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「Wikipedia:コメント依頼/Seisato 20150510」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Seisato (会話 | 投稿記録)
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しっかり議論を尽くすというのは、相手の意見と出典と方針文書を読んでそれに沿って行うものです。Seisatoさんの行動は議論を行うために当然の前提とされるこれらの軌範に沿ったものではありません。--[[利用者:Sube|Sube]]([[利用者‐会話:Sube|会話]]) 2015年6月12日 (金) 16:19 (UTC)(修正)--[[利用者:Sube|Sube]]([[利用者‐会話:Sube|会話]]) 2015年6月12日 (金) 16:19 (UTC)(再々修正)--[[利用者:Sube|Sube]]([[利用者‐会話:Sube|会話]]) 2015年6月12日 (金) 17:00 (UTC)
しっかり議論を尽くすというのは、相手の意見と出典と方針文書を読んでそれに沿って行うものです。Seisatoさんの行動は議論を行うために当然の前提とされるこれらの軌範に沿ったものではありません。--[[利用者:Sube|Sube]]([[利用者‐会話:Sube|会話]]) 2015年6月12日 (金) 16:19 (UTC)(修正)--[[利用者:Sube|Sube]]([[利用者‐会話:Sube|会話]]) 2015年6月12日 (金) 16:19 (UTC)(再々修正)--[[利用者:Sube|Sube]]([[利用者‐会話:Sube|会話]]) 2015年6月12日 (金) 17:00 (UTC)

{{コメント}} ご無沙汰しています。HTTHです。最近、非常に実生活で多忙でした(忙しいことはいいことです)。しかしそれ以前からウィキペディアでの活動に、無力感、ありていに言えば投げやりな気分でした。

そんな中、[[利用者‐会話:HTTH#「共同提案」について]]をSeisatoさんからもらいました。私の発言が再三引用され、これの解釈を巡って、この場にいる人を不快にさせると思うのですが、悪い意味での「ウィキペディア的議論の応酬」が続いています。これを終わらせるためには、私本人が述べるしかない、と思ったのでまた来ました。私は自分の発言には、責任を持ちたいと思っています。

*「''『話し合いでドイツの第二次世界大戦後の戦後補償を合意の上出しましたという言葉は事実ではなく』という指摘です。私としては、この会話欄でのやりとりの上でのことですから共同提案としましたが''」Seisatoさんの発言

私は、Seisatoさんの言うような「共同提案」は、事実と異なる解釈だと思っています。

私はSeisatoさんが私の会話ページで提示した「ドイツの第二次世界大戦後の戦争賠償」と「ドイツの第二次世界大戦後の戦後補償」を見て、前者は絶対無理、後者ならいける、と思い、後者に同意する旨の意見を述べました。ですから「共同して提案」したと認識していませんでした。

率直に言えば私はSeisatoさんの提示を見た時に、彼に対し否定的な印象を持ちました。

その理由は、Subeさんが再三「戦争賠償」とした場合の問題点を指摘しているにもかかわらず、あいかわらず提示案に「戦争賠償」を入れたためです。「ドイツの戦後補償」に対して、Subeさんは「第二次世界大戦後にドイツが行った戦後補償」という意味が明確になるならば賛成です」と言っているのに、なんでまた「戦争賠償」に戻っていってしまうのか、と。

最後に言いたいことを言わせてもらえば、私はウィキペディアで、訂正する、加筆する、翻訳して立項するといった、記事に手を加える活動が好きでした。
そしてSubeさんは、自分の良く知っている分野で、執筆する、立項する、改名する、議論する人だと私は思っています。

そういう人が議論をするならいいのですが、しかし私の目からは、そうではない人々がいて、議論ばかりを果てしなく続けます。執筆はどうなっているのですか。ここは百科事典をつくる場ではないのですか。ウィキペディアがこういうことを是とする場所ならば、活動する意義のある場なのか、と自問しています。--[[利用者:HTTH|HTTH]]([[利用者‐会話:HTTH|会話]]) 2015年6月27日 (土) 19:04 (UTC)


=== 改名提案に求められる厳密さ ===
=== 改名提案に求められる厳密さ ===

2015年6月27日 (土) 19:04時点における版

利用者:Seisato会話 / 投稿記録さんの、Wikipedia:独自研究は載せないをはじめとする方針への無理解、言動についてのコメント依頼を行います。--Sube会話) 2015年5月10日 (日) 14:31 (UTC)(修正)--Sube会話) 2015年5月10日 (日) 14:42 (UTC)(微修正)--Sube会話2015年5月14日 (木) 15:23 (UTC)[返信]

※一ヶ月の意見募集後、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Seisatoを提出しています。経緯は以下をお読みください--Sube会話2015年6月12日 (金) 18:37 (UTC)[返信]

依頼者の説明によるこれまでの経緯

前提

利用者:Seisato会話 / 投稿記録さんは「首尾一貫しているというポイントを挙げます。記事の英語名と日本の戦争賠償との記事名の比較上」の問題として、ドイツによるナチス・ドイツを原因とする賠償を「ドイツの第二次世界大戦の戦争賠償」に改名するべきとして 2015年3月6日 (金) 12:47 (UTC)に改名提案を提出されました[1][返信]

改名提案後の2015年3月17日 (火) 12:15 (UTC)、私(利用者:Sube会話 / 投稿記録)が補償内容には第二次世界大戦勃発以前のナチス政権による迫害が含まれているため、そのことをオミットされる提案だとしてこの名前に反対しました[2]。この時、Seisatoさんは私の反対は「誤解に基づく」とし、「私は「第二次世界大戦の結果によってドイツに発生した戦争賠償、およびナチス・ドイツの迫害を原因として発生した賠償・補償について記述する。」という現在の方針に異議は無いです。ですから、いわゆる「ナチス・ドイツ」の迫害というのは含まれているわけです。」という意見を明示されました[3]

独自研究の観点

Seisatoさんは「ナチス・ドイツ」という名称を用いれば、戦争責任が「ナチス単体」のものになってしまうという意見を述べられました[4]

その上で私は、「第二次世界大戦の戦争賠償」では戦前の時期は含まれなくなりかねず、現状の「ナチス・ドイツ」という名称についてもナチス統治時代のドイツを指し示す一般名称なのだから分離される懸念はないという意見を出しました。これはコメント依頼を見てきてくださった利用者:Sugarman会話 / 投稿記録さんも同意見です[5]

Seisatoさんはなおも、「ナチス・ドイツ」という名称が「正式名称ではない」「POVである」という立場をその後も継続されました。そのため私はその意見の出典を求めましたが、Seisatoさんが提出される出典は「戦争責任や迫害の責任をナチスのみに押しつけてはならない」という趣旨の出典のみで、「ナチス・ドイツ」が問題を引き起こす名称かどうかについて言及した出典は一例もありませんでした。特に2番目に出典として出された「“戦争責任”とは何か―清算されなかったドイツの過去 (中公新書)」[6]の著者木佐芳男氏は「ご存じかどうか、ヒトラーが率いるナチスドイツはソ連へ攻め込んで行って、いわゆる独ソ戦争というものが展開されたわけです。」[7]と発言しており、そのような意見を持っていない可能性が極めて高く、現に改名提案から2ヶ月たっても言及されている一節すら提示されませんでした。これは明白な独自研究です。

なお、出典などでは「ナチス」「ナチ」といった言葉は繰り返して用いられており、Seisatoさん自身も「ナチ」という言葉を用いた案を提案されるなど[8]、議論は「ナチスが蔑称だから」という観点ではありません。

その他方針の無理解

(1)私が反対意見を述べてから一週間後、「ナチスという政体に罪を転嫁するPOV上の問題があるという指摘に答えていませんね?答えて下さらないのならば、2:1で改名します。」2015年3月24日 (火) 11:44 (UTC)と発言されています。議論を投票で決着させるにはあまりにも短く、(しかもこの間に行われた意見のラリーは2回分)投票で決着させるのはあまりにも時期尚早です。この時点でコメント欄で発言されていたのは、モンゴルの白い虎さんとSeisatoさん、私のみです。この時点でモンゴルの白い虎さんは賛否を行っておられず[9]、それを賛成側にカウントしていました。Wikipedia:論争の解決の順序を踏み外しています。

(2)Seisatoさんは2015年3月20日 (金) 12:44 (UTC)に「ナチス・ドイツ」は[10]で正式名称でないということを反対理由としてあげました。しかしWikipedia:記事名の付け方#国名にあるように、過去の国名については「過去にあった国については、もっとも一般的な呼称を記事名にするのが適切です」とされています。そのことを指摘した後の4月3日になっても同様に正式名称であることを理由とされています[11]。方針文書を本当に読まれているのか極めて強い疑念を持ちます。

