石原三起子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

石原 三起子(いしはら みきこ、1909年(明治42年)3月3日 - 1999年(平成11年))は元福島県教育委員会委員長。観世流名誉師範。夫石原幹市郎自治大臣福島県知事を務めた。元衆議院議員、元参議院議員石原健太郎の母。父井上孝哉は戦前の内務次官、衆議院議員、各府県知事を歴任。

略歴[編集]

  • 1909年(明治42年)3月3日 井上孝哉、八重子の三女として山口県豊浦郡長府町(現在の下関市)で生まれる。
  • 1922年(大正11年) イギリスの皇太子(のちのエドワード8世)の日本訪問に際し、花束を贈呈する
  • 1928年(昭和3年) 府立三女高等科国文科卒業
  • 1928年(昭和3年) 東京音楽学校ピアノ選科ピアノ科卒業
  • 1931年(昭和6年) 石原幹市郎と結婚
  • 1948年(昭和23年) 第一回福島県教育委員選挙当選。以降1956年(昭和31年)まで公選の教育委員として委員長、副委員長を歴任
  • 1954年(昭和29年) 福島地方裁判所、家庭裁判所調停委員、調停員在任中に福島県調停協会長などを歴任
  • 1954年(昭和29年) 財団法人福島県婦人会館理事長
  • 1958年(昭和33年) 第28回衆議院議員総選挙自民党から出馬、落選
  • 1963年(昭和38年) 結社「河」の那須大会において第一席を得る
  • 1965年(昭和40年) 観世流名誉師範、観世流の普及にも力を尽くし、福島県三曲連盟会長などを歴任
  • 1975年(昭和50年) 「河」同人会長
  • 1989年(平成元年) すべての役職を辞し、後進に道を譲る
  • 1999年(平成11年) 没

衆議院議員選挙出馬[編集]

1958年5月22日投開票の第28回衆議院議員総選挙に、石原幹市郎が所属した派閥の領袖大野伴睦より勧められ、衆議院議員選挙福島1区に出馬を決意、立候補するが次点に終わる。この選挙には同じく新人の天野光晴が、前福島県知事の大竹作摩の支援を受け、河野派から出馬当選している。石原三起子の衆議院議員選挙の出馬・落選により、福島1区での石原幹市郎の基盤に陰りが生じ、参議院議員選挙落選へとつながっていく。

受賞歴[編集]

  • 1959年(昭和34年) 社会教育功労者全国表彰
  • 1972年(昭和47年) 第25回福島県文学賞 句集の部 準賞

関連人物[編集]