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'''マンガロール'''([[トゥル語]]:ಕುಡ್ಲ, Kudla; [[カンナダ語]]:ಮಂಗಳೂರು, Mangalūru; [[英語]]:Mangalore)とは[[インド]]・[[カルナータカ州]]にある[[港湾]][[都市]]である。東は[[西ガーツ山脈]]が迫り、西は[[アラビア海]]に面している。マンガロールは英語読みで、現地音では'''マンガルール'''のほうが近い。
'''マンガロール'''([[トゥル語]]:ಕುಡ್ಲ, Kudla; [[カンナダ語]]:ಮಂಗಳೂರು, Mangalūru; [[英語]]:Mangalore)とは[[インド]]・[[カルナータカ州]]にある[[港湾]][[都市]]である。東は[[西ガーツ山脈]]が迫り、西は[[アラビア海]]に面している。マンガロールは英語読みで、現地音では'''マンガルール'''のほうが近い。


==歴史==
==由来==
[[Image:Mangaladevi (Commons).jpg|thumb|left|upright|マンガロールの名称の由来となったマンガラデーヴィー女神]]
[[Image:Mangaladevi (Commons).jpg|thumb|left|upright|マンガロールの名称の由来となったマンガラデーヴィー女神]]
マンガロールの名前は地元で信仰を集めている[[ヒンドゥー教]]の[[女神]][[マンガラデーヴィー]]からており、同名の寺院[[マンガラデーヴィー寺院]]([[:en:Mangaladevi Temple|Mangaladevi]])もある。
[[File:Mangalorefort1783.jpg|left|thumb|250px|[[マンガロール城]]([[1783年]])]]
[[カンナダ語]]州である[[カルナータカ州]]に属するが、住民は[[トゥル語]]を話し、トゥル語話者の中心的な都市となっている。
マンガロールの名前は地元で信仰を集めている[[ヒンドゥー教]]の[[女神]][[マンガラデーヴィー]]からており、同名の寺院[[マンガラデーヴィー寺院]]([[:en:Mangaladevi Temple|Mangaladevi]])もある。


==歴史==
[[イブン・バットゥータ]]も訪れるなど重要な港湾であったため古来、多くの王朝が覇を競ったが、[[1763年]]に[[マイソール王国]]の[[ハイダル・アリー]]が[[ケラディ・ナーヤカ朝]]を滅ぼした際、マンガロールの支配も移った。
[[File:Mangalorefort1783.jpg|left|thumb|250px|[[マンガロール城]]
([[1783年]])]][[イブン・バットゥータ]]も訪れるなど重要な港湾であったため古来、多くの王朝が覇を競ったが、[[1763年]]に[[マイソール王国]]の[[ハイダル・アリー]]が[[ケラディ・ナーヤカ朝]]を滅ぼした際、マンガロールの支配も同国に移った。


マンガロールはその後、マイソール王国の外港として使用されたが、[[1767年]]には[[イギリス]]の支配下となった。
マンガロールはその後、マイソール王国の外港として使用されたが、[[1767年]]には[[イギリス]]の支配下となった。


しかし、[[1783年]]には息子[[ティプー・スルターン]]が第二次マイソール戦争でこの地を奪い、再び外港として使用されることとなった。
しかし、[[1783年]]にはハイダル・アリーの息子[[ティプー・スルターン]]が[[第二次マイソール戦争]]でこの地を奪い、再び外港として使用されることとなった。


[[1792年]]にイギリスが[[第三次マイソール戦争]]でティプー・スルターンを破り、[[シュリーランガパトナ条約]]でこの地を割譲させると、[[1947年]]のインド独立までイギリス領[[マドラス管区]]に属することとなった。
[[1792年]]にイギリスが[[第三次マイソール戦争]]でティプー・スルターンを破り、[[シュリーランガパトナ条約]]でこの地を割譲させると、[[1947年]]のインド独立までイギリス領[[マドラス管区]]に属することとなった。


独立後は国道17号線や[[インドの鉄道|鉄道]]も整備され、海上のみならず陸上交通の要所ともなっている。
独立後は国道17号線や[[インドの鉄道|鉄道]]も整備され、海上のみならず陸上交通の要所ともなっている。

==住民==
[[カンナダ語]]州である[[カルナータカ州]]に属するが、住民は[[トゥル語]]を話し、トゥル語話者の中心的な都市となっている。


==名物==
==名物==

2014年3月5日 (水) 14:47時点における版

マンガロール
トゥル語:ಕುಡ್ಲ,Kudla
カンナダ語:ಮಂಗಳೂರು, Mangalūru
英語:Mangalore
マンガロールの公会堂
マンガロールの公会堂
座標 : 北緯12度52分 東経74度52分 / 北緯12.867度 東経74.867度 / 12.867; 74.867
行政
インドの旗 インド
  カルナータカ州
 県 ダクシナ・カンナダ県
 市 マンガロール
市長 Gulzar Banu
地理
面積  
  市域 3,586.5 km2
標高 22 m
人口
人口 (2011年現在)
  市域 484,785人
その他
等時帯 インド標準時 (UTC+5:30)
夏時間 なし
Pincode 5750〇〇
市外局番 +0824
ナンバープレート KA19
公式ウェブサイト : http://www.mangalorecity.gov.in

マンガロールトゥル語:ಕುಡ್ಲ, Kudla; カンナダ語:ಮಂಗಳೂರು, Mangalūru; 英語:Mangalore)とは、インドカルナータカ州にある港湾都市である。東は西ガーツ山脈が迫り、西はアラビア海に面している。マンガロールは英語読みで、現地音ではマンガルールのほうが近い。

由来

ファイル:Mangaladevi (Commons).jpg
マンガロールの名称の由来となったマンガラデーヴィー女神

マンガロールの名前は、地元で信仰を集めているヒンドゥー教女神マンガラデーヴィーからきており、同名の寺院マンガラデーヴィー寺院Mangaladevi)もある。

歴史

マンガロール城1783年

イブン・バットゥータも訪れるなど重要な港湾であったため古来、多くの王朝が覇を競ったが、1763年マイソール王国ハイダル・アリーケラディ・ナーヤカ朝を滅ぼした際、マンガロールの支配も同国に移った。

マンガロールはその後、マイソール王国の外港として使用されたが、1767年にはイギリスの支配下となった。

しかし、1783年にはハイダル・アリーの息子ティプー・スルターン第二次マイソール戦争でこの地を奪い、再び外港として使用されることとなった。

1792年にイギリスが第三次マイソール戦争でティプー・スルターンを破り、シュリーランガパトナ条約でこの地を割譲させると、1947年のインド独立までイギリス領マドラス管区に属することとなった。

独立後は国道17号線や鉄道も整備され、海上のみならず陸上交通の要所ともなっている。

住民

カンナダ語州であるカルナータカ州に属するが、住民はトゥル語を話し、トゥル語話者の中心的な都市となっている。

名物

魚料理が有名である(マンガロール料理)。

関連項目

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