論争の態度について

(1)Seisatoさんはドイツに発生した戦争賠償、およびナチス・ドイツの迫害を原因として発生した賠償・補償について記述する。」という現在の方針に異議は無いです。ですから、いわゆる「ナチス・ドイツ」の迫害というのは含まれているわけです。」という意見を明示されましたが[12]、「①「ナチス迫害と戦争賠償を分けることは許されない」②「戦争賠償のタイトルの中にナチス迫害を入れないことも許されない」と主張されてきました。これらのことは「ちゃんとした出典」に基づく主張なのでしょうか?」(2015年4月10日 (金) 13:52 (UTC))[13]と、現在の方針事態に異議を唱えるかのような質問を行われました。

その後2015年5月10日 (日) 09:22 (UTC)に「それは様々な意見の方と合意をする為に自分の主張を引っ込めたり譲歩したりした部分があるということです。その上で言いますと、Subeさんには私はかなりの譲歩をしてきました。ナチスという表現が重要と言われたのでそれを入れたり、長いと言われたので、文字数を減らしたり。それでもSubeさんは納得されずに、私に都合よく高いハードルの出典を要求されてきました。そのようなやり方をされるのであれば、Subeさんの主張に「同程度の出典はあるのか?」と思い尋ねたところ、そのレベルの出典をお示し頂けませんでしたので、私は「分離する」という選択肢を今後も持ち続けるという意味で合意なしとさせて頂きました。」[14]という回答がありました。

まず主題が含まれるかどうかの出典自体は本文中にリンクされているのを読めば明白であるということを[15][16]たびたび言及してきましたが、Seisatoさんは内容の評価すら行っておらず「同程度のレベルの出典」が出されていないと言っています。そしてSeisatoさんが出典を出したという認識を持っている人間は議論参加者のSeisatoさんを含んで除いて誰もいません。そして「私は「分離する」という選択肢」を持ち続けるという発言は、議論において自分の立場を隠し、議論の武器として自らの意見を変えるということになります。立場を明確化させず、相手の対応次第で前提となる意見すらコロコロ変える相手は、議論の相手として成立しません。また、そんな人間が果たして本当のことを言っていると理解できるものでしょうか。

(2)2015年4月16日 (木) 13:55 (UTC)において私が行った質問について、Seisatoさんは2週間、利用者:HTTH会話 / 投稿記録さんからの勧告があるまで回答しませんでした。対話無視である上に、「その他方針の無理解」(1)と同様に、自分と同意見である(と認識した)人とで多数決を強行しようとした姿勢が明白です。基本的に合意プロセスを認識しておられません。

(3)[17]など、たびたび私が記述したわけではない事を私の意見として認識しています。「その他方針の無理解」(1)の件もその例ですが、他人の意見を自分なりに解釈するところが強すぎます。「私の言い分に真正面から答えない残念な態度ですね」[18]「誤解に基づく反対をどう理解すればよいのか迷うところですが」[19]などと、他人の意見をどうも決めつける嫌いがあるようです。

被依頼者のコメント

独自研究の観点

独自研究の観点という点につき答えます。恐らくWikipedia:独自研究は載せないのことを指しているのだと思います。引用します。

「独自研究(original research)」とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです。

私は出典に基づいた主張をしたつもりです。その点はノートで示したつもりです。

簡単に説明しますと、ドイツにはWW2の戦争責任をナチスにのみ帰するような風潮或いは歴史認識が強くあった、というものです。それにもとづいてナチス・ドイツという単語を表題に使うのは不適切ではないか、と説明してきました。その過程でPOVではないかという表現を多用しました。これらの出典はいずれもれっきとした出典として通じるものであることは第三者の方から見て理解できるものと思います。「ナチス・ドイツ」という言葉が中立的でない、という表現は短絡的な表現であったかと反省すべきかもしれません。その点は、「ナチス・ドイツという言葉自体に問題はないが、戦争賠償の問題においては、ナチスという単語を含む言葉を用いると『ナチスのみに責任を帰す』という方向性を強調することになる」と出典を用いて丁寧に説明すべきでした。

私の主張に「こじつけだ」と批判的な見方をすることも可能かもしれません。しかし、そのような高いハードルを課して問われた方は当該ノートでの議論において、依頼者のみであるように思います。逆に依頼者の「「ナチスの責任」と「ドイツの戦争賠償」を(ページを)分離してはいけない」という主張には、ちゃんとした出典があるのか?と聞くと「両者は同じ出典に書いてある」という内容の回答でした。

仮に私の主張が「独自研究の観点」で直接主張できる内容ではないという問題があるならば、依頼者の改名議論におけるこの主張にも同じことが言える、と考えております。その点、余り公平でない態度で私を非難していると感じています。--Seisato会話2015年5月16日 (土) 08:00 (UTC)[返信]

その他方針の無理解

(1)について、「2015年3月24日 (火) 11:55」に改名の方針を示しましたところ、第三者の方より「モンゴルの白い虎氏は賛成者ではない」との指摘を「2015年3月24日 (火) 12:50」受け、私は「2015年3月24日 (火) 13:30」に議論を続ける表明をしました。この間、二時間足らずのことでした。議論の噛み合わなさから拙速な判断であったと思います。

(2)について、ナチス・ドイツが正式名称でないことはお認め頂けているようでありがたいです。ナチス・ドイツという単語を使うことが適切かどうかについてはかなり長い期間話をしてきましたが、基本的に「ドイツ」という言葉が出典が使われている方が多いですし、「ドイツの~」という改名提案を他者のHTTHさんもされています。この点、私の主張は変なことだとは思いません。ただ、重ねて書きますがPOVという言葉を安易に使ってしまったことは間違いであったと思います。 --Seisato会話2015年5月16日 (土) 08:58 (UTC)[返信]

論争の態度について

(1)率直に言って何を批判されたいのか良く分かりません。指摘された点につき、私は意見を変えました。それどころか、改名案を何度となく変えています。他者と合意するためです。

独自研究の観点でも指摘しましたが、「分割すること」の是非について、「同じ出典にかいてあるから」分割できない、という主張は私に対する主張を「独自研究の観点」と批判したロジックがそのまま当てはめることが出来ると思います。

同じ本に「ナチス」と「国防軍」があればそれらは分離してはいけない?そんなことはないでしょう。

「相手の対応次第で前提となる意見すらコロコロ変える相手」私は、Subeさんと合意するべく何回も意見を変えてきました。いくらかの譲歩もしました。しかし、ずっと一方通行で頑強に主張なされるSubeさんと合意することができずに結局案を撤回したこともあります。それは私が批判されることなのでしょうか?

意見を変えることや留保することを「武器」と例えることに何の意味があるのでしょうか? --Seisato会話2015年5月16日 (土) 08:58 (UTC)[返信]

(2)「対話無視」とのことですが、私の言い分に答えないことはSubeさんもありました。私が初期に2:1で改名するという反応を引き出した時の態度です。また、私が同じ質問を二回しないとお答えいただけなかったこともありました。(『①「ナチス迫害と戦争賠償を分けることは許されない」②「戦争賠償のタイトルの中にナチス迫害を入れないことも許されない」と主張されてきました。これらのことは「ちゃんとした出典」に基づく主張なのでしょうか?』という質問です。) これらはお互いに直すべき点ではないでしょうか?

