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{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
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{{Portal クラシック音楽}}
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'''岩崎 由紀子'''(いわさき ゆきこ、[[2月2日]] - )は、[[日本]][[ソプラノ]][[歌手]]。[[声楽家]]。
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== 経歴 ==
== 経歴 ==
5人姉妹の4番目の子どもとして平塚市に生まれる<ref name=":3">{{Cite news|title=岩崎由紀子さん 園長先生の言葉(こころの宝物)|date=1994-02-13|newspaper=朝日新聞朝刊|at=神奈川面}}</ref>。幼少期には、[[蓄音機]]と二人の姉が歌う[[童謡]]や[[文部省唱歌|唱歌]]に親しんだ<ref name=":3" />。また、[[第二次世界大戦]]後の物資の乏しい時代には、紙で作った[[鍵盤 (楽器)|鍵盤]]で練習をした<ref name=":0">{{Cite news|title=(青春スクロール 母校群像記)平塚江南高校:5 音楽家輩出・名物仮装|date=2013-11-29|newspaper=朝日新聞朝刊|page=28}}</ref>。神奈川県立[[神奈川県立平塚江南高等学校|平塚江南高校]]で[[合唱]]部の顧問に声を褒められ、[[国立音楽大学]]声楽科に入学して[[ソプラノ]]を専攻し、[[二期会]]研究生になった<ref name=":3" /><ref name=":0" /><ref>{{Cite journal|和書|author=猪熊建夫|year=2016-03-01|title=〔名門高校の校風と人脈〕/181 平塚江南高校(神奈川県立・平塚市)/横浜緑ケ丘高校(神奈川県立・横浜市中区|journal=エコノミスト|volume=94|issue=9|page=2}}</ref>。26歳で結婚し、子どもを出産した際は「マイペースで子育てをして、合間に勉強しよう」と考えていたが、かつての仲間が次々とコンクールに入賞してプロの道を歩き始めたのを見て勉強に本腰を入れ、[[1974年]]の[[日本音楽コンクール]]の声楽部門で2位を受賞<ref>{{Cite web|title=日本音楽コンクール 入賞者一覧|url=http://oncon.mainichi-classic.jp/prize/prize5.shtml|website=日本音楽コンクール|accessdate=2020-03-21|language=ja}}</ref>、[[1975年]]には[[文化放送音楽賞]]を受賞<ref>{{Cite web|title=受賞歴|url=https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=200901019155112841|website=J-GLOBAL|accessdate=2020-03-21|language=ja}}</ref>した。また、[[1984年]]には第12回[[ジロー・オペラ賞]]を受賞した<ref>{{Cite news|title=東敦子さんにオペラ大賞(賞の消息)|date=1984-10-17|page=24|newspaper=日本経済新聞朝刊}}</ref>。
元[[国立音楽大学]]教授。[[二期会]]会員。平塚音楽家協会会長。第21回文化文化放送音楽賞、第43回[[日本音楽コンクール|毎日音楽コンクール]]、第10回民音コンクール第1位。第12回[[ジロー・オペラ賞]]受賞。二期会「ドン・カルロ」「ドン・ジョバンニ」や藤沢オペラ「ウイリアム・テル」「アイーダ」「椿姫」「トゥーランドット」等数々のオペラのプリマドンナとして活躍。フランスをはじめ世界各地で演奏し好評を博す。2008年平塚文化財団10周年記念平塚市民オペラ「カルメン」において総監督を務め市民をはじめ多方面より絶賛を浴びた。<ref>[http://www.townnews.co.jp/0605/2008/11/20/32174.html 12月に上演される平塚初の市民オペラ「カルメン」の総監督を務める 平塚は私の財産] townnews.co.jp(2008年11月20日)</ref>
現在、二期会会員、二期会講師、平塚音楽家協会代表、平塚観光親善大使<ref>[http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1203140014/ 「ひらつか観光大使」初代は声楽家・岩崎由紀子さん/平塚市] kanaloco.jp(2012年3月15日)</ref>


