盧玄

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盧 玄(ろ げん、生没年不詳)は、北魏学者官僚は子真。本貫范陽郡涿県

経歴[編集]

後燕范陽郡太守の盧邈(盧諶の子の盧偃の子)の子として生まれた。431年神䴥4年)、儒者の俊英として崔綽李霊・邢穎・高允游雅張偉らとともに北魏の太武帝のもとに召され、盧玄はその筆頭とされ、中書博士に任じられた。盧玄の外兄にあたる崔浩は、盧玄と語り合うたびに懐古の情を呼び起こした。崔浩が姓族の分定を計画していたため、盧玄は時機をみて再考するよう勧めたが、崔浩は聞き入れず身を滅ぼした。後に盧玄は固安子の爵位を受けた。433年延和2年)、寧朔将軍兼散騎常侍に転じ、南朝宋に対する使者として立った。文帝と面会して語り合い、文帝に「中郎、卿の曾祖なり」と感心された。帰国すると、後に病没した。平東将軍・幽州刺史の位を追贈され、固安侯に追封され、は宣といった。

5人の男子があり、盧度世の名が知られた。

伝記資料[編集]