(3)につき、同じことの繰り返しなので、返答不要に思います。 --Seisato会話2015年5月16日 (土) 08:58 (UTC)[返信]


改名提案の現状について

依頼者のコメント依頼から来られた第三者のHTTHさんと私で共同提案をしており、それにIP58xvさんからの賛成も頂きました。反対者のSubeさんは非常に頑固で困ったなという印象です。IP58xvさんと依頼者との議論も平行線であれば、2ヶ月以上経っていますし、3:1で改名依頼を出しても問題なしと考えています。--Seisato会話2015年5月16日 (土) 08:58 (UTC)[返信]

他の方からの指摘について

Bsxさんとは、過去一つ・現在一つややこしい長期に渡る議論をしています。その点で私を批判したいのだと思います。私はBsxさんのおかしな点は当該ページで議論しつつ、今回依頼者から私に対して指摘を受けた点については、注意していくつつもりです。--Seisato会話2015年5月16日 (土) 09:04 (UTC)[返信]

IP58xvさんからの「強引な印象」とのご指摘につき、確かに見返すとそのような点があり、注意する必要があると思っています。ルールについては、どのような点でしょうか?ちょっと良く分かりません。--Seisato会話2015年5月16日 (土) 09:04 (UTC)[返信]

青鬼よしさんからのの指摘について

青鬼よしさんの指摘について。「それに反する他ユーザーからの意見は排除する。」とのことですが、青鬼よしさんの引用部分からそれが間違いであることが分かります。「「強い否定表現を用いる」ことは特別な主張に当てはまる、という主張ですか?」という質問でClaw of Slimeさんと議論に呼びかけています。それに対して、Claw of Slimeさんは何も答えて下さりませんでした。これを排除と取ることはおかしいです。なお私の編集である「異常な反応」という表現については最終的に削除されました。

「朝日新聞は出典とするには問題がある」という理由、については何度も説明しております。少なくとも一人私の説明に対し、「CHELSEA ROSEさんは「済み」をわざわざ貼ってる」という事例を挙げて私の説明に納得している人がいると説明しました。それに対して青鬼よしさんは「Seisatoさんに賛意を示しているとは読めませんので、CHELSEA ROSEさんに聞いてみますね。」と言われています。

自分で「聞く」と意思表示しながらその行為をせずに勝手に編集を進めるのは不思議です。「CHELSEA ROSEさんに聞いてみます」と書かれたのは青鬼よしさんです。何故、そうなさらないのでしょうか?「誰からも同意を得られていないため」と書いてしまう青鬼よしさんの説明は非常に偏っていると思います。 --Seisato会話2015年5月23日 (土) 05:33 (UTC)[返信]

ちなみに最初のコメントはIPユーザーからの「個人的には、この件で、書く・書かないは、バランス、センスだと思います」という賛成・反対とどちらでもないユーザーの意見でした。しかし、青鬼よしさんは「Seisatoさんの間違いを皆さんが指摘して議論は終結」という認識を示されています。何故このような認識になるのでしょうか?青鬼よしさんが議論が参加せずにそのまま消去となった事案です。もちろん、私はノートでの議論を呼びかけています。--Seisato会話2015年5月23日 (土) 05:40 (UTC)[返信]

Seisatoさん。自分の編集を他人の責任に転嫁するクセは止めましょうね。
もともと、Seisatoさんが出典付きの記載を出典がないと(意図的であるかは問いませんが)勘違いをして削除をし、出典付きであることを指摘されると「朝日新聞の出典はダメ」というSeisatoさん独自のルールを提示し、全てのWikipediaユーザーに従うように要求し、誰も合意していないというのが現状です。
長くなりますが、以下に議論の経緯を提示します。

「呼びかけ人」というものの一覧を書く必要性がどこまであるか不明です。構成員一覧でもない?サイトを見ましたが任意団体で代表者不明、住所があるわけでもなく存続性・継続性が不明なので、呼びかけ人の項目を消しましたが、残すべきでしょうか?--Seisato会話) 2014年11月16日 (日) 11:09 (UTC)

個人的には、この件で、書く・書かないは、バランス、センスだと思います。団体の存在は確認されているので、公式発表があれば書いて差支えないけれど、後はバランスの問題ではないでしょうか? --60.142.16.246 2014年11月25日 (火) 09:51 (UTC)
「負けるな北星!の会」は新聞各紙でも話題となっていましたし、なぜ、削除をしたいのかがよくわかりません。もう少し、詳しく削除理由を説明してくださいませんか?--青鬼よし会話) 2014年11月28日 (金) 06:42 (UTC)
はい。ではルール上出典が無いので消します。団体自体サイトの出典になりえますが、自身のサイトは宣伝になりやすいので気をつける必要がある、とルールにありますよね?団体名は新聞各紙に載ってますので団体名を書くのは問題ないと思います。朝日新聞という会社名が載っているので、朝日の会社員(或いは役員)一覧を載せるものでもないでしょうし、北星大学も同様でしょう。呼びかけ人一覧が載った信頼できる出典はありますでしょうか?見つけられませんでした。よって消します。--Seisato会話) 2014年12月7日 (日) 11:40 (UTC)
あなた何言ってんですか?ちゃんと出典があるじゃないですか?こんなの本文少し見ればわかるでしょうに。[20]誠意に欠けた行動であるとしか思えません。議論のやり方や発言も問題ありだと思います。故意の錯誤とまではいいませんが、もう少し丁寧に進めてほしいものです。--218.47.21.61 2014年12月16日 (火) 00:51 (UTC)末文追記--218.47.21.61 2014年12月16日 (火) 01:00 (UTC)
IP218さん、出典を見つけて下さりありがとうございます。私はその記事を見つけられませんでしたので、感謝します(私が出典を見つけられなかったからといって私が誠意を欠いているとは思いません)。ところで、朝日以外に一覧が載った出典はありますでしょうか?朝日はこの問題では、ほぼ当事者なので、地の文の出典とするには少し問題があるのではないかと考えますがいかがでしょうか?--Seisato会話) 2014年12月16日 (火) 11:40 (UTC)
朝日以外の出典の提示が無い為、記述は削除します。もしありましたら、教えてください。--Seisato会話) 2014年12月27日 (土) 13:53 (UTC)
Seisatoさん。消したらダメですよ。ちゃんと出典あるんですから。Seisatoさんは、こちらの記載[21]は消すなと主張されています[22]が、引用箇所に該当するページ数も明記がなく、内容も憶測(~あるとされる)にすぎないものです。「僕が消したいから消す。残したいから残す。」なんて理由では同意できませんよ。この件について、まだ消したいというようでしたら、編集合戦になる前に、コメント依頼などを出しておくことをお薦めします。--青鬼よし会話) 2014年12月31日 (水) 10:33 (UTC)
「僕が消したいから消す。残したいから残す。」ということしか伝わってないのであれば残念です。理由は書いていますのでお読みになった上で議論への参加をお願いします。--Seisato会話) 2015年1月4日 (日) 06:54 (UTC)
朝日以外の出典の提示が無い為、記述は削除します。今後の記述復活はノートでの合意を得てからお願いします。--Seisato会話) 2015年1月13日 (火) 12:29 (UTC)

ちなみに、結論が出た後も、ノートページで質問を投げ続け、疲弊した相手をノートページから撤退させることは「議論を呼びかける」とは呼ばないかと思います。(英語版Wikipediaで日本に関する記事に参加する愛国的な韓国人ユーザーがSeisatoさんと同じ思考でしたので、慣れてはおりますが) --青鬼よし会話2015年6月6日 (土) 05:24 (UTC)[返信]

えっと、お願いなのですが「被依頼者のコメント」として書かれている部分には第三者のコメントは書くべきではないと思います。そういう慣例かルールかになっているように思います。
「結論が出た後も」これはどのように判断されたことでしょうか?賛成・反対の投票があったとは思えませんが。「ノートページで質問を投げ続け、疲弊した相手をノートページから撤退させる」疲弊するのは確かにそうです。私もそうですから。しかし、議論が長期化すればそういうものではないですか?どこかで区切りをつけて賛成・反対の票を数えて、結論を出す。そういうのがwikipedia的なやり方ではないですか?しかし、そういう手続きは無かったですよね?4回書いたら疲弊させたということですか?「結論」への理解に私と青鬼よしさんで差異はあるのはこの為ではないでしょうか?--Seisato会話2015年6月6日 (土) 05:53 (UTC)[返信]
たとえば、IP58xvさんは私と何度か議論をしてますが、IP58xvさんはこの議論で疲弊したのでしょうか?私が折れたこともあれば、IP58xvさんが折れたこともあります。--Seisato会話2015年6月6日 (土) 05:53 (UTC)[返信]

依頼人からの再度の指摘について

「被依頼者の活動を弁護される声がまったく存在しません。」。IP58xvさんからHTTRさんと私とでまとめた提案に賛成がありました。これは私の言い分に一定の正しさが有ると認めてもらえたことであると思います。「まったく存在しない」という理解が何故起こるのか分かりません。逆に依頼者以外に「反対者」が居ないことをどう考えているのでしょうか?--Seisato会話2015年6月6日 (土) 04:15 (UTC)[返信]

「ナチス・ドイツはPOV上問題がある」という主張は乱暴な主張であったと思っております。故にそのことにつき、お怒りの点があっても仕方ないとは思います。しかし、それ故に私の言い分が全否定されたり、言い分が独自主張であるとハードルを上げる依頼者の言い分は分かりません。

方や、依頼者の主張はどうなのか?「分割できない」という主張は「独自研究」に当たらないのか?不思議に思います。また、依頼者は「調停案」という言葉を使われています。しかしHTTRさんによる「提案」です。「調停」という言葉は依頼者自身による解釈です。

提案を「調停」と言い換えることはまるで賛成者としてカウントしたくないが如き振る舞いです。依頼者の振る舞いは、引き伸ばしではないのか?という疑問がわきます。

賛成を示したIP58xvさんに対しても、「ペンディング(保留)だ」という主張で賛成者としてカウントしたくない主張をされています。


どちらが議論の引き伸ばしを図っているのでしょうか?

