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  • ^ 『薩藩海軍史(中巻)』p.491 ^ 『薩藩海軍史(中巻)』p.491 ^ 『元帥公爵大山巌』pp.128-129 ^ 『藩海軍史(中巻)』p.491 ^ 『元帥公爵大山巌』p.128 ^ a b 『元帥公爵大山巌』pp.129-130 ^ 『元帥公爵大山巌』p.132 ^ 『藩海軍史(中巻)』p…
    42キロバイト (5,908 語) - 2024年6月1日 (土) 13:21
  • 乾行 (砲艦)のサムネイル
    乾行 (砲艦) (カテゴリ 薩摩藩海軍の艦船)
    2012年3月20日閲覧。 ^ a b c d e #薩藩海軍史(下)p.1169 ^ a b c d e #薩藩海軍史(下)p.1170 ^ #薩藩海軍史(下)pp.1170-1171 ^ a b c d e f #薩藩海軍史(下)p.1171 ^ a b c d e #薩藩海軍史(下)p.1172 ^…
    27キロバイト (3,776 語) - 2024年5月15日 (水) 13:56
  • 孟春 (砲艦)のサムネイル
    孟春 (砲艦) (カテゴリ 佐賀藩海軍の艦船)
    機関史 1975上巻p.467(経歴) ^ a b c d e 佐賀藩海軍史 1972, pp. 256–257. ^ 『佐賀藩海軍史』256ページ ^ 『佐賀戊辰戦史』350-351、621ページ ^ #M3公文類纂9/孟春艦品へ回着画像1 ^ #M4公文類纂26/孟春丸献納の件画像1-2 ^…
    37キロバイト (4,691 語) - 2024年4月26日 (金) 12:52
  • 島津久治のサムネイル
    島津久治 (カテゴリ 薩摩藩海軍の人物)
    督を相続した。また、久宝の娘と結婚する。 文政2年(1855年)に海防総頭取に任命され、薩摩の沿岸防衛の要を務める。文久3年(1863年)の薩英戦争勃発に際して実兄の茂久(のちの忠義)の代理として薩摩藩海軍の指揮を執る。元治元年(1864年)、禁門の変でも茂久の代理として皇居警衛総督、同年12月…
    5キロバイト (680 語) - 2023年3月31日 (金) 13:16
  • 佐賀藩のサムネイル
    村川浩平「肥前佐賀、鍋島氏への松平氏下賜」『駒沢史学』87号、2017年 『さが維新前夜』 佐賀新聞プランニング、2018年 ISBN 978-4882982296 佐賀藩海軍史(秀島成忠、1917年) - Google ブックス 旧佐賀の均田制度(小野武夫、1928年) - Google ブックス 佐賀銃砲沿革史(肥前史談会、1934年)…
    35キロバイト (4,952 語) - 2024年5月15日 (水) 10:53
  • 三重津海軍所のサムネイル
    三重津海軍所 (カテゴリ 佐賀藩海軍)
    窯」(鍋島焼)等に類例が散見(有田陶磁美術館,田中丸コレクション,佐賀県立九州陶磁文化館等で所蔵)されるのみである。海軍所ではこの「灘越蝶文」を描いた椀や皿等が多数出土していることから、「蝶が波濤を越え飛翔する姿」(「灘越蝶文」)に激動期に設立した藩海
    22キロバイト (3,632 語) - 2024年4月15日 (月) 07:56
  • 白州灯台のサムネイル
    白州灯台 (カテゴリ 小倉)
    km)にある岩礁「白州」(白洲)に立つ上部鉄造・下部石造の灯台。 関門海峡北側の浅瀬・暗礁の多いこの地帯では江戸時代から海難事故が頻発していた。幕末の文久年間に小倉藩海上御用掛難破船支配役に任命されていた豊前国企救郡長浜浦(現在の北九州市小倉北区長浜町)の庄屋であった岩松助左衛門が灯台の建設を決意し、独力で建設に着…
    4キロバイト (377 語) - 2022年5月4日 (水) 23:22
