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2019年12月8日 (日) 01:08時点における版
アメリカ合衆国の競馬(アメリカがっしゅうこくのけいば)では、アメリカ合衆国における競馬について記述する。
歴史
年表
- イギリスの植民地だった時代(遅くとも1620年代)にヴァージニアを中心に[1]、イギリス人入植者によって競馬が行われるようになった。
- 1665年、初の常設競馬場であるロングアイランド競馬場がニューヨークに建設された。
- 1821年、初のダートのコースのみからなる競馬場、ユニオン競馬場がニューヨークに建設された。
- 1875年、第1回ケンタッキーダービーが行われた[1][2]。
- 1894年、ニューヨークジョッキークラブがニューヨークに設立された[1]。
- 1950年、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館が設立された。
- 1984年、ブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップが創設された。
- 1998年、全米サラブレッド競馬協会(NTRA)が設立された。
- 2006年、カリフォルニア州競馬委員会が、2007年末までに同州の主要競馬場へのオールウェザー導入を義務付けた。
- 2008年、史上はじめてブリーダーズカップ・クラシックがオールウェザーコースで行われた。
19世紀・長距離時代
南北戦争が始まるまで、アメリカは長距離競馬王国だった。競馬の発祥国であるイギリスでは、4マイル(約6.4キロメートル)もあるような競走やヒート戦は18世紀のうちに下火になり、19世紀半ばには、3歳や4歳の若馬による1マイル(約1609メートル)から1マイル半(約2414メートル)ほどの短距離で行われる「英国クラシック」が主流になった。アメリカの競馬界は、イギリス国内でのこうした「短距離化」を冷ややかな目で見ていた。アメリカでは数マイルから時には20マイルにもなるような距離で負担に耐え、スタミナを競う競馬が信奉された[3]。
南北戦争の影響
19世紀半ばに起きた南北戦争によってアメリカの競馬も荒廃した。終戦のころには、南部諸州には競馬をやるような資力も競走馬も無くなっていた。中立州のうち、ケンタッキー州は戦禍による打撃を受けたものの、それ以上に南部諸州の荒廃による利益を得た[4]。
北部では戦時中も競馬が行われていた。戦争中の1863年には、アイルランド系移民のギャング、デッド・ラビッツのボスであるジョン・モリッシーによって、サラトガ競馬場が興された[4]。
戦争が終わる頃には南部はすっかり荒廃してしまっていたが、北部には無事な競馬場があり、資財があり、南部から逃れてきたか強奪してきた競走馬がたくさんいた。この結果、19世紀後半は北部諸州がアメリカ競馬の中心地となった。特に、東海岸のニューヨークとその周辺では新しい競馬場や大競走が次々と作られ、現在の東海岸競馬の直接のルーツとなった。これらの中には、プリークネスステークス、ベルモントステークス、サバーバンハンデ、フューチュリティなど、現代のアメリカ競馬を代表する競走も多い[4]。なかでもフューチュリティ(フューチュリティステークス)は、全米最高賞金の競走で大変な人気となった。この競走は、アメリカでは最初期の2歳馬による短距離の大競走だった[4]が、アメリカの競馬界が短距離・2歳戦に傾倒する流れを作った[5]。
競馬禁止法の影響
ニューヨーク周辺で勃興した競馬はやがて全土に広まり、1870年代には中東部でケンタッキーダービーが、1880年代には中西部でアメリカンダービーが始まった。しかし、同時にブックメーカーによる不正や競馬に関わる犯罪行為も大きく増えた。各地の競馬場を統括するような中央組織がなかったので、アメリカ競馬界にはこうした不法行為を取り締まろうという気運は起きなかった。むしろ各地の競馬場の経営者たちは、不正行為から莫大な利益を得ていた[4]。
19世紀の後半から、全米の保守層には競馬を禁止する動きが広まっていたが、20世紀の初めにはそれが法規制となって実現した。あちこちの州で賭博を禁止する法律が可決され、1908年にはとうとうニューヨーク州でも事実上競馬が禁止になった。10年間で、全米の競馬場は317場から25場に激減した[4]。