--2015年6月6日 (土) 04:29 (UTC)

旭日旗の保護依頼における言動([23])が悪かったという主張ですが、私にルールへの不理解がありましたことは事実です。経験上からの早とちりがありました。ちなみに「「編集(半)保護は編集合戦の当事者の一方に都合のいい状態を固定化させるためのもの」ではない」という指摘は明文上のルールではなく、revert関連の記述から、そういう理解の下に運用されている、と理解しました(そういう明文ルールはWikipedia:保護の方針では見つけられなかったので)。それを私の理解不足とまで言って批判材料にされますが、同じくルールへの不理解から「要件に合致しない」保護依頼を行ったBsxさんは批判されるべきことでしょうか?私はそうは思いませんが。そんなことでは誰も保護依頼をできなくなりますし、そこで意見を言うことも出来なくなります。--Seisato会話2015年6月6日 (土) 05:00 (UTC)[返信]

IP124さんからの指摘

『「このコメント依頼では」という前置きが省略されている』との指摘ですが、正直言ってその省略は分かりませんでした。依頼者は私への指摘を更に広げているわけですが、依頼者のみが議論する範囲を自由に設定できるというのは、被依頼者にとってとても不利な制度になってしまうように思います。そもそも「ノートにおける改名議論」が発端な訳ですし。何よりIP58xvさんは、ここでのコメント依頼に賛成のことを書かれていますし。「それは含まれない」という指摘はそれとして受け止めたいと思いますが。--Seisato会話2015年6月6日 (土) 05:10 (UTC)[返信]

自分の主張に拘泥して議論の進め方が強引である、という主張については、そのような部分があったことは事実です(最初の2:1での採決部分)。しかし、すべての部分で私の活動がそうであったことはありません。議論による妥協も多数ありました。依頼者が意見をころころと変えると私を批判しているのは無視されるのでしょうか?IP124さんは怒るかもしれませんが、私が改名議論でHTTRさんと合意したことは無視されるのでしょうか?私が常に自説に拘るかのような指摘は間違いです。--Seisato会話2015年6月6日 (土) 05:28 (UTC)[返信]

花蝶風月雪月花警部様さんからの指摘

個人的な目的達成のため故意にそのような態度を取っているとの指摘はどうでしょうか。ノート:日本のヘイトスピーチでも花蝶さんに限らず、青鬼よしさんともバッティングするような事例があったかもしれません。そのような一種、政治的な部分は中立性の問題になりやすいところであるとも思います。「合意」のについての理解の仕方は議論の理解の仕方であろうと思います。同様の指摘を青鬼よしさんから受けましたが、花蝶さん指摘のノート:任那日本府については、合意の有無やその範囲についてノートの議論を立ち上げればよいのではないでしょうか?と思っています。「削除された記述の復帰」については、一番下に書いてあったコメントを管理者(裁定者)のものと勘違いしたものです。その点、青鬼よしさんより指摘が入り訂正しました。--Seisato会話) 2015年6月12日 (金) 13:57 (UTC) 間違い修正 --Seisato会話2015年6月19日 (金) 13:15 (UTC)[返信]

改名提案における主張の仕方とその根拠

依頼者が言うここでの独自主張云々には、あまり第三者の方からのコメントは無いように思いますが、改名提案があるノート:西ドイツを見ても、必ずしもしっかりとした出典を用いている人が居るわけではありません。ルール上、どういう部分を重視するか。或いは、何が重要かをそれぞれの立場で主張されています。そういった議論を「独自主張」として排することが有益なのでしょうか?

又、改名の基準に繋がる議論もありました。プロジェクト‐ノート:サッカークラブなどでは、wikipediaのルールにある、正式名称を採用されるかどうか、でかなりの議論をBsxさんとしました。規約等を用いてかなり長い議論になりました。二度のテーマで「正式名称を採用すべき・そうでなくてもよい」という立場を、私とBsxさんで入れ替わった議論もしました(つまり、二人は二回のテーマで両者の立場を取って議論をした)。結局、私が二度ともBsxさんを説得できなかったのですが。しかし、これら議論は「どちらかが必ず正しい」ということを意味しないからだと思うわけです。--Seisato会話2015年6月19日 (金) 13:12 (UTC)[返信]

第三者のコメント

依頼者である利用者:Sube会話 / 投稿記録さんの掲出された ドイツによるナチス・ドイツを原因とする賠償ノート / 履歴 / ログ / リンク元 での改名論争の他に、被依頼者である 利用者:Seisato会話 / 投稿記録 さんが関係して論争が進行中(と思われる)項目に以下のものがあり、いずれも議論が長期化しているという特徴があります。

で、私も過去・現在に被依頼者といくつか論争を行いましたが、自説に同意する論争参加者がいれば多数決をもって結論を帰着させようとする、自説に反対する論争参加者がいれば議論の論点を微妙にずらして相手が議論を放棄するのを待つなど、総じて「出典や方針を恣意的に解釈し、自分の見解に沿った記述に固執する」傾向が見られると解しています。要はWikipedia:中立的な観点の曲解または拡大解釈ではないかと考える次第です。--Bsx会話2015年5月11日 (月) 14:32 (UTC)[返信]


植村隆の記事で議論をしましたが、議論のやり方が丁寧でなく、強引な印象を受けました。他人の書いたコメントをもう少し丁寧に読み込んで論理的に反論するように意識して欲しいと思います。あと個人的な印象論ですが、ルール遵守の意識が低いように思いました。もう少しルールを遵守する意識を持たれた方がよろしいと思います。なお、このコメント依頼の発端となった依頼者の改名提案自体には賛成です。--IP58xv会話2015年5月14日 (木) 16:09 (UTC)[返信]


ノート:旭日旗#韓国の反応が異常である件についてSeisatoさんの議論を見ましたが「自分がWikipediaに書きたい主張に執着し、それに反する他ユーザーからの意見は排除する。」「問題解決のための議論ではなく、相手を疲弊させ、議論を放棄させるための議論をする。」の傾向がありました。議論の終段が分かりやすいので、紹介させていただきます。--青鬼よし会話2015年5月17日 (日) 04:21 (UTC)[返信]


出典に全く書かれていないことをさも書かれているかのように記述しようとすることは独自研究の典型であり、Seisatoさんご自身による特別な主張に他なりません。記事を差し戻した花蝶風月雪月花警部さん、Ks aka 98さん、こちらでの議論に参加しているBsxさん、Los688さん、私の少なくとも計5人から「異常な反応」という記述が否定されている事実をまずは受け入れてください。その箇条書きにしても限定列挙ではなく単なる例示にすぎないでしょう。このようなことは言いたくありませんが、Seisatoさんの日本語の読解能力には疑問を感じざるを得ません。--Claw of Slime会話) 2014年6月7日 (土) 09:41 (UTC)

例示のどれにも当てはまらないが「強い否定表現を用いる」ことは特別な主張に当てはまる、という主張ですか?そういう主張を始めると勝手な解釈がまかり通るように思うのですが。何の為に例示してあるか、考えないのでしょうか?--Seisato会話) 2014年6月7日 (土) 13:23 (UTC)
特段、説明をしてくださらないので議論を終了します。--Seisato会話) 2014年6月19日 (木) 12:14 (UTC)

なお、Seisatoさんは植村隆の記事で「「負けるな北星!の会」について」の記述について、「朝日新聞は出典とするには問題がある」という理由で「朝日以外の出典の提示が無い為、記述は削除します。今後の記述復活はノートでの合意を得てからお願いします。」とノートページで一方的に宣言し、記述を削除する行為を繰り返しております。青鬼よしはノートにおいてSeisatoさんの主張は誰からも同意を得られていないため、これを復旧させる作業を続けております。--青鬼よし会話2015年5月17日 (日) 04:38 (UTC)[返信]