  • 藩海部郡久土村(現・大分市)では、万治3年から寛文9年(1669年)までに156人が、葛木郡では154人が捕縛され、46人が死罪となった。熊本大分郡鵜猟河瀬村(大分市)の喜左衛門は実の母を訴えて懸賞金30枚(銀1貫290匁)を受け取り、臼杵藩海
    9キロバイト (1,450 語) - 2023年10月10日 (火) 06:04
  • 伴正順のサムネイル
    伴正順 (カテゴリ 幕末土佐の人物)
    ID 130007531232)174頁。 ^ 「十三大藩海外視察団の性格 : 体制再変革への始動」(犬塚孝明著 『明治維新対外関係史研究』 吉川弘文館、1987年7月、ISBN 4642035990)247-254頁。 ^ 前掲 「十三大藩海外視察団の性格」 262頁、266-269頁。 ^ 川田、214頁。…
    12キロバイト (1,638 語) - 2023年8月4日 (金) 09:05
  • 電流丸 (カテゴリ 佐賀藩海軍の艦船)
    ^ a b c d #佐賀藩海軍史(1972)pp.248-249 ^ a b c d #日本近世造船史明治(1973)p.128 ^ a b c d e f g #佐賀藩海軍史(1972)pp.249-251、諸行動 ^ a b c d e f #M3公文類纂8/諸艦船有無届(8)画像60 ^…
    10キロバイト (1,178 語) - 2024年5月15日 (水) 13:51
  • 阿波国のサムネイル
    1582年:中富川の戦い、長宗我部元親(23,000) x 三好軍(十河存保等5,000) 1868年:阿波沖海戦、旧幕府海軍(榎本武揚:開陽丸) x 薩摩藩海軍(赤塚源六:春日丸、輸送船2隻) [脚注の使い方] ^ その郡の名は麻殖となり、さらに阿波忌部を分け東国に率いて房総の開拓をし、このため現在の徳島…
    19キロバイト (2,874 語) - 2024年6月17日 (月) 02:24
  • 石井忠亮のサムネイル
    石井忠亮 (カテゴリ 佐賀藩海軍の人物)
    元佐賀藩士で、中牟田倉之助らとともに営三重津海軍所の教官として勤務した。明治元年(1868年)3月に開催された、日本初の観艦式では、旗艦電流丸(佐賀)に座乗し、5隻とフランス海軍から派遣された1隻の計6隻からなる受閲艦隊の総指揮官を務めた。戊辰戦争では、政府軍に属して佐賀藩海
    5キロバイト (647 語) - 2021年4月4日 (日) 02:33
  • 生麦事件のサムネイル
    生麦事件 (カテゴリ 幕末の薩摩)
    も馬を飛ばし、神奈川にある当時、アメリカ領事館として使われていた本覚寺へ駆け込み助けを求め、ジェームス・カーティス・ヘボン博士の手当を受けた。 『薩藩海軍史』によれば、リチャードソンに最初の一撃をあびせたのは当番供頭・奈良原喜左衛門であり、さらに逃げる途中で鉄砲隊の久木村治休が抜き打ちに斬り上げ致命…
    32キロバイト (5,156 語) - 2024年5月15日 (水) 07:53
  • 凌風丸 (佐賀藩)のサムネイル
    佐賀市役所企画調整部世界遺産登録推進室推進係 ^ 秀島(1972年)、196-197頁。 ^ 秀島(1972年)、218頁。 秀島成忠 編『佐賀藩海軍史』知新会、1917年5月31日。NDLJP:942215。  秀島成忠 編『佐賀藩海軍史』(復刻)原書房〈明治百年史叢書〉、1972年。全国書誌番号:73008167。 …
    5キロバイト (663 語) - 2023年4月28日 (金) 16:35
  • 肥田浜五郎のサムネイル
    肥田浜五郎 (カテゴリ 静岡の人物)
    と会見している。1866年(慶応2年)軍艦役、1868年(慶応4年)、幕府海軍での最終階級となる軍艦頭に昇進し、富士山丸艦長を務めた。 維新後、静岡藩海軍学校頭となるが、1869年(明治2年)8月15日民部省出仕となり、以後新政府に仕える。工部少丞、次いで造船頭兼製作頭となり、岩倉使節団理事官として…
