「クイーン (護衛空母)」の版間の差分

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スコットランドのSt. Andrews などは、「セント・アンドルーズ」に改名済。アンドルーも参照。
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'''クイーン''' ('''HMS Queen, D19''') は、[[イギリス海軍]]の[[護衛空母]]。[[アメリカ海軍]]の[[ボーグ級航空母艦]]'''セント・アンドリュ''' ('''USS St. Andrews, AVG/ACV/CVE-49''') として完成し、[[レンドリース法]]に基づきイギリスに貸与された。
'''クイーン''' ('''HMS Queen, D19''') は、[[イギリス海軍]]の[[護衛空母]]。[[アメリカ海軍]]の[[ボーグ級航空母艦]]'''セント・アンド''' ('''USS St. Andrews, AVG/ACV/CVE-49''') として完成し、[[レンドリース法]]に基づきイギリスに貸与された。


== 艦歴 ==
== 艦歴 ==
セント・アンドリュは海事委任契約の下[[ワシントン州]][[タコマ (ワシントン州)|タコマ]]の[[シアトル・タコマ造船所]]で1943年3月12日に起工された。1943年7月15日に CVE-49(護衛空母)に艦種変更され、1943年7月31日にロバート・W・モース夫人によって進水した。1943年12月7日にレンドリース法に基づきイギリス海軍へ引き渡され、同日クイーン (''HMS Queen, D19'') の艦名でイギリス海軍で就役した。
セント・アンドは海事委任契約の下[[ワシントン州]][[タコマ (ワシントン州)|タコマ]]の[[シアトル・タコマ造船所]]で1943年3月12日に起工された。1943年7月15日に CVE-49(護衛空母)に艦種変更され、1943年7月31日にロバート・W・モース夫人によって進水した。1943年12月7日にレンドリース法に基づきイギリス海軍へ引き渡され、同日クイーン (''HMS Queen, D19'') の艦名でイギリス海軍で就役した。


クイーンは1944年を北[[大西洋]]で活動し、アメリカからイギリスへ兵員や物資を運搬する船団の護衛に従事した。1945年の前半には[[太平洋]]戦線へ移動した。
クイーンは1944年を北[[大西洋]]で活動し、アメリカからイギリスへ兵員や物資を運搬する船団の護衛に従事した。1945年の前半には[[太平洋]]戦線へ移動した。

2010年7月31日 (土) 21:38時点における版

艦歴
発注
起工 1943年3月12日
進水 1943年8月2日
就役 1943年12月7日
退役 1947年7月
除籍
その後
性能諸元
排水量 8,333トン
全長 496 ft (151.2 m)
全幅 69 ft 6 in (21.2 m)
吃水 23 ft 3 in (7.1 m)
機関
最大速 18 ノット
航続距離
乗員 士官、兵員646名
兵装 5インチ砲2門
連装40 mm機銃 8基、
20 mm機銃 27-35基
搭載機 18-24

クイーン (HMS Queen, D19) は、イギリス海軍護衛空母アメリカ海軍ボーグ級航空母艦セント・アンドルーズ (USS St. Andrews, AVG/ACV/CVE-49) として完成し、レンドリース法に基づきイギリスに貸与された。

艦歴

セント・アンドルーズは海事委任契約の下ワシントン州タコマシアトル・タコマ造船所で1943年3月12日に起工された。1943年7月15日に CVE-49(護衛空母)に艦種変更され、1943年7月31日にロバート・W・モース夫人によって進水した。1943年12月7日にレンドリース法に基づきイギリス海軍へ引き渡され、同日クイーン (HMS Queen, D19) の艦名でイギリス海軍で就役した。

クイーンは1944年を北大西洋で活動し、アメリカからイギリスへ兵員や物資を運搬する船団の護衛に従事した。1945年の前半には太平洋戦線へ移動した。

戦争が終了するとクイーンは1946年10月31日にバージニア州ノーフォークに帰還、イギリス海軍を退役しアメリカ海軍へ返還された。1947年7月に除籍され、アムステルダムN.V. Stoomv, Maats, Nederland Co. に売却、1947年7月29日に Roebiah と改名された。その後1967年に President Marcos、1972年に Lucky One と改名され、1972年に台湾でスクラップとして廃棄された。

関連項目


外部リンク