「グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ」の版間の差分
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'''グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ'''('''{{lang-la|Gnaeus Cornelius Scipio Asina}}''', [[紀元前3世紀]]、生没年不詳)は、[[第一次ポエニ戦争]]期の[[共和政ローマ]]の政治家・軍人。「アシナ」とは[[ラテン語]]で[[ロバ]]を意味する。 |
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ローマ筆頭の名門のひとつ[[コルネリウス氏族]]の[[スキピオ家]]に生まれる。父は[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス]]、兄弟には[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ]]がいる。 |
ローマ筆頭の名門のひとつ[[コルネリウス氏族]]の[[スキピオ家]]に生まれる。父は[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス]]、兄弟には[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ]]がいる。 |
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[[261年]]に[[コンスル|執政官(コンスル)]]に当選、新設のローマ海軍を率いる。そして[[メッシーナ海峡]]を巡回している際に[[リーパリ|リパラ]]がローマ側に寝返るとの情報を得る。戦略上重要な拠点を占拠して勝利を栄誉を得ようと焦り、リパラに急行するが、これは敵将[[ハンニバル・ギスコ|ギスコ]]の謀略で、港に乗り上げた際に海上を封鎖されてしまう。海戦に不馴れなローマ兵はパニックに陥り、自分達が乗っている船に構わず陸地に逃れてしまい、大した戦闘もなく易々とスキピオ |
[[紀元前261年]]、[[ガイウス・ドゥイリウス]]と共に[[コンスル|執政官(コンスル)]]に当選、新設の[[ローマ海軍]]を率いる。そして[[メッシーナ海峡]]を巡回している際に[[リーパリ|リパラ]]がローマ側に寝返るとの情報を得る。戦略上重要な拠点を占拠して勝利を栄誉を得ようと焦り、リパラに急行するが、これは敵将[[ハンニバル・ギスコ|ギスコ]]の謀略で、港に乗り上げた際に海上を封鎖されてしまう。海戦に不馴れなローマ兵はパニックに陥り、自分達が乗っている船に構わず陸地に逃れてしまい、大した戦闘もなく易々とスキピオは捕虜となってしまった。そして彼はローマ史上最初に海戦にて敗北した人物となった。 |
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この失敗により、後年スキピオは政敵に「ロバ」という意味の「アシナ」という呼び名で呼ばれるようになった。しかし[[254年]]に再びコンスルに[[アウルス・アティリウス・カラティヌス]]とともに当選している。 |
この失敗により、後年スキピオは政敵に「ロバ」という意味の「アシナ」という呼び名で呼ばれるようになった。しかし[[254年]]に再びコンスルに[[アウルス・アティリウス・カラティヌス]]とともに当選している。 |
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2011年4月29日 (金) 14:01時点における版
グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ(ラテン語: Gnaeus Cornelius Scipio Asina, 紀元前3世紀、生没年不詳)は、第一次ポエニ戦争期の共和政ローマの政治家・軍人。「アシナ」とはラテン語でロバを意味する。
ローマ筆頭の名門のひとつコルネリウス氏族のスキピオ家に生まれる。父はルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス、兄弟にはルキウス・コルネリウス・スキピオがいる。
紀元前261年、ガイウス・ドゥイリウスと共に執政官(コンスル)に当選、新設のローマ海軍を率いる。そしてメッシーナ海峡を巡回している際にリパラがローマ側に寝返るとの情報を得る。戦略上重要な拠点を占拠して勝利を栄誉を得ようと焦り、リパラに急行するが、これは敵将ギスコの謀略で、港に乗り上げた際に海上を封鎖されてしまう。海戦に不馴れなローマ兵はパニックに陥り、自分達が乗っている船に構わず陸地に逃れてしまい、大した戦闘もなく易々とスキピオは捕虜となってしまった。そして彼はローマ史上最初に海戦にて敗北した人物となった。
この失敗により、後年スキピオは政敵に「ロバ」という意味の「アシナ」という呼び名で呼ばれるようになった。しかし254年に再びコンスルにアウルス・アティリウス・カラティヌスとともに当選している。