アメリカの多くの州で競馬が不可能になったことで、カナダや、競馬を禁止しなかったケンタッキー州やメリーランド州の競馬が利益を得た。しかし競走馬生産の観点からは、生産頭数に大量の余剰を出すことになり、数千頭が海外へ輸出された。優秀な調教師や騎手、裕福な馬主も多くが大西洋を渡ってイギリスやフランスへ移った[4]。
競馬を再開するため、各州で統括団体が組織され、公正化や非合法ブックメーカーの取り締まりが行われた。ニューヨーク州では1913年にベルモント競馬場、サラトガ競馬場が再開にこぎつけた。しかし、かなりの州では競馬が復活しないまま消えていった[4]。
特徴
各競馬場における運営形態
各競馬場の運営・開催に関しては、各州において認可を受けた競馬機関によって執り行われている[6]。競馬場単位で運営が独立している為、競馬場単位で競争原理が働き、ボーナス賞金を設定して有力馬の出走を促すといった事が積極的に行われている[6]。
これら各地の競馬場は相争い、売り上げは伸びていたが、1970年代から80年代には、インフレ率を考慮すると実際には伸び悩んでいた。観客数を基にした統計に従えば、競馬はアメリカでもっとも人気の高いスポーツのはずだったが、実際には高齢化しつつある固定客が足繁く通っているだけで、実態を反映していないと考えられてきた[7]。馬券の売り上げの観点では、全米で宝くじの発売が盛んになったり、東海岸のニュージャージーでカジノが合法化され、ギャンブル愛好家を奪っていった。カラーテレビの普及によって野球やフットボールは、これまで競技場まで足を運んだことのないような若年層や女性の人気を獲得したのに対し、中継を行うと競馬場に足を運ぶ客が減ると考えた競馬主催者たちは競馬のテレビ中継を拒んだが、その結果競馬はますます広く一般の人気を失い、一部の賭博中毒者の娯楽とみなされるようになってしまった[7]。その対策の一つとして全米の生産者共同で創設されたのがブリーダーズカップである[7]。
また、これらの低迷期に対する反省として、1998年に全米サラブレッド競馬協会(NTRA)という全米統一機関が組織され、アメリカ全土の競馬のマーケティング、広告、プロモート、テレビ放映などいわゆる「競馬そのもの」のアピールを大衆へ向けて行うようになった[6]。
アメリカで行われる競走の特徴
アメリカの競馬はダートコースでのレースが主流であり、三冠レースは全てダートコースで行われる。ダートは非常に粘着質な土を使っており、アメリカのダート競走は芝で行われるレース並のタイムが出ることもある。また、芝も短く刈られ、全体的に日本と同じスピード競馬である。[要出典]基本的にスピードのある優秀な馬はダートへ行き、結果が出ない馬、もしくはスピードのない馬は芝路線へと向かう[8]。ただし、日本のダート馬のようにそれほど冷遇されておらず[要出典]、アメリカの芝路線は欧州ほどレベルが高いわけではないが、低いわけではない。
アメリカの競馬場はすべて左回りによるトラック状の構造で設計されており、日本のように小回りで直線の短いコースも多い。競馬場ごとの違いが少ない画一的な構造のため、競走馬の過去戦績の分析がやり易く、競馬新聞に「ベイヤー指数」のようなタイムやスピードの要素を盛り込んだ指数活用が積極的に行われている[9]。
障害競走については、東海岸で僅かに行われているに過ぎない。繋駕速歩の年間競走数は53,000を数え平地競走を僅かに上回るが、売り上げは平地競走と比較してかなり少ない。
2000年代中盤から2010年代初にかけてダートコースからオールウェザーコースへ移行する動きが見られた。2006年にはカルフォルニア州が主要競馬場にオールウェザーの導入を義務づけ、2008年にサンタアニタパーク競馬場にて行われるブリーダーズカップは史上初めてオールウェザーコースで行われた。しかしダートの強豪馬がオールウェザーでは結果を出せない(あるいはその逆)と言うことが相次ぎ、競馬関係者から不満が続出。オールウェザーはダートの代替に成りえないということが明らかになるとオールウェザーを導入した競馬場も順次元のダートコースに戻された。
ドーピング問題
