「ミュンヘン音楽・演劇大学」の版間の差分

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初代[[ハンス・フォン・ビューロー]]を学長に迎えて以来、ピアニスト、教育者として日本にも多数の弟子がいる[[クラウス・シルデ]]([[1988年]] - [[1991年]]在職)などを経て、現在は[[ベルント・レトマン]]が務めている。
初代[[ハンス・フォン・ビューロー]]を学長に迎えて以来、ピアニスト、教育者として日本にも多数の弟子がいる[[クラウス・シルデ]]([[1988年]] - [[1991年]]在職)などを経て、現在は[[ベルント・レトマン]]が務めている。


同大学の現在の教授は、ピアノの[[ゲルハルト・オピッツ]]、[[アンドラーシュ・シフ]](Honorarprofessor)、チェロの[[ヴァルター・ノータス]]、ヴァイオリンの[[クリストフ・ポッペン]]、[[アナ・チュマチェンコ]]、フルートの[[アンドラーシュ・アドリアン]]、指揮の[[ブルーノ・ヴァイル]]、リート解釈の[[ヘルムート・ドイチュ]]、声楽の[[クリスティアン・ゲルハーヘル]]等がいる。
同大学の現在の教授は、ピアノの[[ゲルハルト・オピッツ]]、[[アンドラーシュ・シフ]](Honorarprofessor)、チェロの[[ヴァルター・ノータス]]、ヴァイオリンの[[クリストフ・ポッペン]]、[[アナ・チュマチェンコ]]、ヴィオラの[[ハリオルフ・シュリヒティヒ]]、フルートの[[アンドラーシュ・アドリアン]]、指揮の[[ブルーノ・ヴァイル]]、リート解釈の[[ヘルムート・ドイチュ]]、声楽の[[クリスティアン・ゲルハーヘル]]等がいる。


現在のミュンヘン音楽・演劇大学の校舎は、かつては[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]のミュンヘンにおける[[総統官邸]]であり、隣にはナチス党本部[[褐色館]](de:Braunes Haus)があった。この校舎建物で[[ミュンヘン会談]]が開かれた。また授業の一部は、[[ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団]]が本拠を置く複合文化施設[[ガスタイク]]でも行われる。
現在のミュンヘン音楽・演劇大学の校舎は、かつては[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]のミュンヘンにおける[[総統官邸]]であり、隣にはナチス党本部[[褐色館]](de:Braunes Haus)があった。この校舎建物で[[ミュンヘン会談]]が開かれた。また授業の一部は、[[ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団]]が本拠を置く複合文化施設[[ガスタイク]]でも行われる。

2018年7月15日 (日) 15:26時点における版

ミュンヘン音楽大学

ミュンヘン音楽・演劇大学(ミュンヘンおんがくえんげきだいがく)はドイツの国立音楽大学

歴史

1846年バイエルン王立音楽アカデミーとして発足。その後何度も名称変更、拡大等を繰り返し、現在の正式名称は1998年よりドイツ語でHochschule für Musik und Theater München、日本語ではドイツ国立ミュンヘン音楽・演劇大学となった。むしろ日本では単にミュンヘン音楽大学と呼ぶことが一般的。

初代ハンス・フォン・ビューローを学長に迎えて以来、ピアニスト、教育者として日本にも多数の弟子がいるクラウス・シルデ1988年 - 1991年在職)などを経て、現在はベルント・レトマンが務めている。

同大学の現在の教授は、ピアノのゲルハルト・オピッツアンドラーシュ・シフ(Honorarprofessor)、チェロのヴァルター・ノータス、ヴァイオリンのクリストフ・ポッペンアナ・チュマチェンコ、ヴィオラのハリオルフ・シュリヒティヒ、フルートのアンドラーシュ・アドリアン、指揮のブルーノ・ヴァイル、リート解釈のヘルムート・ドイチュ、声楽のクリスティアン・ゲルハーヘル等がいる。

現在のミュンヘン音楽・演劇大学の校舎は、かつてはヒトラーのミュンヘンにおける総統官邸であり、隣にはナチス党本部褐色館(de:Braunes Haus)があった。この校舎建物でミュンヘン会談が開かれた。また授業の一部は、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団が本拠を置く複合文化施設ガスタイクでも行われる。

作曲賞

ギュンター・ビアラス国際作曲コンクールが開始されており、多くの若手作曲家が表彰されている。

著名な元教授

関連項目

外部リンク