[[1990年]]11月30日には、平塚市が数年前から始めた「文化振興講演会」事業の一環として企画された「平塚の音楽文化を考える」という[[シンポジウム]]に[[パネリスト]]として参加し、「かつての平塚は、決して音楽の後進地ではなかった。しかし、周辺の市が振興に力を入れ始めるに従い、遅れが目立ち出した」「地元で発表会をしたくても、思うように会場が確保できない」「会場不足は、さまざまな市の施設のホールに[[ピアノ]]を1台ずつ置くことで、しのげると思う」といった意見を述べた<ref name=":5" /><ref>{{Cite news|title=平塚の音楽活性化へ意見続々 声楽家らが参加してシンポ|date=1990-12-20|newspaper=朝日新聞朝刊|at=神奈川面}}</ref><ref>{{Cite news|title=平塚の音楽文化探ろう 活動家招きシンポジウム 神奈川|date=1990-11-24|newspaper=朝日新聞夕刊|at=神奈川面}}</ref>。これをきっかけに、互いの勉強や地域の音楽文化向上活動などの核になる組織を作る機運が盛り上がり、[[1991年]]4月、同市に関連した声楽家や器楽演奏家ら約50人の音楽家で[[平塚音楽家協会]]が結成され、岩崎はその代表となった<ref name=":5">{{Cite news|title=平塚音楽家協会が始動 1月15日に旗揚げ公演|date=1992-01-08|newspaper=朝日新聞朝刊|at=神奈川面}}</ref><ref>{{Cite web|title=平塚音楽家協会|url=https://www.hiratsuka-shimin.net/organization/org-499/|website=ひらつか市民活動センター|accessdate=2020-03-04|language=ja}}</ref>。翌年1月15日に同市の中央公民館で第1回記念演奏会が開催された<ref name=":5" />。
== ディスコグラフィ ==
== ディスコグラフィ ==
=== アルバム ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
|-
! 発売日
! 規格番号
! タイトル
! 備考
|-
| 2003年1月22日
| CABV-1001
| '''『心に残る日本のうた』'''
| スタジオ録音。ピアノ 金子雅代 Rec&Mix: Yui Iwasaki
1. 浜辺の歌
2. 砂山
3. 出船
4. 宵待草
5. 初恋
6. この道
7. 赤とんぼ
8. 里の秋
9. かあさんの歌
10. さくら貝のうた
11. 芭蕉布
12. 蘇州夜曲
13. 津軽のふるさと
|-
| 2004年5月20日
| CABV-1002
| '''『さくら横ちょう~岩崎由紀子リサイタル』'''
| 1996年12月10日に東京文化会館小ホールにて行われた現代の日本の作曲家、中田喜直、高田三郎の作品を集めて構成されたリサイタルのライブ録音
1. さくら横町
2. 霧と話した
3. 悲しくなったときは
4. サルビア
5. 未知の扉
6. 桐の花
7. またある時は
8. たんぽぽ
9. むこうむこう
10. みんなをすきに
11. たいりょう
12. わらい
13. こころ
14. ほしとたんぽぽ
15. さすらい
16. 売子
17. パリの冬
18. 街頭の果物屋
19. 降誕節前夜
20. 市の花屋


[[2012年]]には、平塚市市制施行80周年記念事業の一環で、タレントの[[山瀬まみ]]とともに「ひらつか観光大使」に任命された<ref>{{Cite news|title=ひらつか観光大使:声楽家・岩崎さんに委嘱状交付 「全国で平塚PR」|date=2012-03-13|newspaper=毎日新聞神奈川版|page=22}}</ref><ref>{{Cite news|title=ひらつか観光大使:山瀬まみさんも 岩崎さんに続き委嘱--平塚|date=2012-03-20|newspaper=毎日新聞神奈川版|page=24}}</ref><ref>{{Cite web|title=「ひらつか観光大使」初代は声楽家・岩崎由紀子さん/平塚市 {{!}} 政治行政 {{!}} カナロコ by 神奈川新聞|url=https://www.kanaloco.jp/article/entry-100391.html|website=カナロコ|accessdate=2020-03-04|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=ひらつか観光大使|url=http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/kanko/page-c_01113.html|website=平塚市|accessdate=2020-03-04|language=ja|last=平塚市}}</ref><ref>{{Cite web|title=市の観光大使に岩崎由紀子さん {{!}} 平塚 {{!}} タウンニュース|url=https://www.townnews.co.jp/0605/2012/03/15/138704.html|website=www.townnews.co.jp|accessdate=2020-03-04|language=ja}}</ref>。
|}