コメント この被依頼者からのコメントですが、このコメント依頼で指摘されている問題点が端的に表されています。依頼者は「(このコメント依頼には)被依頼者の活動を弁護される声がまったく存在しません。」と言っているのです。「このコメント依頼では」という前置きが省略されていることはわけもなく理解できるはずですが、被依頼者は理解できないのか、自分に都合よく解釈しようとしているのか、おかしなコメントをしています。理解できないにせよ、都合のよい解釈をしているにせよ、問題といえるでしょう。このことはIP58xvさんからは「他人の書いたコメントをもう少し丁寧に読み込んで論理的に反論するように意識して欲しい」とコメントされていますし、依頼者からは「他人の意見を自分なりに解釈」とコメントされています。Claw of Slimeさんからは「Seisatoさんの日本語の読解能力には疑問を感じざるを得ません」と厳しく指摘されています。またこうした無意識または恣意的な解釈は「出典や方針を恣意的に解釈し、自分の見解に沿った記述に固執する」(Bsxさん)、「自分がWikipediaに書きたい主張に執着」(青鬼よしさん)にもつながっているのでしょう。--124.110.166.107 2015年6月6日 (土) 05:03 (UTC)[返信]

コメント なんだか被依頼者に対する糾弾コメントばかり目立つようですが、わたしは被依頼者が誠実さを欠いているような人物とは思えません。現に、このコメント依頼の発端となったドイツによるナチス・ドイツを原因とする賠償の改名に関しては、わたしは被依頼者の改名提案に一理ある、というか正論だと思います。また、同議論について言及すれば、わたしは依頼者の言[24]に従い、議論進行をペンディングとしたのであって、改名には明確に賛成の立場です[25]。もし、これが上の被依頼者の言にあるとおり「賛成を示したIP58xvさんに対しても、「ペンディング(保留)だ」という主張で賛成者としてカウントしたくない主張をされています。」ということであれば、これは依頼者の行動に問題があるのではないかと疑わざるを得ません。 被依頼者に関して言えば、被依頼者のコメントを読めば、反省の兆しがみえるようです。ときどきの編集、議論において行き過ぎがあったことを認め、その反省をこれからの活動にいかしてくれるのであればこれ以上指弾しようとは思いません。これよりは、出典の解釈を真摯に行い、議論相手の論拠を明確に把握し、論理的な反論を行う、もし論理的に反論しえないのであれば、物事の正誤に関わらず、自説に拘泥せず、引き際と認め、主張を引っ込める、そうしたことを今後履行されるとお約束いただけるのであれば、わたしとしてはそれで結構、一切文句はありません。--IP58xv会話2015年6月7日 (日) 13:18 (UTC)[返信]

コメント 被依頼者氏の主張は、方針およびガイドラインに準拠していないだけでなく、意味不明かつ支離滅裂なものが多く、被依頼者氏自身も自分が何を言っているかを理解できていないのではないかという印象を受ける。被依頼者はどこでもそのような態度を取っているわけではないので、これは必ずしも能力(理解力)の欠如ではなく、個人的な目的達成のため故意にそのような態度を取っている可能性が高い。自身の編集や主張を通し、かつ批判的な対話者を排除することが出来れば、方針およびガイドラインへの抵触や不整合、過去の議論についての事実誤認、自身の主張の矛盾点などがあっても気にしないということかもしれない。ノート:ドイツによるナチス・ドイツを原因とする賠償における「俺ルール」の提示(改名に反対なら代案を出すよう主張([26]))や、存在しない「合意」を持ち出す行為(例えば、任那日本府([27])、植村隆(青鬼よし氏指摘の件や、削除依頼により削除された記述の復帰[28])。いずれもノートにそれらしき議論はあるが、合意された形跡は無い→任那日本府#左派系学者と限定してよいのでしょうかWikipedia:削除依頼/植村隆ノート:植村隆#「日本を嵌める人々」の潮氏の証言を出典とした記述について)などにもそうした姿勢が垣間見られる。

ノート:旭日旗における議論の流れを見ても、被依頼者氏が1年経ってもWikipedia:中立的な観点ひとつ理解しない(したくない様子が濃厚)状況では、他の問題についても改善の可能性はほぼ皆無と言うしかない。したがって、次の段階へ進むのもやむを得ないと見る。--花蝶風月雪月花警部会話2015年6月9日 (火) 03:23 (UTC)[返信]
花蝶風月雪月花警部さん、申し訳ないようにも思うのですが言わせてもらいます。あなたは過去、わたしが行った出典付き記述を幾度か問答無用でリバートを行い、「荒らし」よばわりもしています。その点について説明を求めたところ[29]、あなたからの返事は幾度も滞り、対話拒否にあたるのではないかとまで言われてようやく返事を行うということを繰り返した挙句、「、「荒らし」とまでは行かないにしても「不適切な編集」には当たると見た」[30]と少なくとも「荒らし」ではないこと認めた訳です。しかしながら謝罪の言葉は一切なく、わたしから謝罪の要求と、さらに、何が「不適切」なのかについて問い合わせをさせてもらいましたが、結局、返事がなされることはありませんでした。自らの犯した誤りに対し謝罪もできず、自らの発した言辞に対する説明もできないあなたに他者を糾弾する資格があるのでしょうか。--IP58xv会話2015年6月9日 (火) 09:14 (UTC)[返信]

コメントを受けて依頼者よりのコメント

コメント依頼を開始してから、被依頼者の活動を弁護される声がまったく存在しません。

  • Seisatoさんが『「独自研究(original research)」とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです。』と言う文章を読んだ上で、独自研究ではないと主張されるならば、「ナチス・ドイツという用語はナチスという政体に罪を転嫁し、ドイツを免責する」という考えを誰がどの信頼できる媒体において発表したのか答えられるのでしょうか。Seisatoさんのコメントにある庄司氏の論文には、「ナチス・ドイツという言葉すら出てこない」のです。
  • Seiseitoさんが私がコメントを無視したという意見がありますが、それはどういうことかよく検討してみました。
(2)「私が初期に2:1で改名するという反応を引き出した時の態度です。」
おそらく「ナチスという政体に罪を転嫁するPOV上の問題があるという指摘に答えていませんね。」という部分だと思うのですが、「POV」に対する回答は2015年3月20日 (金) 14:30にすでに「ナチス単体なら(ナチス・ドイツではなく)「ナチス」や「ナチ党」になるはずではないでしょうか。」ということを言及しています。これに対する回答や再質問はありませんし、その後にナチスはPOVではないが、ナチス・ドイツならPOVになるという理論の説明は未だになされていません。
(2)「また、私が同じ質問を二回しないとお答えいただけなかったこともありました。」
2015年4月10日 (金) 13:52 (UTC)の発言のことだと思いますが、私はその時点で前の質問に対する回答を求めている最中です。それが解決しない状態で、「①「ナチス迫害と戦争賠償を分けることは許されない」②「戦争賠償のタイトルの中にナチス迫害を入れないことも許されない」と主張されてきました。これらのことは「ちゃんとした出典」に基づく主張なのでしょうか」という質問をされる意図が、出典提示から逃れるために、議論の前提をひっくり返す行為ではないか判断し、出典提示を求めることが先決だと考えたからです。「あなたはドイツのWW2の戦争賠償ではなく、ドイツの補償に絞って書きたいのですかね?」(2015年3月30日 (月) 13:43 (UTC))と書く人が分離したいという趣旨の質問を行うとは普通考えられません。現に議論の前提を何とも思っていないことは明らかとなりました。
なお、このレベルの質問無視なら、「またSeisatoさんの論法ではナチスのみに「迫害」の罪を押し付けることになりませんか。」(2015年3月30日 (月) 17:16 (UTC))「貴方が再三出典としている木佐芳男氏の本の何ページに「ナチス・ドイツ」という用語はいけないと書いているのですか。」( 2015年4月4日 (土) 13:25 (UTC))など数々の無視があります。おそらく他のことを言うほうが先決だと思われたのでしょうが、それくらいの裁量権がSeiseitoさんにあるなら他の利用者にもあります。
しかし何より重要なのは、Seiseitoさんの行った行為は明かな無視です。つまり私が問いただしているときに、HTTHさんとだけ合意を成立させ、改名の合意としようとしたことが明白な点です。反応はしているが、議論の以前のことについて話すのと、なんの反応も示さないのではレベルが違いすぎます。
  • またナチス・ドイツが正式名称でないことはお認め頂けているようでありがたいですという発言がありましたが、このコメントの趣旨は議論開始間もない「2015年3月20日 (金) 14:30 (UTC)」にすでに言及していますし、2015年4月4日 (土) 13:25 (UTC)にも言及しています。それに私を含めナチス・ドイツが正式名称だと主張した人は誰もいません。「お認め頂けているようでありがたいです」と喜んでおられることから察するに、後段の「過去の国名については「過去にあった国については、もっとも一般的な呼称を記事名にするのが適切です」とされています。とあるから、記事名において「正式名称」云々は議論の要点でもなんでもないということをこの時点でも理解されていないのでしょう。この点だけからでも、相手のコメントも方針文書をまったく読んでいないことは明白です。

