: 예씨부인生没年不詳)は、高句麗を建国した朱蒙北夫余時代高句麗王瑠璃明王母親[1]北夫余人

人物

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礼氏夫人は、朱蒙北夫余時代の妻である。紀元前37年朱蒙が北夫余から脱出した。紀元前19年、朱蒙の北夫余時代の妻である礼氏夫人と彼女の生んだ息子の類利(後の瑠璃明王)が朱蒙のもとにあらわれる[1]。喜んだ朱蒙は礼氏夫人の生んだ類利を自らの後継者に指名し、礼氏夫人を第1夫人、朱蒙が北夫余脱出後に結婚した夫余人召西奴を第2夫人とした[1]

家族

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脚注

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