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石井太吉

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石井太吉

石井 太吉(いしい たきち、1880年3月21日[1] - 1966年2月16日[2])は、日本発明家実業家。旧姓は内田[3]

経歴

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神奈川県横浜市出身[4]。内田峰吉の長男として生まれる[3]。その後、石井長吉の養子となる[3]

1900年(明治33年)に東京・月島に石井鐵工所を創業した[5]。1902年に工手学校(現・工学院大学)を卒業[1]。1908年に石井家の家督を相続した[3]

1919年(大正8年)に株式会社石井鐵工所を設立した[4][5]

起重機製造株式会社取締役、高岡瓦斯株式会社社長、東洋酸素(現・日本酸素ホールディングス)取締役、箱根水田取締役、月島衛生取締役、伊東瓦斯取締役などを務めた[4]

1936年に紺綬褒章、1944年に緑綬褒章、1958年に紫綬褒章を受章[1]

1966年2月16日、脳血栓のため慶應義塾大学病院で死去[2]

特許

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出典

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  1. ^ a b c 『人事興信録 第20版 上』(人事興信所、1959年)い91頁
  2. ^ a b 『日本瓦斯協会誌』第19巻第3号(日本瓦斯協会、1966年3月)p.38
  3. ^ a b c d 石井太吉 - 『人事興信録』第8版(1928年7月、リンク先は名古屋大学大学院法学研究科の「人事興信録データベース」)
  4. ^ a b c 大阪発明協会(編)『帝国発明家名鑑 日刊工業新聞出版部、1937年、p.39(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b 株式会社石井鐵工所 沿革