また、2015年4月15日 (水) 17:56 (UTC)にHTTHさんより「ドイツの戦後補償」ではどうかという調停案が出されました。 Seiseitoさんはこれに賛成の意を示し、2015年5月23日 (土) 06:29‎で「反対の意思表示で現行案を主張されているのはSubeさんだけです」とのべ、2015年5月16日 (土) 07:22 (UTC)にも「ほかにSubeさん以外の反対の方はいらっしゃいますでしょうか?」と、私が反対していると認識して、コメント依頼中にもかかわらず、改名合意を主張しています。ですが、私はこのHTTHさんの投稿があっ抵抗その案に反対の意思表示を示したこともないばかりではなく、2015年4月16日 (木) 13:55 (UTC)に『「第二次世界大戦後にドイツが行った戦後補償」という意味が明確になるならば賛成です。』というコメントをしています。 2015年5月23日 (土) 13:05‎‎にはこのリンクを再度示しましたが、特段の反応も見られないところをみると、読んでもおられないでしょう。意見の違い云々以前に、相手がどのような意見を述べているかを把握していない方と合意形成が行えるでしょうか。以前指摘しましたように、Seisatoさんが意見を把握できていないのは、意見が対立している相手だけでなく、Seisatoさんが自分に好意的と見られていると判断している方についても同様です。

3月以来3ヶ月にわたってみてきたところでは、Seiseitoさんは、出典の内容も把握せず、wikipediaの方針文書も読まず、相手の会話文も読んでいないというのが私の出した結論です。また履歴などを観察してみましたが、この3ヶ月の間にも管理者の方に注意されることを数度見てきました。特に旭日旗の保護依頼[31]での言動は、かなりひどいものがあります。2013年4月9日 (火) 14:21から2年以上にわたって活動を続けてきておられる方が、突然言動を改めるとは思えません。現に他のページでも議論が長期化している案件を多数抱えておられます。Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者として、各種方針の熟読期間を相当程度取っていただく必要があるのではないかと考えております。このままの現状であれば、依頼から1ヶ月後の6月10日にまとめを行い、しかるべき措置を執ります。--Sube会話) 2015年6月3日 (水) 13:13 (UTC)(修正)--Sube会話2015年6月4日 (木) 14:49 (UTC)[返信]

Seisatoさんの再コメントを受けて返答します。IPアドレスの方の指摘に加え、私が言っているのは「被依頼者の活動」です。被依頼者の活動を弁護される声が存在しないというのは、「Seisatoさんの活動はwikipediaのルールにおいて適切である」「Seisatoさんはきちんと出典を示している」「Seisatoさんの活動は相手の意見をきちんと聞いている」という声が存在しないことです。意見は同意できるが手法には同意できないということは、いくらでもあることです。「意見活動は違います。」。
また、コメント依頼の冒頭に『利用者:Seisato(ノート / 履歴)さんの、Wikipedia:独自研究は載せないをはじめとする方針への無理解、言動についてのコメント依頼』と明記してある以上、議論の範囲としてSeisatoさんの活動すべてが議論の対象になるのは当然ですし、他のコメント依頼でも同様です。また合意形成についてはWikipedia:合意形成にあるように、議論参加者のうち複数人が同意見となることではありません。
さらに、「どちらが議論の引き伸ばしを図っているのでしょうか?」という意見は、私が「Seisatoさんは議論の引き延ばし行為を行っている」と非難していることを前提としたコメントのようですが、「相手を疲弊させ、議論を放棄させるための議論をする」と指摘されたのは青鬼よしさんのコメントで、私のコメントではありません。いつの間に私がそのような主張をしたことになったのでしょうか。
Seisatoさんの6月6日分のコメントを読んだところ、結局のところ私のコメントをまったく読んでおらず、人の意見の区別もしておらず、私が何を問題にしているかということすら理解できていないという認識がさらに強化されました。--Sube会話) 2015年6月6日 (土) 06:55 (UTC)(修正)--Sube会話2015年6月6日 (土) 08:53 (UTC)[返信]

IP58xvさんの6月7日コメントに対して

利用者:IP58xv会話 / 投稿記録さん、2015年5月15日 (金) 13:12 (UTC)にお答えした内容を、再々掲示します。 「私はこのHTTHさんの投稿があって以降その案に反対の意思表示を示したこともないばかりではなく、2015年4月16日 (木) 13:55 (UTC)に『「第二次世界大戦後にドイツが行った戦後補償」という意味が明確になるならば賛成です。』というコメントをしています。‎[返信]

その他の詳細はIP58xvさんのノートに書いておきますが、改名提案はSeisatoさんがブロックされたとしても終了しません。意見がある方は、ノート:ドイツによるナチス・ドイツを原因とする賠償の議論を読んだ上でご参加ください。私自身の立場は上に示したとおりであり、現項目名を何が何でも維持するべきだという提案は行われていないため、現時点では改名はおそらく行われます。--Sube会話2015年6月7日 (日) 14:45 (UTC)[返信]

まとめ

コメント依頼の開始より一ヶ月が経過しましたので、まとめに入らさせていただきます。

改名提案について

まず、依頼の発端となった改名提案は、改名を行った時点が終結点ではなく、「冒頭文で内容を補足する」ということが、 被依頼者を含む方々より提案されています。タイトルを決めるということは、 即ち記事の方向性自体もきめることになり、それは当然信頼できる情報源に基づくべきことです。 当然議論の参加者としては誠実に相手の意見を聞くことができ、出典を確認し、wikipediaの方針を理解している必要があります。 ペンディングなのは、議論提唱者のSeisatoさんがその要件を満たしていないのではないかということにつきます。

被依頼者は誠実か

IP58xvさんを除く方々からは、多数、被依頼者の行動について否定的な意見をいただきました。あちらこちらで問題を抱えていらっしゃるようです。その点は各ノートなどを見たところ、誠実な態度を貫かれておられるとは、私の印象ではいえません。

IP58xvさんは被依頼者が誠実さを欠いた人間とは思えず、「反省の様子が見られる」とコメントされましたが、以下の点だけでも被依頼者の態度が誠実とは思えません。 IP58xvさんはノート:ドイツによるナチス・ドイツを原因とする賠償の議論に参加される意向を示しておられ、私と今後議論を行う意志を明言されておりますが、 もし私や他の参加者が同様な行動を取っても誠実とみなしていただけるのでしょうか。私は見なすことはできません。

  1. 2対1(しかも事実ではない)の時点で多数決による合意形成の強行することを繰り返す。
  2. 出典にまったく言及されていない事象を出典に基づくとくりかえし応答する。
  3. 自分が守るといった記事の前提を、相手が自分の案に合意しないからという理由で、明確な提案もなしにひっくり返す。
  4. 2週間にわたる対話無視(HTTHさんに促されてようやく返答)
  5. 相手が「○○という形になるなら賛成です」というコメントをしているのに「改名反対」と相手の賛否を把握しない。しかも複数回提示しているのにコメントすらしない。
  6. さらに青鬼よしさんの指摘にある「Wikipedia:信頼できる情報源」の出典付記述の合意無き除去のくりかえしは、「荒らしと認定される方もいる」ほど重大な案件で、IP58xvさん自身も、花鳥風月雪月花警部さんをその点で非難されています。さらに同様の発言をノートでもお見かけしました。なぜその指摘があったのに「誠実な態度」にしか見えないのか、私には理解ができません。削除するなら、まず反証となる出典を明示するか、記述の必要性がないことを「合意」するべきでしょう。

執筆者・議論者としての資質

また、被依頼者が誠実に対応していて以下のようなことを本当に考えているなら、別の観点から編集者としての適性に疑義がわきます。

  • 「調停案」は「提案」ではないから、無視しようとしているという論理(論理的に意味をなしていないだけでなく、前項4から見ても明らかに事実と矛盾している)
  • 前項4の時点で普通に相手のコメントを読んで対応していれば、コメント依頼に移る前に改名合意ができたことを完全に無視している。

