「大砂土村」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
脚注新設 |
編集の要約なし |
||
32行目: | 32行目: | ||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
* [[1869年]](明治2年)[[1月28日 (旧暦)]] - [[武蔵知県事]]・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は[[日本橋馬喰町]])。 |
|||
* 1869年(明治2年)[[9月29日 (旧暦)]] - 県庁が[[浦和区|浦和]]に移転し、大宮県から[[浦和県]]に改称。 |
|||
* [[1871年]](明治4年)[[11月14日 (旧暦)]] - 浦和県・[[忍県]]・[[岩槻県]]の3県が合併して埼玉県が誕生。 |
|||
* [[1879年]](明治12年) - 足立郡の区域をもって行政区画としての[[北足立郡]]が発足。郡役所は[[浦和宿]]に設置。 |
|||
* [[1889年]]([[明治]]22年) - 大和田村、砂村、今羽村、西本郷村、堀崎村、島村、土呂村の各村が[[日本の市町村の廃置分合|合併]]して成立した。大和田村の「'''大'''」、砂村の「'''砂'''」、土呂村の「'''土'''」の3字を合成して新村名を'''大砂土'''とした。 |
* [[1889年]]([[明治]]22年) - 大和田村、砂村、今羽村、西本郷村、堀崎村、島村、土呂村の各村が[[日本の市町村の廃置分合|合併]]して成立した。大和田村の「'''大'''」、砂村の「'''砂'''」、土呂村の「'''土'''」の3字を合成して新村名を'''大砂土'''とした。 |
||
* [[1940年]]([[昭和]]15年)11月3日 - 北足立郡[[大宮町 (埼玉県)|大宮町]]、[[宮原村 (埼玉県)|宮原村]]、[[三橋村 (埼玉県)|三橋村]]、[[日進村]]と[[日本の市町村の廃置分合#合体(新設合併)と編入(編入合併)|合併]](新設合併)、市制施行により'''[[大宮市]]'''となる。<ref>[[埼玉県の廃止市町村一覧#1940年~1949年]]</ref> |
* [[1940年]]([[昭和]]15年)11月3日 - 北足立郡[[大宮町 (埼玉県)|大宮町]]、[[宮原村 (埼玉県)|宮原村]]、[[三橋村 (埼玉県)|三橋村]]、[[日進村]]と[[日本の市町村の廃置分合#合体(新設合併)と編入(編入合併)|合併]](新設合併)、市制施行により'''[[大宮市]]'''となる。<ref>[[埼玉県の廃止市町村一覧#1940年~1949年]]</ref> |
||
40行目: | 44行目: | ||
現在は[[さいたま市]]の一部で大砂土東地区は[[見沼区]]、大砂土地区は[[北区 (さいたま市)|北区]]に属す。現行の町名では北区土呂町、植竹町、今羽町、本郷町、見沼、見沼区砂町、堀崎町、島町、東大宮、大和田町にあたる。 |
現在は[[さいたま市]]の一部で大砂土東地区は[[見沼区]]、大砂土地区は[[北区 (さいたま市)|北区]]に属す。現行の町名では北区土呂町、植竹町、今羽町、本郷町、見沼、見沼区砂町、堀崎町、島町、東大宮、大和田町にあたる。 |
||
砂町はかつて1、2丁目が存在したが[[東大宮駅]]開業後周辺の町名を東大宮1~7丁目と改めたため砂町1丁目は消滅、現在は2丁目のみが存在してい |
砂町はかつて1、2丁目が存在したが[[東大宮駅]]開業後周辺の町名を東大宮1~7丁目と改めたため砂町1丁目は消滅、現在は2丁目のみが存在している。 |
||
== 交通 == |
|||
現在は、 |
|||
*[[東武野田線]] |
|||
**[[大和田駅 (埼玉県)|大和田駅]] |
|||
*[[宇都宮線|JR宇都宮線]] |
|||
**[[土呂駅]]、[[東大宮駅]] |
|||
*[[埼玉新都市交通伊奈線|ニューシャトル]] |
|||
**[[今羽駅]] |
|||
がある。 |
|||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2016年3月21日 (月) 09:42時点における版
大砂土村 | |
---|---|
廃止日 | 1940年11月3日 |
廃止理由 |
新設合併 大宮町、宮原村、日進村、三橋村、 大砂土村→大宮市 |
現在の自治体 | さいたま市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北足立郡 |
市町村コード | 当時存在せず |
隣接自治体 |
北足立郡大宮町、原市町、宮原村、 春岡村、七里村、片柳村 |
大砂土村役場 | |
所在地 | 埼玉県 |
外部リンク | 当時村ホームページは存在せず |
ウィキプロジェクト |
大砂土村(おおさとむら)は、かつて埼玉県北足立郡に存在した村である。現在さいたま市の一部になっている。
歴史
- 1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。
- 1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。
- 1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
- 1879年(明治12年) - 足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年) - 大和田村、砂村、今羽村、西本郷村、堀崎村、島村、土呂村の各村が合併して成立した。大和田村の「大」、砂村の「砂」、土呂村の「土」の3字を合成して新村名を大砂土とした。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 北足立郡大宮町、宮原村、三橋村、日進村と合併(新設合併)、市制施行により大宮市となる。[1]
地区
大宮市では市内を通常は北足立郡時代の旧町村ごとに数地区に分け村名で呼称していた(七里地区、馬宮地区など)が、旧大砂土村では中央部にある見沼田圃を境にさらに分割され、東側(砂、大和田、堀崎、島)を大砂土東地区、西側(見沼、土呂、西本郷、今羽に大宮字植竹などを加えた地区)を大砂土地区と呼んだ。
現在はさいたま市の一部で大砂土東地区は見沼区、大砂土地区は北区に属す。現行の町名では北区土呂町、植竹町、今羽町、本郷町、見沼、見沼区砂町、堀崎町、島町、東大宮、大和田町にあたる。
砂町はかつて1、2丁目が存在したが東大宮駅開業後周辺の町名を東大宮1~7丁目と改めたため砂町1丁目は消滅、現在は2丁目のみが存在している。