== 主なコンサート出演 ==
== 脚注 ==
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=== オペラ ===
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*[[1988年]]10月、[[藤沢市]]と藤沢市民会館友の会が主催する藤沢市民オペラの第11回公演、[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]作曲『[[椿姫 (オペラ)|椿姫]]』に参加した。[[指揮者|指揮]][[福永陽一郎]]、藤沢市民交響楽団、同合唱団という布陣であった<ref name=":9">{{Cite news|title=神奈川・藤沢市民オペラが「椿姫」公演 手作りの成果に期待|date=1988-09-24|page=11|newspaper=読売新聞東京夕刊}}</ref>。歌手陣は4組の交代制で、瑠璃佐ヨ子と[[錦織健]]、白石敬子と藤原章雄、岩崎由紀子と長谷川敏、窪田江美子と[[高丈二]]が務めた。また、藤沢市には関係がないが、ベテランの鈴木敬介が参加した<ref name=":9" />。
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*[[1990年]]10月13日から21日にかけて、「市制50周年の記念特別企画」として藤沢市民会館で4回にわたり行われた、藤沢市民オペラによる[[シャルル・グノー|グノー]]作曲のオペラ『[[ファウスト (オペラ)|ファウスト]]』公演に出演<ref name=":6">{{Cite news|title=藤沢市民オペラ、きょうから公演 市制50周年記念「ファウスト」|date=1990-10-13|newspaper=朝日新聞朝刊|at=神奈川面}}</ref>。日本におけるオペラ『ファウスト』上演は、東京・上野文化会館の上演以来12年ぶりであった<ref name=":6" />。「市民音楽団体と、プロの音楽家を融合合体して本物のオペラを」という藤沢市民オペラの理念のもと、音楽総監督畑中良輔(東京藝術大学名誉教授)、指揮[[北村協一]]、藤沢市民交響楽団という布陣が敷かれた<ref name=":6" />。
{{DEFAULTSORT:いわさき ゆきこ}}
*[[1993年]]11月、藤沢市民オペラ創立20周年記念公演である『蝶々夫人』にて、[[片岡啓子]]、白石敬子とともに[[タイトルロール]]を務めた<ref name=":4">{{Cite news|title=藤沢市民オペラ、20周年祝いプッチーニ「トゥーランドット」を上演|date=1993-11-20|page=16|newspaper=朝日新聞夕刊}}</ref>。総監督畑中良輔、音楽監督北村協一、演出[[栗山昌良]]、装置鈴木俊朗、指揮[[若杉弘]]という布陣であった<ref name=":4" />。「市民オペラの活動が盛んになっているとはいえ、このような大作を上演するのは極めて異例だ」「とにかく力が入っている」と報じられた<ref name=":4" />。
*[[1994年]]10月15日、「平塚でいつか本格的なオペラを」という熱意のもと、ビルのリニューアルオープンを記念して平塚ステーションビル・ラスカが主催した『蝶々夫人』公演にて、タイトルロールを務めた<ref name=":3" /><ref name=":1">{{Cite news|title=「蝶々夫人」悲願の公演 歌手の岩崎さん、あす平塚で|date=1994-10-14|newspaper=朝日新聞朝刊|at=神奈川面}}</ref><ref>{{Cite news|title=「平塚でオペラ」夢かなう 熱心な運動実り、今夕「蝶々夫人」上演|date=1994-10-15|newspaper=毎日新聞神奈川版}}</ref>。音楽仲間たちが友情出演し、平塚市の支援も受けた<ref name=":1" />。
*[[2008年]]に平塚音楽協会が[[ジョルジュ・ビゼー|ビゼー]]作曲のオペラ『[[カルメン (オペラ)|カルメン]]』を上演した際には総監督を務めた<ref name=":0" /><ref>{{Cite news|title=市民オペラ:「カルメン」、市民センターで上演一般公募の合唱--平塚市初|date=2008-11-26|page=25|newspaper=毎日新聞神奈川版}}</ref>。


