「ロバート・ジョンソン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
11行目: 11行目:
|Died = {{死亡年月日と没年齢|1911|5|8|1938|8|16}}<br />{{USA}} ミシシッピ州[[グリーンウッド (ミシシッピ州)|グリーンウッド]]
|Died = {{死亡年月日と没年齢|1911|5|8|1938|8|16}}<br />{{USA}} ミシシッピ州[[グリーンウッド (ミシシッピ州)|グリーンウッド]]
|Origin = {{USA}} [[ミシシッピ州]][[ヘイズルハースト]]
|Origin = {{USA}} [[ミシシッピ州]][[ヘイズルハースト]]
|Instrument = [[ギター]][[ボーカル]][[ハーモニカ]]
|Instrument = [[ギター]]<br />[[ボーカル]]<br />[[ハーモニカ]]
|Genre = [[デルタ・ブルース]][[カントリー・ブルース]]
|Genre = [[デルタ・ブルース]]<br />[[カントリー・ブルース]]
|Occupation = [[ミュージシャン]]<br />[[ソングライター]]
|Occupation = [[ミュージシャン]]<br />[[ソングライター]]
|Years_active = [[1929年]] - [[1938年]]
|Years_active = [[1929年]] - [[1938年]]
32行目: 32行目:
[[1929年]]、まだ16歳だったヴァージニア・トラヴィスと結婚し彼女は二人の子を身篭るが、翌[[1930年]]、ヴァージニアは出産の際に子供とともに亡くなってしまう。
[[1929年]]、まだ16歳だったヴァージニア・トラヴィスと結婚し彼女は二人の子を身篭るが、翌[[1930年]]、ヴァージニアは出産の際に子供とともに亡くなってしまう。


[[アコースティック・ギター]]一本でブルースを[[弾き語り]]して、アメリカ大陸中を渡り歩いた。当時の聴衆はギターのテクニックが巧みなのに驚き、「十字路で[[悪魔]]に魂を売り渡して引き換えにテクニックを身につけた」という伝説が広まった。これが彼について語られる「'''クロスロード伝説'''」である。
[[アコースティック・ギター]]一本でブルースを[[弾き語り]]して、アメリカ大陸中を渡り歩いた。当時の聴衆はギターのテクニックが巧みなのに驚き、「十字路で悪魔に魂を売り渡して、その引き換えにテクニックを身につけた」という[[伝説]]が広まった。これが彼について語られる「'''クロスロード伝説'''」である。


[[1936年]][[11月]]、ジョンソンは[[テキサス州]][[サンアントニオ]]で初めてのレコーディング・セッションに臨み、3日間で16曲をレコーディングした。[[1937年]][[6月]]には二度目のレコーディングのために[[ダラス]]に赴き、13曲を残している。彼が生涯に残したレコーディングは、この2回の合計29曲(42テイク)だけである。
[[1936年]][[11月]]、ジョンソンは[[テキサス州]][[サンアントニオ]]で初めてのレコーディング・セッションに臨み、3日間で16曲をレコーディングした。[[1937年]][[6月]]には二度目のレコーディングのために[[ダラス]]に赴き、13曲を残している。彼が生涯に残したレコーディングは、この2回の合計29曲(42テイク)だけである。

2014年1月5日 (日) 05:35時点における版

ロバート・ジョンソン
出生名 Robert Leroy Johnson
生誕 1911年5月8日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミシシッピ州ヘイズルハースト
死没 (1938-08-16) 1938年8月16日(27歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミシシッピ州グリーンウッド
ジャンル デルタ・ブルース
カントリー・ブルース
職業 ミュージシャン
ソングライター
担当楽器 ギター
ボーカル
ハーモニカ
活動期間 1929年 - 1938年
レーベル ヴォカリオン・レコード

