「セント・オールバンズの戦い (1461年)」の版間の差分
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|commander1=[[リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)|ウォリック伯]]<br />[[ジョン・ネヴィル (初代モンターギュ侯)|モンタギュー男爵]]{{POW}}<br />[[ウィリアム・ボンヴィル (初代ボンヴィル男爵)|ボンヴィル男爵]]{{Executed}}<br />[[サー・トマス・キリエル]]{{Executed}}<br />ほかブルゴーニュ傭兵500 |
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|commander2=[[マーガレット・オブ・アンジュー|マーガレット王妃]]<br />[[ヘンリー・ボーフォート (第3代サマセット公)|サマセット公]]<br />[[ヘンリー・ホランド (第3代エクセター公)|エクセター公]]<br />[[ヘンリー・パーシー (第3代ノーサンバランド伯)|ノーサンバランド伯]]<br />[[ジョン・タルボット (第3代シュルーズベリー伯)|シュルーズベリー伯]]<br />[[トマス・コートニー (第6代デヴォン伯)|デヴォン伯]]<br />[[ジョン・クリフォード (第9代クリフォード男爵)|クリフォード男爵]]<br />[[トマス・ド・ルーシュ (第9代ルーシュ男爵)|ルーシュ男爵]]<br />[[ジョン・グレイ・オブ・グロービー (第7代フェラーズ男爵)|フェラーズ男爵]]{{KIA}}<br />[[アンドリュー・トラロップ]]<br />ほかスコットランド兵 |
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|strength1=10,000以下 |
|strength1=10,000以下 |
2017年3月29日 (水) 10:12時点における版
セント・オールバンズの戦い | |
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戦争:薔薇戦争 | |
年月日:1461年 2月22日 | |
場所:イングランド、ハートフォードシャーのセント・オールバンズ | |
結果:ランカスター派の勝利 | |
交戦勢力 | |
ヨーク家 | ランカスター家 |
指導者・指揮官 | |
ウォリック伯 モンタギュー男爵(捕虜) ボンヴィル男爵 サー・トマス・キリエル ほかブルゴーニュ傭兵500 |
マーガレット王妃 サマセット公 エクセター公 ノーサンバランド伯 シュルーズベリー伯 デヴォン伯 クリフォード男爵 ルーシュ男爵 フェラーズ男爵 † アンドリュー・トラロップ ほかスコットランド兵 |
戦力 | |
10,000以下 | 15,000以下 |
損害 | |
4,000 | 2,000 |
(第2次)セント・オールバンズの戦い(Second Battle of St Albans)は、薔薇戦争中の1461年2月22日、セント・オールバンズの街の近くで行われた戦闘。
戦闘の背景
ヨーク公リチャードは1460年12月のウェイクフィールドの戦いで戦死し、後を継いだ18歳になる息子のマーチ公エドワード(後のエドワード4世)は、その直前に西で行われたモーティマーズ・クロスの戦いに参加していて忙しかった。となるとマーガレット王妃率いるランカスター派にとってとるべき道は明確である。ランカスター派はロンドンを強襲するため、南進を開始した。
戦闘の様子
ランカスター派の進軍は、ウォリック伯指揮下のヨーク派軍によってセント・オールバンズの近くで妨げられた。ウォリックは防衛のための軍備・陣容を整えていたが、ランカスター派の思わぬ方向からの出現に驚き、打ち負かされた。
戦闘の結果
この戦勝によって、ヨーク派に捕らわれていた国王ヘンリー6世(戦場にいたといっても恐らく木の下で歌でも歌っていたのであろうが)はランカスター派に連れ戻された。だが、ロンドンへの進軍は強行されなかった。ランカスター派による略奪行為のうわさのためロンドン市民がその城門が閉ざしたようで、このため王妃は躊躇した。またマーチ公エドワードがモーティマーズ・クロスの戦いで勝利したニュースもその原因となった。
マーチ公エドワードとウォリック伯は3月2日にロンドンに入り、マーチ公エドワードがイングランド王として宣告された。