「三ケ木」の版間の差分

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* [[1925年]]([[大正]]14年)7月1日、中野町(同年1月1日に町制施行)、太井村、又野村と合併し、[[中野町 (神奈川県)|中野町]](第2次)が発足。同町内の大字「三ヶ木」となる。
* [[1925年]]([[大正]]14年)7月1日、中野町(同年1月1日に町制施行)、太井村、又野村と合併し、[[中野町 (神奈川県)|中野町]](第2次)が発足。同町内の大字「三ヶ木」となる。
* [[1948年]]([[昭和]]23年)3月20日、中野町外2ヶ村学校組合立津久井高等学校認可、同年4月1日に神奈川県に移管、[[神奈川県立津久井高等学校]]となる。
* [[1948年]]([[昭和]]23年)3月20日、中野町外2ヶ村学校組合立津久井高等学校認可、同年4月1日に神奈川県に移管、[[神奈川県立津久井高等学校]]となる。
* [[1955年]](昭和30年)4月1日、中野町、串川村、鳥屋村、青野原村、青根村および三沢村の一部(三井)が合併し、津久井郡津久井町が発足。同町の大字「三ヶ木」となる。
* [[1955年]](昭和30年)4月1日、中野町、[[串川村]][[鳥屋村 (神奈川県)|鳥屋村]][[青野原村]][[青根村]]および[[三沢村 (神奈川県)|三沢村]]の一部(三井)が合併し、津久井郡津久井町が発足。同町の大字「三ヶ木」となる。
* [[1963年]](昭和38年)12月13日、[[神奈川中央交通]]が[[神奈川中央交通相模原営業所三ヶ木操車所|津久井営業所]]を中野から三ヶ木に移転。津久井郡内のバス交通のターミナルとなる。
* [[1963年]](昭和38年)12月13日、[[神奈川中央交通]]が[[神奈川中央交通相模原営業所三ヶ木操車所|津久井営業所]]を中野から三ヶ木に移転。津久井郡内のバス交通のターミナルとなる。
* [[2006年]]([[平成]]18年)3月20日、津久井町が相模湖町とともに相模原市へ編入。同市の大字「津久井町三ケ木」となる。
* [[2006年]]([[平成]]18年)3月20日、津久井町が[[相模湖町]]とともに相模原市へ編入。同市の大字「津久井町三ケ木」となる。
* [[2010年]](平成22年)4月1日、相模原市の[[政令指定都市]]移行に伴い、同市[[緑区 (相模原市)|緑区]]の大字「三ケ木」となる。
* [[2010年]](平成22年)4月1日、相模原市の[[政令指定都市]]移行に伴い、同市[[緑区 (相模原市)|緑区]]の大字「三ケ木」となる。



2011年8月26日 (金) 14:03時点における版

三ケ木(みかげ)は、神奈川県相模原市緑区にある地区である。「三ヶ木」と表記されることもある。

三ヶ木操車所が交通の拠点

概要

津久井町の北部に位置する。相模川道志川の合流点に近く、両河川の南側に広がる河岸段丘上に集落が分布する。旧津久井町内では比較的に広い平坦地が広がる地区であり、畑で野菜等が栽培されている。

国道412号国道413号が合流しているため、旧津久井郡地域における交通の要衝と位置づけられている。しかし公共交通機関がバスしかなく、最寄り駅である橋本駅相模湖駅へのアクセスも時間がかかることから軌道系交通機関の要望が出ている。また、「架空鉄道」趣味愛好者の間では通過地点として頻繁に登場するため「聖地」と呼ばれることもある。難読地名であることも人気の理由の一つである。

南に隣接する青山地区にかけての道志川沿いの区域は、1950年代にNHKラジオで放送され人気を博した児童向け連続放送劇「三太物語」の舞台として知られている。

主な施設

歴史

関連項目

参考文献

外部リンク