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マントヴァの領主一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドメニコ・モローネ, La cacciata dei Bonacolsi (マントヴァ、ドゥカーレ宮殿)

この項目は、イタリアに過去に存在した国家、マントヴァを支配した僭主、侯爵、公爵の一覧である。

マントヴァのシニョーレ(僭主)

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共和制の都市国家マントヴァの最高指導者として「カピターノ・デル・ポーポロ」(平民の指導者)を名乗った。

1279年-1291年 ピナモンテ・ボナコルシ (Pinamonte Bonacolsi)
1291年-1299年 バルデッローネ・ボナコルシ (Bardellone Bonacolsi)
1299年-1309年 グイード・ボナコルシ (Guido Bonacolsi)
1309年-1328年 リナルド・ボナコルシ (Rinaldo Bonacolsi)
1328年-1360年 ルドヴィーコ1世・ゴンザーガ (Ludovico I Gonzaga)  
1360年-1369年 グイード・ゴンザーガ (Guido Gonzaga)  
1369年-1382年 ルドヴィーコ2世・ゴンザーガ (Ludovico II Gonzaga)  
1382年-1407年 フランチェスコ1世・ゴンザーガ (Francesco I Gonzaga) (1407年没)
1407年-1433年 ジャンフランチェスコ・ゴンザーガ (Gian Francesco Gonzaga)
1433年から君主制国家に転換しマントヴァ侯爵となる。
(1395年-1444年)

マントヴァ侯爵

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ゴンザーガ家

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1433年-1444年 ジャンフランチェスコ・ゴンザーガ
1433年まではカピターノ・デル・ポーポロ
1444年-1478年 ルドヴィーコ3世・ゴンザーガ (Ludovico III Gonzaga) (1412年-1478年)
1478年-1484年 フェデリーコ1世・ゴンザーガ (Federico I Gonzaga) (1441年-1484年)
1484-1519 フランチェスコ2世・ゴンザーガ (Francesco II Gonzaga) (1466年-1519年)
1519年-1530年 フェデリーコ2世・ゴンザーガ (Federico II Gonzaga)
1530年からマントヴァ公爵に昇格| (1500年-1540年)

マントヴァ公爵

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ゴンザーガ家は女系を介してモンフェッラート公国を継承し、モンフェッラート侯爵(1536年-1574年)同公爵(1574年-1708年)をも名乗った。

ゴンザーガ家

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1530年-1540年 フェデリーコ2世 (Federico II)
1530年まではマントヴァ侯爵
1540年-1550年 フランチェスコ3世・ゴンザーガ (Francesco III Gonzaga) (1533年-1550年)
1550年-1587年 グリエルモ・ゴンザーガ (Guglielmo Gonzaga) (1538年-1587年)
1587年-1612年 ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ (Vincenzo I Gonzaga) (1562年-1612年)
1612年 フランチェスコ4世・ゴンザーガ (Francesco IV Gonzaga) (1586年-1612年)
1612年-1626年 フェルディナンド・ゴンザーガ (Ferdinando Gonzaga) (1587年-1626年)
1626年-1627年 ヴィンチェンツォ2世・ゴンザーガ (Vincenzo II Gonzaga) (1594年-1627年)
1627年-1637年 カルロ1世・ゴンザーガ=ネヴェルス (Carlo I Gonzaga-Nevers) (1580年-1637年)
1637年-1665年 カルロ2世・ゴンザーガ=ネヴェルス (Carlo II Gonzaga-Nevers) (1629年-1665年)
1665年-1708年 フェルディナンド・カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルス (Ferdinando Carlo Gonzaga-Nevers) (1652年-1708年)

1708年、ゴンザーガ家はマントヴァの支配権を失い、同年フェルディナンド・カルロも嫡出の後継者を残さずに死去した。ゴンザーガ家は断絶し、マントヴァ公国は ミラノ公国に併合された。