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  • 畠山氏のサムネイル
    畠山氏もあり、こちらも江戸時代の高家を経て維新後士族となった(こちらは畠山姓のまま)。 坂東八平氏の一族・秩父重弘の子である秩父重能が武蔵国男衾郡畠山郷(はたけやまごう、現在の埼玉県深谷市畠山周辺)に所領を得て畠山姓を称したことに始まる(平姓畠山家)。治承・寿永の乱において、その子畠山
    64キロバイト (8,886 語) - 2024年11月5日 (火) 13:56
  • 応(めいおう、(旧字体:明󠄁應)は、日本の元号の一つ。延徳の後、文亀の前。1492年から1501年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇、後柏原天皇。室町幕府の将軍は足利義材(義稙)、足利義澄。なお、それ以前に応仁の乱で西軍に擁立された後南朝の西陣南帝が、当初は「応」の年号を独自に制定していたことがある。…
    8キロバイト (666 語) - 2023年12月11日 (月) 20:08
  • 畠山和洋のサムネイル
    畠山 和洋(はたけやま かずひろ、1982年〈昭和57年〉9月13日 - )は、岩手県花巻市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)・元コーチ。 小学校から野球を始め、4年時には地元の少年団チームに加入した。当時は野球だけでなくバスケットボールなど他のスポーツも楽しんでいた。進学した花巻市立…
    36キロバイト (4,373 語) - 2024年7月24日 (水) 07:42
  • 畠山 尚順(はたけやま ひさのぶ / ひさより)は、戦国時代の武将、守護大名。室町幕府紀伊・河内・越中守護。足利氏の支流畠山氏出身で畠山氏の一派畠山尾州家の当主。また、正式な任官ではないものの、永正元年(1504年)に和泉国に侵攻し両守護(細川元有・細川基経)を敗死させた後は実質的に和泉国の守護として活動・認識されていた。…
    22キロバイト (3,661 語) - 2024年8月22日 (木) 11:11
  • 畠山鎮のサムネイル
    畠山 鎮(はたけやま まもる、1969年6月3日 - )は、将棋棋士。棋士番号は192。神奈川県出身。森安正幸七段門下。日本将棋連盟棋士会副会長(2017年2月 - ) 兄の畠山成幸とともに、将棋界唯一の双子棋士である。奨励会への入会は兄に1年遅れ、三段リーグ参加は1期遅れ(半年遅れ)であったが、…
    23キロバイト (2,010 語) - 2024年9月15日 (日) 10:28
  • 畠山 成幸(はたけやま なるゆき、1969年6月3日 - )は、将棋棋士。神奈川県出身。森安正幸七段門下。棋士番号は193。 小学4年から5年に上がる頃の1980年春、第5回小学生将棋名人戦で準優勝。 奨励会の頃に参加した第12回(1990年)「若駒戦」(非公式棋戦)で優勝。 弟の畠山
    17キロバイト (1,239 語) - 2024年9月15日 (日) 10:27
  • 畠山 麦(はたけやま ばく、1944年6月18日 - 1978年7月13日)は、日本の俳優。本名:畠山 昭夫(はたけやま あきお)。 長野県南佐久郡南牧村出身。早稲田大学中退。葦プロダクションに所属していた。 高校卒業後、早稲田大学を中退して陸上自衛隊に入隊。その後、俳優を志して数々のテレビドラマ…
    18キロバイト (2,292 語) - 2024年5月11日 (土) 09:02
  • 畠山 政長(はたけやま まさなが)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将・守護大名。室町幕府管領、河内・紀伊・越中・山城守護。足利氏の一門畠山氏の人物。妻は京極持清の娘。子に尚順(尚慶)。 お家騒動で従兄の畠山義就と争い、応仁の乱を引き起こした。 畠山持富の次男として誕生。政久(弥三郎)の弟。…
    16キロバイト (2,488 語) - 2024年5月29日 (水) 13:43
  • この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(ハートマーク)が含まれています(詳細)。 畠山 航輔(はたけやま こうすけ、1997年1月10日 - )は、日本の俳優、声優。ホリプロインターナショナル所属。 サンミュージック(傘下のサンミュージックアカデミー出身)を経てホリプロに…
    6キロバイト (476 語) - 2024年10月19日 (土) 09:55
  • 畠山義成のサムネイル
    畠山 義成(はたけやま よしなり、1842年10月(天保13年9月) - 1876年(明治9年)10月20日)は、明治時代初期の日本の文部官僚、教育者。旧薩摩藩士。通称・丈之助(たけのすけ)、号は純常。留学中の変名は杉浦 弘蔵(すぎうら こうぞう、Kozo Soogiwoora)。…
    21キロバイト (2,254 語) - 2024年10月27日 (日) 11:05
  • 仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。 干支 : 辛卯 日本 享禄4年 皇紀2191年 中国  : 嘉靖10年 朝鮮 李氏朝鮮 : 中宗26年 檀紀3864年 ベトナム 莫朝 : 大正2年 仏滅紀元 : 2073年 - 2074年 イスラム暦 :…