コメント依頼参加への的確性

なお、当コメント依頼はあくまで被依頼者の行動に関するコメント依頼です。被依頼者以外の行動についてはノートか、その方のコメント依頼を建てて行うべきです。 ブロック依頼もされていないユーザーが、コメント依頼に参加する資格がないと認定する資格を、wikipediaのルール上誰が持っているのでしょうか。 たとえば、私は被依頼者の言動にまったく納得しておらず、不誠実だと思っていますが、だからといってここで「反論するな」と言えるでしょうか。 なので、花鳥風月雪月花警部さんの発言についてはあくまでその内容が事実かどうかを論じるべきです。

その指摘にある「任那日本府#左派系学者と限定してよいのでしょうか」で合意が成立したという認定は、「誰と誰が?」と言うことにつきます。 この議論において、参加者は「ろう(Law soma)」さん、「薔薇騎士団」さん、「121.3.66.64」さんの三人で、「121.3.66.64」さんは出典なしに「左派」という言葉を用いることに反対しています。 「ろう(Law soma)」さんが左派系以外も含まれるとして「左派系学者など」に改める旨の発言をされましたが、誰もその後にコメントをしていません。 「ろう(Law soma)」さんの意見を読んだかどうかも確認できない状態で、誰と誰が合意をしたのでしょうか。 少なくとも差し戻しの根拠として「合意」を持ち出すのは明らかに意味が不明です。

まとめの結論と提言

いずれにせよ、IP58xvさんが議論に加えるべきでないと主張される、花鳥風月雪月花警部さんを除いたとしても、 相手が議論に服するべきだと被依頼者が唱える、2対1の比率を遙かに超えた状態です。 ウィキペディアは多数決主義ではありませんが、 時間もリソースを大幅に費やしたことでもあり、次のフェイズに移るべきだと思います。

なお、ブロック依頼提出は最終点ではなく、依頼の審議次第では取り下げとなる可能性もあります。 IP58xvさんや他のブロック依頼参加者の方々が、議論やノートの内容をふまえて、私や皆さんが提出したSeisatoさんの行動の問題点が 「誤解に基づく」「実はちゃんと答えていた」と正確にご指摘いただけるのであればいつでもブロック依頼を取り下げます。 もちろんそうなればコミュニティの総意でブロックは行われないでしょう。

さらに言えばブロック自体は追放ではありません。今回私自身が提案するブロックは、方針文書熟読のための有期ブロックです。

いずれにせよ、これ以降のコメントは投稿ブロック依頼のページでお願いいたします。IP58xvさんは、被依頼者のどの点を誠実と見なしたのでしょうか。そして参加者が指摘する点は、どのような意味で誠実と見なせるのでしょうか。ブロック依頼の議論にご参加いただけるようでしたら、あらためてご説明をお願いいたします。--Sube会話) 2015年6月10日 (水) 13:55 (UTC)(追記)--Sube会話2015年6月10日 (水) 14:44 (UTC)[返信]


Wikipedia:投稿ブロック依頼/Seisatoを提出しました。--Sube会話2015年6月10日 (水) 14:12 (UTC)[返信]

被依頼者からのまとめ

依頼者とは三ヶ月に渡り、改名提案を巡り、議論してきました。しかし正直良く分からない。疲れた。

改名提案での依頼者の言い分

主に私の提案に反対で当初「ナチス・ドイツ」という言葉を外すことに対して反対であるような印象を受けました。そこで、ナチスという言葉を入れた提案を行いましたが、それでも納得して貰えませんでした。長い名前は駄目だ、と。そこでルールにあるように30文字未満に削り再提案しました。ドイツの第二次大戦の戦争賠償とナチ政権関連の戦後補償という提案です。しかし、今度は「と」での繋げ方を理由に受け反対されました。正直、困ったな、と思いました。

依頼者は第三者の意見を求める「コメント依頼」を行いました。HTTHさんから「提案」を受け、私との話し合いでドイツの第二次世界大戦後の戦後補償を合意の上出しました。「「第二次世界大戦後にドイツが行った戦後補償」という意味が明確になるならば賛成です。」と書いたと依頼人は主張しています。しかし、私の提案に賛成というような反応はありませんでした。被依頼者は「二週間無視した」と私を批判します。では、この提案に対する依頼者の態度はどうなるのでしょうか?

ドイツの第二次世界大戦後の戦後補償という提案は『「第二次世界大戦後にドイツが行った戦後補償」という意味が明確』になっていないと思われますか?それ以前にもドイツの第二次大戦の戦争賠償とナチ政権関連の戦後補償という提案をしました。これも、WW2以後であることは明らかですが、ずっと被依頼者の反対という意見は変わりませんでした。

今更、依頼者が「反対者では無い」という主張をすることが驚きです。合意をめざすのであれば「その提案には賛成だが~」というような意見をなぜ、出さなかったのでしょうか?譲歩を見せる態度はありませんでした。

他の方から、他の場面での私の議論の態度について多くの批判を頂きました。早期に強引に結論にもっていこうとする、とするお叱りは尤もであると反省する次第です。一方、私はしっかり議論を尽くす態度を取ってきたことは、私自身はWikipediaのルールに全うするものだと考えてきました。それが相手を疲弊させるものだ、と言われてしまうとどうすればいいか迷ってしまうところです。

IPxv58さんから、本件改名提案につき明確に賛成と意思表示を頂きました。依頼者がもし本当に賛成であるのであれば、私が書き込めない結果になろうとも、改名提案を自ら行って欲しいと願う次第です。

他の場面での意見についても後ほど、まとめを入れたいと思います。--Seisato会話2015年6月12日 (金) 13:44 (UTC)[返信]


HTTHさんからの提案から、利用者‐会話:HTTH で私がHTTHさんに二つの案を提示してHTTHさんが一方を選んだわけですが、依頼者はこれを「話し合いでドイツの第二次世界大戦後の戦後補償を合意の上出しましたという言葉は事実ではなく」と評価されるわけですが、訳が分かりません。--Seisato会話2015年6月19日 (金) 13:39 (UTC)[返信]

Seisatoさんのコメントに対する対応

Seisatoさん、相手のコメントを読まずにコメントをするだけで疲れるのです。 読んで返答する相手はどれだけ疲れるでしょうか。その内容が内容であればなおさらです。

改名提案議論の経緯

これを見て分かるように、HTTHさんがいらっしゃる前のSeisatoさんの提案は、ナチス・ドイツがPOVである、という立場にたった上で、「戦争賠償」と「戦後補償」を常に並列提示している提案です。「戦争賠償」と「ナチ政権下での補償」を包括する概念としての「戦後補償」という案は一度も出されませんでした。(脱落部分の修正)--Sube会話2015年6月12日 (金) 16:44 (UTC)[返信]

今更

  • ドイツの第二次世界大戦後の戦後補償という提案は『「第二次世界大戦後にドイツが行った戦後補償」という意味が明確』になっていないと思われますか?
    • 「ドイツの第二次世界大戦後の戦後補償」はHTTHさんの指摘があって以降の「2015年5月4日 (月) 09:47 (UTC)」にSeisatoさんが提唱された案です。それ以降に私がその意見に反対したという文章を書いたことはありません。あるなら履歴をリンク付で提示してください。

Seisatoさんは、私が「現状の題名を維持するとして反対している」と一方的に認識し続け、言及しています。

そして、上の発言で、「今更、依頼者が「反対者では無い」という主張をすることが驚きです。」という発言がありましたが、まず私のコメントを読めば反対の意思表示などしていないことは明白な上に、 このコメント依頼でも2015年6月3日 (水) 13:13 (UTC)の時点でこの話をしています。 ところが6月6日の被依頼者の発言ではこれにまったくふれていないどころか、「逆に依頼者以外に「反対者」が居ないことをどう考えているのでしょうか?」という発言をしています。依頼者が反応を示したのは10日後の今日です。 2015年4月16日 (木) から数えてほぼ二ヶ月目。今更という反応をこの時点で行う。まさにいまさらです。読んでいないからこそ、こんな発言をできるのです。

さらに、合意をめざすのであれば「その提案には賛成だが~」というような意見をなぜ、出さなかったのでしょうか?にぴったり該当する、 「2015年4月16日 (木) 13:55 (UTC)に行った『「第二次世界大戦後にドイツが行った戦後補償」という意味が明確になるならば賛成です。』私の提案に賛成というような反応はありませんでした」としています。Seisatoさんの提案はHTTHさんの意見と同じではなかったのですか? 共同提案という言葉はどこへ行ってしまったのでしょうか。

