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'''池田 宗司'''(いけだ そうじ、[[1986年]][[12月22日]] - )は[[栃木県]][[矢板市]]出身の[[陸上競技]]選手。専門は中長距離種目。安沢小学校-片岡中学校-[[那須拓陽高等学校]]-[[駒澤大学]]法律学部法律学科-[[ヤクルト本社#陸上競技部|ヤクルト]]
'''池田 宗司'''(いけだ そうじ、[[1986年]][[12月22日]] - )は[[栃木県]][[矢板市]]出身の[[陸上競技]]選手。専門は中長距離種目。経歴は安沢小学校片岡中学校[[栃木県立那須拓陽高等学校|那須拓陽高等学校]][[駒澤大学]]法律学部法律学科[[ヤクルト本社#陸上競技部|ヤクルト]]


== 人物・来歴 ==
== 人物・来歴 ==
中学時代はサッカー部に在籍。高校時代から本格的に陸上始めた。高校時代は同学年の[[小野裕幸]]や、後に大学の後輩となる[[宇賀地強]]や[[深津卓也]]と競り合った事もある。2005年4月に駒澤大学に入学するが、1年時は故障に悩まされ箱根駅伝のメンバー入りは果たせなかった。2年時には[[10000メートル競走|10000m]]の自己ベストを更新し、全日本大学駅伝3区では区間2位の好走を見せたが、[[第83回東京箱根間往復大学駅伝競走|第83回箱根駅伝]]の1区では区間15位に終わった。3年時には全日本大学駅伝で2年連続で3区を走り区間賞を獲得し2008年[[第84回東京箱根間往復大学駅伝競走|第84回箱根駅伝]]で2年連続1区を担当、前回の借りを返す区間2位で駒澤大学の優勝に貢献した。年3月の第15回京都シティハーフマラソンでは優勝を果たした。4年時には陸上競技部主将を務めた。10月の出雲駅伝では4区を走り区間2位。2009年[[第85回東京箱根間往復大学駅伝競走|第85回箱根駅伝]]では9区区間3位となったが、チームは13位に敗れた。年3月の[[立川シティハーフマラソン]]では日本人トップとなる2位入賞を果たし、ユニバーシアード代表に選出された。
中学時代はサッカー部に在籍。高校時代から本格的に陸上始めた。高校時代は同学年の[[小野裕幸]]や、後に大学の後輩となる[[宇賀地強]]や[[深津卓也]]と競り合った事もある。
2005年に駒澤大学に入学するが、1年時は故障に悩まされ[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]のメンバー入りは果たせなかった。2年時には[[10000メートル競走|10000m]]の自己ベストを更新し、第38回[[全日本大学駅伝対校選手権大会|全日本大学駅伝]]では3区区間2位の好走で優勝に貢献したが、[[第83回東京箱根間往復大学駅伝競走|第83回箱根駅伝]]では1区区間15位に終わった。
3年時には第39回全日本大学駅伝で3区を走り区間賞を獲得しチームの連覇に貢献。[[第84回東京箱根間往復大学駅伝競走|第84回箱根駅伝]]で1区区間2位の好走チームの優勝に貢献した。2008年3月の第15回[[京都シティハーフマラソン]]では優勝を果たした。
4年時には陸上競技部主将を務めた。第20回出雲駅伝では4区を走り区間2位。[[第85回東京箱根間往復大学駅伝競走|第85回箱根駅伝]]ではシード圏外でタスキを受ける苦しい展開のなか9区区間3位と好走したが、チームは13位に敗れた。2009年3月の[[立川シティハーフマラソン]]では日本人トップとなる2位入賞を果たし、[[ユニバーシアード]]代表に選出された。

卒業後はヤクルトに入社。[[全日本実業団対抗駅伝競走大会|ニューイヤー駅伝]]には9回出場し、2014年にはエース区間の4区で区間9位の実績がある。[[マラソン]]では[[東京マラソン2013]]で自己ベストを記録。2014年の[[別府大分毎日マラソン]]では5位(日本人3位)に食い込んだ。

