「慶父」の版間の差分

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=== 末路 ===
しかし、慶父は2代続けて魯公を弑殺したことで魯の大夫の支持を失ってしまい、隣国莒へと亡命する羽目に陥ってしまう<ref>なお、慶父とは別に[[チュウ (春秋)|邾]]に亡命した密通相手の哀姜は、兄の桓公によって魯混乱の責任を取らされて処刑されるが、その遺体は僖公によって引き取られ、丁重に葬られたという。</ref>。その後、第19代魯公となった公子申こと[[僖公 (魯)|僖公]]や、宰相となった季友によって、慶父は強制送還させられる。その際慶父は、僖公や季友に対し減刑を嘆願するが、魯を混乱に陥れた元凶として却下され、これに絶望した慶父は首を吊って自害した。
 
死後、「'''共'''」を諡され、'''共仲'''と呼ばれる。慶父の子孫は三桓氏の一つである孟孫氏(仲孫氏)として隆盛を誇った。
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