世界的にみて、競馬は勿論ほかのスポーツでもステロイド等のドーピングは禁止されている。ところが、アメリカでは競馬を開催しているほとんどの州が、依然としてステロイドの使用を認めているため、「なぜ未だに禁止されていないのか」という質問が、2008年6月19日のアメリカ合衆国下院の委員会がワシントンD.C.で行った公聴会の場でなされた。また、2008年に二冠を達成したビッグブラウンの調教師であるリチャード・ダトロー・ジュニアによるアナボリックステロイドの使用は、依然として様々な論争を巻き起こしているという。[10]
その他
- カナダを含む北アメリカの競走馬の血統書の管理業務は、ジョッキークラブが行っている。
- 競馬はとくにニューヨーク州、カリフォルニア州、フロリダ州、ケンタッキー州において盛んに行われている[2]。
- 競馬に関する賭けは現在、パリミュチュエル方式で行われており、ブックメーカー形式は認められていない[11]。
- 売り上げは年間170億ドルほどで日本、イギリスに次ぐ、但し規模や総人口を考えればそれ程多くは無い。
- サラブレッドの生産頭数は年間約32,000頭を超え、世界でも飛びぬけて多い[11]。生産がもっとも盛んなのはケンタッキー州で、全体の約3割が生産される。スタンダードブレッドの生産頭数も世界2位の10000頭を誇る。その他多様な品種を用いて競馬が行われており、クォーターホースを用いた超短距離戦や純血アラブ限定の競馬も盛ん。
- 欧州と比べると全体的に優勝賞金の額が高く、そのうえ地理的にも近く、さらに芝路線はそれほどレベルが高くないとあってアメリカの芝競走に積極的に参加する欧州馬も多い。特に、ブリーダーズカップ・ターフにはよく欧州の有力馬が集まる。
主な競走
平地競走
3歳
- クラシック
- その他の3歳主要競走
- ニューヨーク牝馬三冠
- 中部アメリカ三冠
- ニューヨーク3歳芝三冠
- ベルモントダービーインビテーショナルステークス
- サラトガダービー
- ジョッキークラブダービー
- ニューヨーク3歳牝馬芝三冠
- ベルモントオークスインビテーショナルステークス
- サラトガオークス
- ジョッキークラブオークス
古馬
- その他の古馬主要競走
ブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップ
- ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ
- ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル
- ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフ
- ブリーダーズカップ・スプリント
- ブリーダーズカップ・マイル
- ブリーダーズカップ・ディスタフ
- ブリーダーズカップ・ターフ
- ブリーダーズカップ・クラシック
- ブリーダーズカップ・ダートマイル(2007年新設)
- ブリーダーズカップ・フィリー&メアスプリント(2007年新設)
- ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルターフ(2007年新設)
- ブリーダーズカップ・ターフスプリント(2008年新設)
- ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズターフ(2008年新設)
- ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルターフスプリント(2018年新設)
障害競走
- グランドナショナルハードル
- ロイヤルチェイス
- コロニアルカップ
- ジョージアカップ
- ニューヨークターフライターズカップ
- ロンサムグローリースティープルチェイス
- フォックスブックシュプリームハードル(ノービス)
- チャンピオンシップシュプリームハードル(ノービス)
- イロコイハードル
繋駕速歩競走
現在のアメリカの主な平地競走のレース日程(G1競走のみ)
※Hはハンデキャップ、Sはステークス、Bはブリーダーズ、Cはカップ、Tはターフ、CSはチャンピオンシップの略。また簡略化のため、インビテーショナルは招待、ゴールドカップは金杯、メモリアルは記念にそれぞれ訳して表記。
なお、暦の関係上、開催が前の月に前倒しする時や、翌月にずれ込むことがあり、第○週と書いてあるものがずれることがよくある。よってあくまでも目安として判断していただきたい。
グレードレースの割合
2008年 | 2009年 | 2011年 | |