=== その他の演奏会 ===
*[[1989年]]5月4日、恩師の元県立平塚江南高教諭の臼木とし子を招いた合同コンサートに出演した<ref name=":7">{{Cite news|title=師弟のきずな歌い上げる 平塚でコンサート|date=1989-05-05|newspaper=朝日新聞朝刊|at=神奈川面}}</ref>。臼木は[[1963年]]に教員を辞めたのちオペラを学ぶために[[イタリア]]へ留学し、帰国後は平塚市高村の自宅で声楽の個人レッスンをしたり、コーラス指導をしたりしていた<ref name=":7" />。
*[[1992年]]、[[神奈川フィルハーモニー管弦楽団]]による[[ベートーヴェン]]作曲『[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第9番]]』の公演でソプラノソロを務めた<ref name=":3" />。
*[[1993年]]、[[アメリカ]]の[[カーネギーホール]]で公演を行い、プッチーニ作曲のオペラ『蝶々夫人』のアリアや、『鐘が鳴ります』『中国地方の子守歌』などを歌った<ref name=":3" />。
*[[1995年]]3月、藤沢市民オペラの常連ソリストたちと、[[阪神・淡路大震災|阪神大震災]]の被災者救援のために藤沢市民会館で行われた「チャリティー・オペラコンサート」に手弁当で無料出演した<ref name=":2">{{Cite news|title=オペラで阪神大震災の被災者救援 3月に藤沢で|date=1995-02-14|newspaper=朝日新聞朝刊|at=神奈川面}}</ref>。主催は歌手の白石隆夫・敬子夫妻で、収益金はすべて市を通じて被災者に贈られた<ref name=":2" />。
*[[1996年]]8月7日、[[日韓ワールドカップ]]共催決定後初の日韓戦として平塚市で行われた「第2回アジアスーパーカップ(一和 天馬(イルファ チョンマ)対 ベルマーレ平塚戦)」において、日本の国歌を歌った<ref name=":8">{{Cite news|title=2002年サッカーW杯、成功させよう--日韓の女性声楽家がエール交換|date=1996-08-07|newspaper=毎日新聞東京版|page=8}}</ref>。なお、韓国国歌は岩崎と同じく毎日新聞カルチャーシティの講師として歌曲の講座を持っていた金貞玲が歌った<ref name=":8" /><ref>{{Cite news|title=サッカー「アジアスーパーカップ」 日韓対決に女性声楽家、花を添える|date=1996-08-05|newspaper=毎日新聞神奈川版|page=}}</ref>。
*[[1997年]]12月14日、[[横浜みなとみらいホール]]小ホールの開館記念の市民招待コンサートに、横浜シティオペラの歌手らと出演した<ref>{{Cite news|title=開館記念の公演決まる 横浜・MM21小ホール|date=1997-12-07|newspaper=朝日新聞朝刊|at=神奈川面}}</ref>。
*[[1999年]]11月24日、青の会が主催した「[[フランシス・プーランク|プーランク]]歌曲の夕べ」に歌手の末吉利行、河瀬柳史、ピアニストの花岡千春とともに出演した<ref>{{Cite news|title=[音楽・舞踊]新日フィルほか|date=1999-11-17|newspaper=毎日新聞東京夕刊|page=7}}</ref>。
*[[2000年]]1月30日、前年4月に結成された平塚市文化財団を記念して、平塚ステーションビル・ラスカと平塚市および平塚市文化財団が共催した「新春ラスカ・ニューイヤーコンサート」に出演し、[[團伊玖磨]]のオペラ『[[夕鶴 (オペラ)|夕鶴]]』のアリア「私の大事な与ひょう」を作曲者自身の指揮、ラスカ祝祭管弦楽団の演奏で披露した<ref>{{Cite news|title=バイオリンのアゴスティーニ氏ら出演--ラスカ・ニューイヤーコンサート|date=2000-01-21|newspaper=毎日新聞神奈川版}}</ref>。