    5キロバイト (808 語) - 2019年10月6日 (日) 07:52
  • 小野寺稙道、戦国時代の出羽の戦国大名、小野寺氏の第12代当主(+ 1546年) 久我通言、戦国時代の公卿(+ 1543年) 徐愛、の陽明学者 (+ 1517年) 浪岡具永、戦国時代の武将(+ 1541年) 畠山義英、戦国時代の武将、畠山総州家の第4代当主(+ 1522年?) 北条氏綱、戦国時代の戦国大名、後北条氏の第2代当主(+ 1541年)…
    4キロバイト (796 語) - 2023年3月29日 (水) 03:52
  • 父の長年の政敵である畠山政長(尾州家)が一時管領を務めるなど、室町幕府の中枢にいたため、応2年(1493年)に10代将軍足利義材と政長を主力とした幕府軍の追討を受けた。だが、遠征直前の応元年(1492年)に義材・政長と対立していた管領細川政元と密約を結んでいたため、政元によるクーデター(
    5キロバイト (719 語) - 2023年4月7日 (金) 10:53
  • 戦国時代 (日本)のサムネイル
    畠山氏は、応仁・文明の乱以前から義就流と政長流に分かれて抗争状態にあった。細川政元が起こした応の政変により政長流の政長が敗死したが、嫡男の尚順は紀伊国に逃れて細川政元や義就流畠山氏と戦い続けた。永正元年(1504年)、尚順は義就流の畠山
    140キロバイト (24,235 語) - 2024年9月3日 (火) 17:07
  • 10月26日(弘治4年9月24日) - 正徳帝[要出典]、の第11代皇帝(+ 1521年) 12月24日 - イグナチオ・デ・ロヨラ、イエズス会初代総長(+ 1556年) 12月31日 - ジャック・カルティエ、探検家(+ 1557年) 浅井亮政、近江国の戦国大名(+ 1542年) 畠山義総、能登国の戦国大名(+ 1545年)…
    4キロバイト (766 語) - 2023年7月15日 (土) 00:14
  • 山名政豊、室町時代、戦国時代の守護大名(* 1441年) 3月20日(応8年1月30日) - 畠山義豊、室町時代、戦国時代の守護大名、戦国大名(* 1469年) 3月27日(応8年2月16日) - 杉武明、室町時代、戦国時代の武将(* 生年未詳) 5月5日(応8年3月25日) - 蓮如、室町時代、戦国時代の浄土真宗の僧、本願寺第8世(*…
    5キロバイト (835 語) - 2021年5月29日 (土) 12:03
  • 11月15日 - オットー5世、バイエルン公、ブランデンブルク選帝侯(* 1340年?) 11月21日(天授5年/康暦元年10月12日) - 畠山義深、南北朝時代の武将、畠山氏の第6代当主(* 1331年) ウィキメディア・コモンズには、1379年に関連するカテゴリがあります。 年の一覧 年表 年表一覧…
    3キロバイト (551 語) - 2022年11月1日 (火) 10:02
  • 応仁の乱のサムネイル
    室町幕府管領家の畠山氏と斯波氏それぞれの家督争いに端を発し、足利将軍家の後継者問題も絡んで幕政の中心であった細川勝元と山名宗全の二大有力守護大名の抗争となり、幕府勢力が東西に分かれて争い合う戦乱に発展、さらに各々の領国にも争いが拡大する大乱となった。 応2年(1493年)の応の政変と並んで戦国時代移行の原因とされる。…
    101キロバイト (16,426 語) - 2024年10月24日 (木) 12:50
  • 河内国のサムネイル
    - 畠山尚順 1517年 ~ 1534年 - 畠山稙長 1534年 ~ 1538年 - 畠山長経 1538年 ~ 1542年 - 畠山在氏・畠山政国 1542年 ~ 1545年 - 畠山稙長 1545年 ~ 畠山晴熙 1545年 ~ 1550年 - 畠山政国 1550年 ~ 1560年 - 畠山高政…
    28キロバイト (4,283 語) - 2024年10月8日 (火) 12:32
  • 畠山 政国(はたけやま まさくに)は、戦国時代の武将、大名。河内・紀伊・越中の守護である畠山尾州家の惣領名代。播磨守を称した。 畠山尚順の子として生まれる。『寛政重修諸家譜』では二男、「両畠山系図」では四男に位置付けられている。「両畠山系図」によると、政国は初め紀伊国宮原に住み、岩室城に在城したという。…
    8キロバイト (1,040 語) - 2024年3月16日 (土) 06:20
  • を除く旧字を新字に変換し、いくつかの異体字を常用漢字に変換している。 目次   足利季世記巻一 〈自長亨元年至応二年〉 号畠山記 常徳院殿(義尚)早世之御事 義澄公伊豆ヨリ上給フ事 畠山政長自害之事 義材公北国落之事 雪タヽキノ事 鳥屋打死之事   足利季世記巻二 〈自永正元年至同七六年十月〉 号舟岡記
  • 畠山(はたけやま)氏などの有力な守護大名が交代で管領に選ばれた。 また、関東には鎌倉府(かまくらふ)を置かれ、室町幕府による関東支配の拠点になった。関東府の長官には足利氏の一族がついた。 14世紀には中国で漢民族の帝国である
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