「アンナ・フォン・ティロル」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
m テンプレートのパラメータ重複エラー修正
6行目: 6行目:
|画像サイズ = 200px
|画像サイズ = 200px
|画像説明 = アンナ・フォン・ティロル
|画像説明 = アンナ・フォン・ティロル
|在位 =
|別称号 =
|別称号 =
|在位 =
|在位 =

2019年7月3日 (水) 13:44時点における版

アンナ・フォン・ティロル
神聖ローマ皇后
アンナ・フォン・ティロル

出生 1585年10月4日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国インスブルック
死去 1618年12月14日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国ウィーン
配偶者 マティアス
家名 ハプスブルク家
父親 フェルディナント2世
母親 アンナ・カテリーナ・ゴンザーガ
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示

アンナ・フォン・ティロルドイツ語: Anna von Tirol, 1585年10月4日インスブルック - 1618年12月14日ウィーン)は、神聖ローマ皇帝マティアスの皇后。

生涯

インスブルックで生まれた。父はオーストリア大公フェルディナント2世(皇帝フェルディナント1世アンナ・ヤギエロの二男)、母は2番目の妻アンナ・カテリーナ・ゴンザーガマントヴァ公グリエルモ1世エレオノーレ・フォン・エスターライヒの娘)。両親は伯父と姪の間柄である。1611年に従兄マティアス(当時はハンガリーおよびボヘミア)と結婚し、ハンガリー王妃・ボヘミア王妃になった。1612年、夫の皇帝即位とともに皇后となった。

1618年、夫より3ヶ月ほど先にウィーンで死去した。2人の間に子はなかった。カプツィーナー納骨堂に葬られている。