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2007年8月5日 (日) 05:04時点における版
ボウイ・クーン(Bowie Kent Kuhn,1926年10月28日 - 2007年3月15日)は、MLBの第5代コミッショナー、アメリカ合衆国の弁護士。メリーランド州タコマパークに生まれ、ワシントンD.C.で育った。1969年2月4日から1984年9月30日までMLBのコミッショナーを務めた。
人物
オーナー、選手会、ファンなどとことごとく対立するけんか腰の強い人物であった。自己中心的なオーナーには資格停止、あるいは罰金を科した。選手会とはフリーエージェント制導入をめぐり激しく対立。選手会委員長のマービン・ミラーはクーンを宿敵と呼び、クーンはミラーを鶏小屋を荒らす狐と非難した。また、コーチだったウィリー・メイズとミッキー・マントルのカジノとの兼業を認めず、この2人は球界を離れた。そのため、ファンはクーンが球界から追放したと非難した。この2人を賭博に関与したとして資格停止処分にしたこともある。
1977年9月3日に王貞治が通算本塁打数世界記録を更新したときクーンは「世界記録であることは認めるが、大リーグ記録ではない」との声明を発表している。球団数拡張、ワールドシリーズのナイター開催、アメリカン・リーグでの指名代打制の導入、ディビジョン制の導入などの功績も残している。1969年のMLB選手平均年俸は約1万9,000ドルだったが、1984年には約33万ドルにまで上昇した。2007年3月15日、肺炎による呼吸不全のためフロリダ州ポンテベドラビーチの病院で死去。
著作
- コミッショナーは戦う(ベースボール・マガジン社、原題:Hardball) ISBN 978-4583028187
関連書籍
- FAへの死闘―大リーガーたちの権利獲得闘争記(ベースボールマガジン社、マービン・ミラー著、原題:A Whole Different Ball Game) ISBN 978-4583030944
関連項目
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