被依頼者のストーリー

ちなみにHTTHさんが被依頼者の話に応答したのは、HTTHさんのノートでの業務連絡的なものをふくめ3回で、被依頼者が「ドイツの第二次世界大戦後の戦後補償」を提案した後、 被依頼者の問いかけに答える形で、HTTHさんは「合意がつくれるなら、私は「ドイツの第二次世界大戦後の戦後補償」でいいと思います。「これこそが正しい!」といったものはありませんので、その他類似のものでも、合意がつくれればそれが一番です」と答えられたのが、本議論に関するHTTHさんの最後の発言です。見ての通り、私との話し合いでドイツの第二次世界大戦後の戦後補償を合意の上出しましたという言葉は事実ではなく、HTTHさんの「ドイツの戦後補償」という語に「第二次世界大戦後の」をつけて案を出したのはSeisatoさんであり、HTTHさんは積極的な合意をしていません。合意だったとしてもこれは「追認」です。「合意の上出しました」というのは二人で話し合って「それでいこう」と合意してから、ノートに提案されたことを指す話です。ちなみに両者の履歴をたどっても、HTTHさんのノートと改名提案のノート以外で接触はありません。

さらに言えば、この被依頼者のストーリーの中で「話し合って」いた期間こそが、被依頼者が私に対して対話拒否をしていた期間です。私の『「第二次世界大戦後にドイツが行った戦後補償」という意味が明確になるならば賛成です。』というコメントがあった直後のことです。

Seisatoさんのまとめは事実関係も時系列も論理もあべこべです。

もし合意を目指して議論するため、ちゃんと相手のコメントさえ読んでいれば、このような事態に至ることはありません。 私がそれ以降反対し続けているのは、そのような虚構にすがるほかなくなるような自滅的な対応をしてきた、Seisatoさんの態度です。

しっかり議論を尽くすというのは、相手の意見と出典と方針文書を読んでそれに沿って行うものです。Seisatoさんの行動は議論を行うために当然の前提とされるこれらの軌範に沿ったものではありません。--Sube会話) 2015年6月12日 (金) 16:19 (UTC)(修正)--Sube会話) 2015年6月12日 (金) 16:19 (UTC)(再々修正)--Sube会話2015年6月12日 (金) 17:00 (UTC)[返信]

コメント ご無沙汰しています。HTTHです。最近、非常に実生活で多忙でした(忙しいことはいいことです)。しかしそれ以前からウィキペディアでの活動に、無力感、ありていに言えば投げやりな気分でした。

そんな中、利用者‐会話:HTTH#「共同提案」についてをSeisatoさんからもらいました。私の発言が再三引用され、これの解釈を巡って、この場にいる人を不快にさせると思うのですが、悪い意味での「ウィキペディア的議論の応酬」が続いています。これを終わらせるためには、私本人が述べるしかない、と思ったのでまた来ました。私は自分の発言には、責任を持ちたいと思っています。

  • 『話し合いでドイツの第二次世界大戦後の戦後補償を合意の上出しましたという言葉は事実ではなく』という指摘です。私としては、この会話欄でのやりとりの上でのことですから共同提案としましたが」Seisatoさんの発言

私は、Seisatoさんの言うような「共同提案」は、事実と異なる解釈だと思っています。

私はSeisatoさんが私の会話ページで提示した「ドイツの第二次世界大戦後の戦争賠償」と「ドイツの第二次世界大戦後の戦後補償」を見て、前者は絶対無理、後者ならいける、と思い、後者に同意する旨の意見を述べました。ですから「共同して提案」したと認識していませんでした。

率直に言えば私はSeisatoさんの提示を見た時に、彼に対し否定的な印象を持ちました。

その理由は、Subeさんが再三「戦争賠償」とした場合の問題点を指摘しているにもかかわらず、あいかわらず提示案に「戦争賠償」を入れたためです。「ドイツの戦後補償」に対して、Subeさんは「第二次世界大戦後にドイツが行った戦後補償」という意味が明確になるならば賛成です」と言っているのに、なんでまた「戦争賠償」に戻っていってしまうのか、と。

最後に言いたいことを言わせてもらえば、私はウィキペディアで、訂正する、加筆する、翻訳して立項するといった、記事に手を加える活動が好きでした。 そしてSubeさんは、自分の良く知っている分野で、執筆する、立項する、改名する、議論する人だと私は思っています。

そういう人が議論をするならいいのですが、しかし私の目からは、そうではない人々がいて、議論ばかりを果てしなく続けます。執筆はどうなっているのですか。ここは百科事典をつくる場ではないのですか。ウィキペディアがこういうことを是とする場所ならば、活動する意義のある場なのか、と自問しています。--HTTH会話2015年6月27日 (土) 19:04 (UTC)[返信]

改名提案に求められる厳密さ

なお、改名提案については以下のような問題点があります。

今まで戦争賠償を入れ続けるべきと言ってきた、Seisatoさんが、「戦争賠償」という語が無い案に突然賛成したことは、一件極めて不可解です。 その際、「少し違うのですが」と言っていますが、この少しには極めて多くの問題が含まれていることを理解していません。

しかもその賛成の後、被依頼者は「ナチス迫害と戦争賠償を分けることは許されない」のかという発言を繰り返し行っており、この「戦後補償」という語を「戦争賠償」のみとして扱おうとしている疑念すらあります。 HTTHさんが提案の根拠とされた「朝日新聞掲載「キーワード」 「ドイツの戦後補償」:「旧西ドイツはナチスによる人種や信教などを理由とした迫害について、1956年制定の連邦補償法を軸に補償してきた。」、「『「強制的断種」の被害者』『アーリア化による財産被害』(矢野久「ドイツ戦後補償と強制労働補償基金の意義」)」など、戦争賠償に含まれないものが、この出典によって明白に言及されているのです。つまり、ドイツの場合、「戦後補償」に戦争賠償は含まれますが、その逆では決してないのです。それをまったく理解しない物です。

おそらく被依頼者は戦争賠償と戦後補償の区別もついておらず、ただ改名提案で「勝利」するためにHTTHさんの提案にのったのにすぎないでしょう。だから出典の意義を踏みにじる行為を平然と行えるのです。 その傍証となるのが、被依頼者の態度です。「IPxv58さんから、本件改名提案につき明確に賛成と意思表示を頂きました。」とありますが、IPxv58さんの発言は「ドイツの第二次世界大戦の戦争賠償」のほうが直裁的かつ簡潔で意味がわかりやすいです。という発言です。Seisatoさんの初期提案である「ドイツの第二次世界大戦の戦争賠償」であり、HTTHさんが提唱された「戦後補償」であるとは、書いてある文章だけでは読み取れません。 「ドイツの第二次世界大戦の戦争賠償」と「ドイツの第二次世界大戦後の戦後補償」とは意味も含む範囲もまったく違います。その後で「戦後補償のほうが現状の記事名よりは納得しやすいです」という発言はありましたが「ドイツの第二次世界大戦の戦争賠償」とどっちが優れているかという話は現時点ではありません。

IPxv58さんにはノートでそのことを伺いましたが、回答は行われていません。現時点ではIPxv58さんが「ドイツの第二次世界大戦の戦争賠償」と「ドイツの第二次世界大戦後の戦後補償」のどちらを優先されるのかは誰にも分かりません。 これを賛成として改名提案を行うなら、一体どっちに改名することになるのでしょうか。一つの記事に正式な題名は一つだけです。こんな事態を「改名提案に賛成」の一言で明確に賛成としているのは、言葉遣いの厳密さを理解しない態度と、参加者を「改名提案派」と「反対派」の二つにしか分けられない世界観です。

改名するならこんな名前のほうがふさわしいということなら私も数度提案していますし、最初の発言の段階で「ただ、表題が回りくどいのは確かなので、すっきりとした表題にすることには反対しません。」としています。さらに繰り返しますが、被依頼者が「ドイツの第二次世界大戦の戦後補償」という案を提唱しだしたのは私の『「第二次世界大戦後にドイツが行った戦後補償」という意味が明確になるならば賛成です。』というコメントがあった直後被依頼者が対話拒否をしていた期間のことです。 --Sube会話) 2015年6月12日 (金) 16:03 (UTC)(再修正)--Sube会話) 2015年6月12日 (金) 16:22 (UTC)(微修正)--Sube会話2015年6月12日 (金) 16:26 (UTC)[返信]

Seisatoさんのブロック依頼を提出しました。

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Seisatoを提出しています。--Sube会話2015年6月12日 (金) 18:37 (UTC)[返信]