「三宝院」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
ところが、[[応仁の乱]]で三宝院が焼失してしまい、廃寺同然となるが、[[安土桃山時代]]に醍醐寺金剛輪院の院主であった[[義演]]が[[豊臣秀吉]]の信頼が厚く、金剛輪院を中心に有名な「[[醍醐の花見]]」が開かれた。義演は准三后となり、秀吉の許可を得て三宝院32世を名乗り、金剛輪院を三宝院と改称した。義演は[[徳川家康]]からも信任を受け、[[江戸時代]]初期の[[天台宗]]系修験道である[[本山派]]本山の[[聖護院]]との相論では[[江戸幕府]]の支援を受けて、[[慶長]]18年([[1613年]])に[[修験道法度]]が制定された。
 
[[明治]]4年([[1871年]])、[[廃仏毀釈]]の影響で[[門跡]]号を差し止められるが、14年後に復称する。現在では、真言宗醍醐派総本山としての醍醐寺の宗務事務所が三宝院内に設置され、醍醐派管長・醍醐寺座主・三宝院門跡の三職を兼務する事が定められている。現在は[麻生文雄]が在位.
 
==関連項目==
匿名利用者

案内メニュー