ロバート・リロイ・ジョンソン(Robert Leroy Johnson、1911年5月8日 - 1938年8月16日)は、アメリカミュージシャンアフリカ系アメリカ人。伝説的なブルース歌手として知られ、同時代の多くのブルースのみならず、その後のロックなどに多大な影響を与えた。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第5位、2011年の改訂版では第71位。

生涯

ミシシッピ州クラークスデールに位置する、国道61号線と国道49号線が交わる十字路。ここでジョンソンはブルースのテクニックのために悪魔を売り渡したと言われている。

1911年、ジョンソンはミシシッピ州ヘイズルハーストに生まれた。父親はチャールズ・ドッズ・ジュニア、母親ジュリア・ドッズだったが、ジョンソンは実は彼女の浮気相手ノア・ジョンソンとの間に生まれた子供だった。10代の頃に本当の父親の存在を知った彼は、ジョンソン姓を名乗るようになった。

1929年、まだ16歳だったヴァージニア・トラヴィスと結婚し彼女は二人の子を身篭るが、翌1930年、ヴァージニアは出産の際に子供とともに亡くなってしまう。

アコースティック・ギター一本でブルースを弾き語りして、アメリカ大陸中を渡り歩いた。当時の聴衆はギターのテクニックが巧みなのに驚き、「十字路で悪魔に魂を売り渡して、その引き換えにテクニックを身につけた」という伝説が広まった。これが彼について語られる「クロスロード伝説」である。

1936年11月、ジョンソンはテキサス州サンアントニオで初めてのレコーディング・セッションに臨み、3日間で16曲をレコーディングした。1937年6月には二度目のレコーディングのためにダラスに赴き、13曲を残している。彼が生涯に残したレコーディングは、この2回の合計29曲(42テイク)だけである。

翌1938年にジョンソンは27歳で死去したが、彼の死因については諸説あり不明である。「ダンスパーティーで知り合った人妻と不倫をしたため、夫により飲み物にストリキニーネを盛られて毒殺された」、「人妻との情事を夫に目撃され、その場で刺殺された」などの説が知られるが、ジョンソンの妹は病死だったとしている。亡くなったミシシッピ州グリーンウッドの役場に提出された彼の死亡届では、彼の死因欄には「No Doctor」とだけ記載されている。上記のクロスロード伝説では、彼を殺したものは悪魔であると語られている。

1938年暮れ、プロデューサーのジョン・ハモンドカーネギー・ホールでの開催を予定していた「スピリチュアル・トゥ・スウィング・コンサート」にジョンソンを出演させるため、彼を捜してまわったが、その時にはジョンソンは死去していた。

1961年にジョンソンのレコーディングがLP『King of Delta Blues Singers』でリリースされ、ジョンソンの音楽は再び注目を集めるようになった。

1989年には初めてジョンソンの写真が公開され話題を呼んだ。そして翌1990年には、これまで未発表だった別テイクも収録した『The Complete Recordings』がリリースされた。このジャケットに使われていた写真は前年公開されたものとは別のもので、これもここで初めて披露されたものであった。2007年、ジョンソンがミュージシャンのジョニー・シャインズと共に写っている写真が発見され、数年に渡る鑑定の結果、2013年2月にジョンソン本人と確認された。

2011年には、『The Complete Recordings』をリマスターして、『The Complete Recordings』に未収録だった「Traveling Riverside Blues」の別バージョンも収録した『The Centennial Collection』がリリースされた。 『The Complete Recordings』と比較するとノイズが増えたが、音質が向上した。

ジョンソンは他に1人の息子をもうけており、彼のは今もヘイズルハースト近郊に住んでいる。

ディスコグラフィー

  • The King of Delta Blues Singers (1961年、Columbia)
  • The King of Delta Blues Singers, Vol. 2 (1970年、Columbia)
  • The Complete Recordings (1990年、Columbia/Legacy)
  • The Centennial Collection (2011年、Columbia/Legacy)

関連する作品

関連項目

外部リンク