清水久雄
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清水久雄 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府 |
生年月日 | 1936年12月23日(87歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
京都・美馬信次(1952年 - 1955年) 京都→栗東・増本勇(1955年 - 1974年) |
初免許年 | 1955年3月26日 |
免許区分 | 平地(初期には障害免許も保持) |
騎手引退日 | 1974年 |
重賞勝利 | 9勝 |
G1級勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 2926戦437勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1974年(1976年開業) |
調教師引退日 | 2006年 |
重賞勝利 | 9勝 |
G1級勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 5117戦331勝(中央のみ) |
経歴 | |
所属 | 栗東T.C.(1974年 - 2006年) |
清水 久雄(しみず ひさお、1936年12月23日 - )は、日本中央競馬会 (JRA)・栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手・元調教師。京都府出身。
経歴
[編集]1952年、京都競馬場・美馬信次厩舎に騎手候補生として入門し、3年後の1955年に騎手デビュー。しかし同年に増本勇厩舎に移籍し、以降引退まで増本厩舎所属の騎手として活動した[要出典]。
騎手として3年目の1957年には38勝(平地33勝・障害5勝)を記録し全国リーディング9位に食い込むと、その後も年間20勝前後をマークする中堅騎手として活躍[要出典]。
1966年の日本ダービーではテイトオーに騎乗。単勝12番人気という低評価を覆して優勝し、自身唯一となる八大競走制覇を果たした。尚、清水が日本ダービーに出場したのはこの年が唯一であった為、「ダービー勝率10割」という記録を持っている[要出典]。
騎手引退から2年後の1976年に厩舎を開業。1991年にはイソノルーブルでオークスを制した。また、1998年から管理したハートランドヒリュは2006年までに127回出走し、JRAにおけるサラ系馬の最多出走記録を更新した[要出典]。
健康上の理由から2006年2月に勇退[1]。その後は競馬予想会社「CHECKMATE」でアドバイザーとして活動している[要出典]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 415 | 405 | 373 | 1581 | 2774 | .150 | .296 |
障害 | 22 | 31 | 26 | 73 | 152 | .145 | .349 |
計 | 437 | 436 | 399 | 1654 | 2926 | .149 | .298 |
主な騎乗馬
[編集]- タカシオ(1957年タマツバキ記念(春)、タマツバキ記念(秋))
- メイジミドリ(1957年阪神3歳ステークス、1958年京都記念(秋))
- イーグル(1962年京都記念(秋))
- マスワカ(1964年阪神牝馬特別)
- テイトオー(1966年東京優駿)
- タマホープ(1970年京都杯、1971年鳴尾記念)
調教師成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 321 | 386 | 399 | 3927 | 5033 | .064 | .140 |
障害 | 10 | 5 | 8 | 61 | 84 | .119 | .179 |
計 | 331 | 391 | 407 | 3988 | 5117 | .065 | .141 |
主な管理馬
[編集]- テルノエイト(1978年北海道3歳ステークス、1979年シンザン記念、札幌記念、1980年阪急杯)
- アスコットエイト(1984年中日新聞杯)
- イソノルーブル(1990年ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス、1991年報知杯4歳牝馬特別、優駿牝馬)
- マキシムシャレード(1994年デイリー杯3歳ステークス)
主な厩舎所属者
[編集]※括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “清水久師が2月で勇退”. 日刊スポーツ (2006年1月22日). 2009年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月27日閲覧。