石谷清候

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石谷清候
時代 江戸時代
生誕 宝永5年(1708年
死没 享保20年10月27日1735年12月11日
別名 七十郎、七之助
戒名 了輝
幕府 江戸幕府
氏族 石谷氏
父母 父:石谷清職
兄弟 石谷清胤、女子(堀利安の養女)、石谷清候、女子(松平親元の妻)
養子:石谷清馨
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石谷 清候(いしがや きよとも)は、江戸時代旗本

生涯[編集]

兄の石谷清胤が早死にしたため、享保14年(1729年)12月2日、その跡を継ぐ。享保15年(1730年)4月1日徳川吉宗に拝謁する。享保20年(1735年)7月12日、御小姓組に所属したが、同年死す。 跡は、一族で700石旗本の石谷清夤の息子である、石谷清馨が継いだ。

なお、石谷清候については父の石谷清職が永井氏からの養子で、母親が不明なため石谷氏の血を引いているかは不明。

参考文献[編集]