    12キロバイト (1,392 語) - 2024年5月25日 (土) 03:47
  • 観光丸のサムネイル
    ^ 『幕府海軍の興亡』73、82ページ ^ 『幕府海軍の興亡』73ページ ^ 『幕府海軍の興亡』83ページ ^ a b c #佐賀藩海軍史(1972)p.253 ^ 『幕府海軍の興亡』106-107ページ ^ 『幕府海軍の興亡』152-153ページ ^ a b 『幕府海軍の興亡』170ページ…
    13キロバイト (1,413 語) - 2024年4月24日 (水) 00:07
  • 中牟田倉之助のサムネイル
    中牟田倉之助 (カテゴリ 佐賀藩海軍の人物)
    佐賀藩主・鍋島直正の推薦で安政3年(1856年)、20歳で長崎海軍伝習所へ入所。1959年(安政6年)に伝習所が廃止されると帰し、三重津海軍所で佐賀藩海軍方助役を務めて海軍力の発展を促す。 文久2年(1862年)、高杉晋作、名倉松窓、五代友厚らとともに幕府使節随行員として幕府の千歳丸で上海を訪問する。…
    11キロバイト (1,105 語) - 2024年4月1日 (月) 21:54
  • 増田明道 (カテゴリ 佐賀藩海軍の人物)
    jp/info:ndljp/pid/845161。  ^ 『佐賀藩海軍史』, p. 118-121. ^ 『佐賀藩海軍史』, p. 145. ^ 『佐賀藩海軍史』, p. 180. ^ 『佐賀藩海軍史』, p. 185. ^ 『佐賀藩海軍史』, p. 224. ^ 太政官 編「卷三十二」『復古記』…
    12キロバイト (1,675 語) - 2024年5月14日 (火) 09:04
  • 日進 (スループ)のサムネイル
    日進 (スループ) (カテゴリ 佐賀藩海軍の艦船)
    藩海軍史』によると1869年4月12日が進水となっている。 (注)明治5年までは旧暦の日付とする。 明治3年 3月3日(1870年4月3日)長崎に回航し[要出典]、4月13日(1870年5月13日)佐賀が受領、「日進丸」と命名した。4月23日(1870年5月23日)佐賀
    58キロバイト (8,471 語) - 2024年6月15日 (土) 04:54
  • 同教団には、森らの勧めで、薩摩から新たな留学生たちも参加した(薩摩第二次米国留学生)。 薩藩海軍史にある名簿から本名(先頭のもの。その他は別名)、年齢、出国時の仮名/変名)、及びその他は以下の通り。海外渡航が禁じられていた時代であったため、家族に害が及ぶことを恐れて別名を使った。 「薩藩海軍史」 「薩摩英国留学生」犬塚孝明(中公新書、1974年)…
    12キロバイト (1,324 語) - 2023年12月11日 (月) 04:40
  • おつけ、又長崎でも 我々共ハ一戦争と存候 うち、又幕史ら金 出しなどして、私水夫 おつり出し候勢も あり候得共、中〻た のもしきもの計ニて 出行ものなし」今 御藩海軍を開キ 候得バ、此人数をうつ したれバと存候」 今朝伊予の大洲 より屋鋪にかけ合 がきて、水夫両三人、 蒸気方三人計も 当時の所、拝借とて 私し人数を屋鋪より五大才助
  • 翌年、一斉検地を行った。 いくつかのは、儒学や歴史学などを奨励した。水戸では藩主 徳川光圀(とくがわみつくに)らが、歴史書『大日本史』の編纂にとりかかった。岡山では池田光政、加賀では前田綱紀(まえだ つなのり)が、朱子学を奨励した。 1680年、家綱が死去し、弟の綱吉が5代将軍になった。
  • 道(ほっかいどう) 日本列島の主たる四島の一つ。またその周辺の島を含む地方自治体。道庁所在地は札幌市。この一道のみで北海道地方を構成する。また、気候帯は、冷帯(亜寒帯)に属する。太平洋・日本海・オホーツクに面し、津軽海峡を挟んで本州の北に位置する。古くは蝦夷(えぞ)と呼ばれアイヌ民族が居
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