石谷清胤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石谷清胤
時代 江戸時代
生誕 元禄9年(1696年
死没 享保14年9月24日1729年10月16日
別名 友之助
戒名 自性
幕府 江戸幕府
氏族 石谷氏
父母 父:石谷清職、母:石谷清信の娘
兄弟 石谷清胤、女子(堀利安の養女)、石谷清候、女子(松平親元の妻)
倉橋内匠助久富の娘
養子:石谷清候
テンプレートを表示

石谷 清胤(いしがや きよたね)は、江戸時代旗本

生涯[編集]

宝永6年(1709年)9月28日、徳川家宣に拝謁する。享保6年(1721年)11月28日に父である石谷清職の跡を継ぐ。享保9年(1724年)10月9日、御書院の番士となる。清胤の死後は弟の石谷清候が跡を継いだ。

参考文献[編集]