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'''森 荘已池'''(もり そういち、[[1907年]][[5月3日]] - [[1999年]][[3月13日]])は、[[日本]]の[[作家]]。
'''森 荘已池'''(もり そういち、[[1907年]][[5月3日]] - [[1999年]][[3月13日]])は、[[日本]]の[[作家]]。


[[岩手県]][[盛岡市]]出身。本名:'''森 佐一'''(もり さいち)。旧制盛岡中学(現[[盛岡第一高等学校]])、[[東京外国語大学]]ロシア語科中退。[[宮沢賢治]]と深い親交があり、賢治作品や賢治に関する文章を多く残している。
[[岩手県]][[盛岡市]]出身。本名:森 佐一(もり さいち)。旧制盛岡中学(現[[岩手県立盛岡第一高等学校]])、[[東京外国語大学]]ロシア語科中退。[[宮沢賢治]]と深い親交があり、賢治作品や賢治に関する文章を多く残している。

[[1940年]]、『店頭』で[[芥川賞]]候補、[[1943年]]、『蛾と笹舟』で第18回[[直木賞]]受賞。[[1994年]]、第4回宮沢賢治賞受賞。
[[1940年]]、『店頭』で[[芥川賞]]候補、[[1943年]]、『蛾と笹舟』で第18回[[直木賞]]受賞。[[1994年]]、第4回宮沢賢治賞受賞。



2005年12月26日 (月) 02:23時点における版

森 荘已池(もり そういち、1907年5月3日 - 1999年3月13日)は、日本作家

岩手県盛岡市出身。本名:森 佐一(もり さいち)。旧制盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)、東京外国語大学ロシア語科中退。宮沢賢治と深い親交があり、賢治作品や賢治に関する文章を多く残している。

1940年、『店頭』で芥川賞候補、1943年、『蛾と笹舟』で第18回直木賞受賞。1994年、第4回宮沢賢治賞受賞。

著書

  • 『店頭』
  • 『山畠』
  • 『蛾と笹舟』