[[東京マラソン2020]]が引退レースとなり、2019年度をもって現役を引退。社業に専念する。


== 自己ベスト ==
== 自己ベスト ==
*[[5000メートル競走|5000m]] 13分52秒08
*[[5000メートル競走|5000m]]:13分52秒08(2008年7月 [[ホクレンディスタンスチャレンジ]])
*[[10000メートル競走|10000m]] 28分37秒26
*[[10000メートル競走|10000m]]:28分37秒26(2007年10月 日本体育大学記録会)
*[[ハーフマラソン]] 1時間2分10秒 (2008年3月 京都シティハーフマラソン)
*[[ハーフマラソン]]:1時間02分10秒 (2008年3月 京都シティハーフマラソン)
*[[マラソン|フルマラソン]] 2時間10分59秒 (2013年2月 [[東京マラソン]])
*[[マラソン|フルマラソン]]:2時間10分59秒 (2013年2月 [[東京マラソン]])


== 主な戦績 ==
== 主な戦績 ==
*2008年 [[京都シティハーフマラソン]]'''優勝''' 1時間02分10秒
*2008年 [[京都シティハーフマラソン]]'''優勝''' 1時間02分10秒
*2009年 [[立川シティハーフマラソン]]2位 1時間02分41秒
*2009年 [[立川シティハーフマラソン]]2位 1時間02分41秒
*2009年 [[ユニバーシアード]]セルビア・ベオグラード大会 [[ハーフマラソン]]4位 1時間04分38秒
*2009年 [[2009年夏季ユニバーシアード|第25回夏季ユニバーシアード]]ベオグラード大会 [[ハーフマラソン]]4位 1時間04分38秒
*2013年 [[東京マラソン2013|東京マラソン]]13位 2時間10分59秒
*2013年 [[東京マラソン2013|東京マラソン]]13位 2時間10分59秒
*2014年 [[別府大分毎日マラソン]]5位 2時間11分12秒
*2016年 [[びわ湖毎日マラソン]]10位 2時間13分27秒
*2020年 東京マラソン35位 2時間11分56秒


== 関連人物 ==
== 関連人物 ==

2021年8月13日 (金) 14:36時点における版

池田 宗司(いけだ そうじ、1986年12月22日 - )は栃木県矢板市出身の元陸上競技選手。専門は中長距離種目。経歴は安沢小学校-片岡中学校-那須拓陽高等学校駒澤大学法律学部法律学科-ヤクルト

人物・来歴

中学時代はサッカー部に在籍。高校時代から本格的に陸上始めた。高校時代は同学年の小野裕幸や、後に大学の後輩となる宇賀地強深津卓也と競り合った事もある。

2005年に駒澤大学に入学するが、1年時は故障に悩まされ箱根駅伝のメンバー入りは果たせなかった。2年時には10000mの自己ベストを更新し、第38回全日本大学駅伝では3区区間2位の好走で優勝に貢献したが、第83回箱根駅伝では1区区間15位に終わった。

3年時には第39回全日本大学駅伝で3区を走り区間賞を獲得しチームの連覇に貢献。第84回箱根駅伝でも1区区間2位の好走でチームの優勝に貢献した。2008年3月の第15回京都シティハーフマラソンでは優勝を果たした。

4年時には陸上競技部主将を務めた。第20回出雲駅伝では4区を走り区間2位。第85回箱根駅伝ではシード圏外でタスキを受ける苦しい展開のなか9区区間3位と好走したが、チームは13位に敗れた。2009年3月の立川シティハーフマラソンでは日本人トップとなる2位入賞を果たし、ユニバーシアード代表に選出された。

卒業後はヤクルトに入社。ニューイヤー駅伝には9回出場し、2014年にはエース区間の4区で区間9位の実績がある。マラソンでは東京マラソン2013で自己ベストを記録。2014年の別府大分毎日マラソンでは5位(日本人3位)に食い込んだ。

東京マラソン2020が引退レースとなり、2019年度をもって現役を引退。社業に専念する。

自己ベスト

主な戦績

関連人物

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