---|---|---|---|
GI | 110 | 115 | 112 |
GII | 155 | 161 | 153 |
GIII | 216 | 215 | 209 |
合計 | 481 | 488 | 481 |
アメリカの競馬場一覧
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関連項目
- カナダの競馬
- デイリーレーシングフォーム: アメリカの競馬新聞
- アンドリュー・ベイヤー: デイリーレーシングフォームで自身の考案した「ベイヤー指数」を公開している
- フューチュリティステークス: シープスヘッドベイ競馬場で1888年に創設された2歳馬のレース。このレースの創設により2歳馬路線の充実が一段と図られ、馬主も競走馬の活躍による恩恵を早い段階から受けられるようになり、アメリカの競馬もスタミナを重視する長距離寄りの競走からスピードを重視する短中距離寄りの競走に変遷してゆく[22]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 海外競馬完全読本p.127
- ^ a b JAIRS
- ^ 『競馬の世界史』ロジャー・ロングリグ・著、原田俊治・訳、日本中央競馬会弘済会・刊、1976, p216
- ^ a b c d e f g h 『競馬の世界史』ロジャー・ロングリグ・著、原田俊治・訳、日本中央競馬会弘済会・刊、1976, p222-234
- ^ JRA公式HP「2歳時の活躍は才能の前兆」第3話 高額賞金レース誕生の背景2014年4月8日閲覧。
- ^ a b c 海外競馬完全読本p.126
- ^ a b c 『ホース・トレーダーズ アメリカ競馬を変えた男たち』, スティーヴン・クリスト・著, 草野純・訳, サラブレッド血統センター・刊, 1988, p325-334
- ^ 『サラブレ』2008年4月号
- ^ 海外競馬完全読本p.102
- ^ 週刊Gallop2008年6月29日号
- ^ a b 海外競馬完全読本p.103
- ^ 米国で世界最高賞金1200万ドルのレース創設netkeiba.com、2016年8月4日閲覧
- ^ ペガサスワールドカップ、G1レースと格付けられる(アメリカ)ジャパンスタッドブックインターナショナル、2016年8月4日閲覧
- ^ ペガサスワールドカップデーに芝レース追加(アメリカ)[開催・運営] ジャパンスタッドブックインターナショナル、2018年9月20日公開 2018年11月10日閲覧
- ^ ペガサスワールドカップデーレースプログラムペガサスワールドカップ公式サイト、2018年11月10日閲覧
- ^ ヴァニティーS歴代勝ち馬equibase、2015年7月15日閲覧
- ^ 2017年5月27日開催スケジュールサンタアニタパーク競馬場、2017年5月7日閲覧
- ^ TOBA Announces U.S. Graded and Listed Stakesbloodhorse.com、2016年3月13日閲覧
- ^ フォースターデイヴH歴代優勝馬equibase.com、2016年3月13日閲覧
- ^ ブリーダーズカップ・チャレンジスケジュール(2015年版)breederscup.com 2015年4月6日閲覧
- ^ American Oaks may be moved to December; two Grade 1 Los Al stakes face uncertaintyデイリーレーシングフォーム、2016年10月31日閲覧
- ^ 吉沢
参考文献
- 『海外競馬完全読本』東邦出版、2002年。ISBN 4-8094-0261-4。
- 『競馬の世界史』ロジャー・ロングリグ・著、原田俊治・訳、日本中央競馬会弘済会・刊、1976
- 『ホース・トレーダーズ アメリカ競馬を変えた男たち』, スティーヴン・クリスト・著, 草野純・訳, サラブレッド血統センター・刊, 1988
WEBページ出典
- “アメリカの競馬場”. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2013年9月29日閲覧。
- 吉沢譲治 (2007年7月26日). “ブラッド・ストーリー 2歳時の活躍は「才能の前兆」第3話”. JRA. 2013年9月29日閲覧。