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*[[オルフェの遺言]] ''Le Testament d'Orphée''(1960年)
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*[[フランス式十戒]] ''Le Diable et le Dix Commandements''([[1962年]])
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*[[アイドルを探せ]] ''Cherchez l'idole''([[1963年]])
*[[アイドルを探せ (1963年の映画)|アイドルを探せ]] ''Cherchez l'idole''([[1963年]])
*[[キャンディ (映画)|キャンディ]] ''Candy''([[1968年]])
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*[[ブリキの太鼓]] ''Die Blechtrommel''([[1979年]])
*[[ブリキの太鼓]] ''Die Blechtrommel''([[1979年]])
*シャレード ''The Truth About Charlie''([[2002年]]) - 本名で登場し歌も披露した。
*シャレード ''The Truth About Charlie''([[2002年]]) - 本名で登場し歌も披露した。
*[[アララトの聖母]] ''Ararat''(2002年)
*[[アララトの聖母]] ''Ararat''(2002年)



== バックアップ歌手 ==
== バックアップ歌手 ==

2008年5月24日 (土) 08:59時点における版

シャルル・アズナヴール
Charles Aznavour
Շառլ Ազնավուր
ファイル:Aznavour-armenian-priests.jpg
Charles Aznavour in Yerevan
基本情報
出生名 シャアヌール・ヴァリナグ・アズナヴーリアン
Shahnour Vaghinagh Aznavourian
生誕 (1924-05-22) 1924年5月22日(99歳)
フランスパリ
ジャンル ポップ, シャンソン
職業 シンガーソングライター, 俳優, public activist
活動期間 1936年 - 現在
レーベル EMI, MusArm
公式サイト www.c-aznavour.com

シャルル・アズナヴールCharles Aznavour1924年5月22日 - )は、フランスパリ出身のシンガーソングライター俳優である。本名シャアヌール・ヴァリナグ・アズナヴーリアン(Chahnour Varinag Aznavourian)。アルメニア人系。

経歴

彼の父はグルジアで生まれ、その父(シャルルの祖父)はロシアニコライ2世料理人をしていた(最近本人がニコライ2世ではないと否定した)。母はトルコアルメニア人商人の家系である。彼らはアメリカ行きのビザを申請するためパリに滞在している時に落ち合い、1922年に結婚した。

シャルルの両親は早くから彼とその兄弟をパリに持つレストランや多くの舞台に立たせた。9歳より芸能活動を開始し、アズナブールの芸名を名乗る。

1946年に、フランスの有名な女性歌手エディット・ピアフに認められたことにより彼の経歴は飾られている。彼女のフランスおよびアメリカのツアーに同伴した。

彼のシャンソンはそのほとんどが愛を謳い上げている。また60本以上の映画にも出演している。5つの言語で歌い、彼は最も世界に知られたフランスのシャンソン歌手の1人である。

代表曲

  • 「愛のために死す(炎の恋) Mourir d'aimer」
  • 「アヴェ・マリア Ave Maria」
  • 「生命にかけて Sur ma vie」
  • 「想い出の瞳 Et pourtant」
  • 「想い出をみつめて Mes emmerdes」
  • 「帰り来ぬ青春 Hier encore」
  • 「哀しみのヴェニス Que c'est triste Venise」
  • 「希望に満ちて Je m'voyais deja」
  • 「声のない恋 Mon emouvant amour」
  • 「コメディアン  Les comediens」
  • 「じっとこうして Reste」
  • 「ジュザベル Jezebel」
  • 「青春という宝 Sa jeunesse」
  • 「世界の果て  Emmenez-moi」
  • 「遠い想い出 Non je n'ai rien oublie」
  • 「人々の言うように Comme ils disent」
  • 「フォー・ミー・フォーミダーブル For me formidable」
  • 「二つのギター Les deux guitares」
  • 「昔かたぎの恋 Les plaisirs demodes」
  • 「ラ・ボエーム La boheme」
  • 「ラ・マンマ La mamma」
  • 「私は旅する Je voyage」
  • 「私は一人片隅で Et moi dans mon coin」
  • 「酔いしれて」
  • 「忘れじのおもかげ(シー)  She」(イギリスの連続TVドラマ「女の七つの顔」のために作られ、さらに映画ノッティングヒルの恋人』の主題歌としてリバイバル・ヒット、また仏語詞が後で付けられている Tous Les Visages De L'amour)などがある。

1964年に彼が作詞・作曲した「アイドルを探せ La plus belle pour aller danser」もシルヴィ・バルタンが唄って大ヒットした。

主な出演作品

バックアップ歌手

シャルル・アズナヴールは親友ミッシェル・ジュールダンと共に3人の歌手をバックアップしている。フランス人のマリー・ラザロは「忘れ得ぬ面影」はじめ楽曲を提供。日本の浜﨑久美子にはCDへのメッセージ、TVでの対談。岡山加代子には最新曲「ジュ ボヤージュ」の歌唱に対しメッセージを贈っている。他に瀬間千恵ヒロシマ」、堀内環美しき絆」が法定訳詞歌唱者となっている。

日本公演

その他

外部リンク