生田万の乱

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生田万の乱(いくたよろずのらん)は、天保8年(1837年6月国学者生田万越後国柏崎で貧民救済のため蜂起した事件。天保の大飢饉大塩平八郎の乱の余波。

天保年間は大飢饉により多数の餓死者を出していたが、そのような状況にあっても豪商や代官役人は結託して米を買い占める不正を働き、米価は暴騰して庶民生活を圧迫していた。柏崎へ移り住んでいた生田万は、大塩平八郎の乱の影響を受け大塩門弟と称し、救民の名の下に柏崎代官所を数名の手勢と襲撃したが[1]、首謀者の生田が負傷して自刃したため鎮圧された。騒動の翌日より、米価は値下がりしはじめた(暴落したともいわれている)。

先の大塩平八郎の乱と共に幕府権威の失墜を示す事件であり、幕府天保の改革により巻き返しを図ることになる。

出典[編集]

  1. ^ 『詳説日本史研究』山川出版社 298頁