琉球少年院脱走事件
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この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2014年3月) |
琉球少年院脱走事件(りゅうきゅうしょうねんいんだっそうじけん)とは、1960年代にアメリカ占領下の沖縄のコザ市(現沖縄市)の琉球少年院(現沖縄少年院・沖縄女子学園)で続発した集団脱走事件の総称である。
1961年1月、琉球政府法務局によって琉球少年院が開院した。しかし本土の少年院とは異なり、男女一緒で(一応別棟ではあるが)、犯罪傾向の異なる少年を一緒くたに収容したため、逆に収容少年の非行化が促進されるなど、矯正施設としての体を成していなかった。
そのため、開院当初から脱走が日常茶飯事となっていた。1963年4月12日の43人集団脱走を始め、多くの脱走事件を続発させた。そのたびに脱走少年による強盗事件が発生するなど、治安悪化が懸念された。
復帰により、法務省福岡矯正管区に移管されたことで漸く正常化された。