矢吹光頼

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矢吹光頼
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
官位 薩摩守
主君 石川昭光伊達氏
氏族 矢吹氏
父母 父:矢吹行重
兄弟 光頼野内光房
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矢吹 光頼(やぶき みつより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将陸奥石川氏の家臣。

略歴[編集]

矢吹行重の子として誕生。矢吹氏は陸奥石川氏の一門で袖ヶ城を居城とした。

光頼は石川昭光家老を務めたといわれる。天正5年(1577年)4月、石川氏の一族・浅川義純佐竹氏に反逆するが失敗し、居城の浅川城を追われたため、浅川城は昭光に預けられ、城代として光頼が入った。天正10年(1582年)頃には浅川義純・豊純父子が浅川城に復帰している。

天正17年(1589年)10月の伊達政宗による二階堂氏攻略の際には、石川昭光と共に須賀川城攻めに協力し、落城後は昭光が須賀川城主となり、城代として光頼が須賀川城に入城した。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐が起こると、その後の奥州仕置により、主家の石川氏は改易とされ、矢吹氏は伊達氏に従って角田へ移ったという。