== 役職など ==
*元国立音楽大学教授<ref>{{Cite web|title=平塚市役所でランチタイムコンサートを開催します|url=http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/press/pres20160003.html|website=平塚市|accessdate=2020-03-04|language=ja|last=平塚市}}</ref>
*平塚市まちづくり財団理事<ref>{{Cite web|title=<財団概要>公益財団法人 平塚市まちづくり財団|url=http://www.hiratsukazaidan.jp/gaiyou_soshiki.htm|website=www.hiratsukazaidan.jp|accessdate=2020-03-04}}</ref>
*新文化センターを考える会会長 - 市民センターの老朽化に伴い建設される新文化センターについて、平塚市は2017年2月「見附台周辺地区土地利用計画」で大ホールの規模を約1000席にする方針を示したが、岩崎らは[[茅ヶ崎市]]や[[藤沢市]]などの周辺地域の施設規模と差別化できないことや、著名アーティストの集客規模に対応できないことを理由に、1400を超える席数が必要と主張し<ref>{{Cite web|title=新文化センター 「最適席数」有識者が議論 「考える会」が発足 {{!}} 平塚|url=https://www.townnews.co.jp/0605/2017/11/16/407440.html|website=タウンニュース|date=2017-11-16|accessdate=2020-03-04|language=ja}}</ref>、2018年1月に平塚市に要望書を提出した<ref>{{Cite web|title=「考える会」が要望書 大ホール1500席を提案 {{!}} 平塚|url=https://www.townnews.co.jp/0605/2018/02/01/417975.html|website=タウンニュース|date=2018-02-01|accessdate=2020-03-04|language=ja}}</ref>。

== ディスコグラフィ ==
*『心に残る日本の歌~津軽のふるさと~』(CD)<ref>{{Cite web|title=アイテム検索 - TOWER RECORDS ONLINE|url=https://tower.jp/search/item/%E5%B2%A9%E5%B4%8E%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%AD%90?|website=tower.jp|accessdate=2020-03-04}}</ref>
*『岩崎由紀子(S)さくら横町-recital』(CD)<ref>{{Cite web|title=岩崎由紀子(S)さくら横町-recital|url=https://www.hmv.co.jp/product/detail/611066|website=HMV&BOOKS online|accessdate=2020-03-04|language=ja|last=株式会社ローソンエンタテインメント}}</ref>

== 関連項目 ==
*[[平塚市]]
*[[国立音楽大学]]
*[[藤沢市民オペラ]]

== 脚注 ==
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[[Category:日本のソプラノ歌手]]
[[Category:日本の声楽家]]
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2020年3月21日 (土) 04:32時点における版

岩崎 由紀子(いわさきゆきこ)は、神奈川県平塚市出身の歌手

経歴

5人姉妹の4番目の子どもとして平塚市に生まれる[1]。幼少期には、蓄音機と二人の姉が歌う童謡唱歌に親しんだ[1]。また、第二次世界大戦後の物資の乏しい時代には、紙で作った鍵盤で練習をした[2]。神奈川県立平塚江南高校合唱部の顧問に声を褒められ、国立音楽大学声楽科に入学してソプラノを専攻し、二期会研究生になった[1][2][3]。26歳で結婚し、子どもを出産した際は「マイペースで子育てをして、合間に勉強しよう」と考えていたが、かつての仲間が次々とコンクールに入賞してプロの道を歩き始めたのを見て勉強に本腰を入れ、1974年日本音楽コンクールの声楽部門で2位を受賞[4]1975年には文化放送音楽賞を受賞[5]した。また、1984年には第12回ジロー・オペラ賞を受賞した[6]

1990年11月30日には、平塚市が数年前から始めた「文化振興講演会」事業の一環として企画された「平塚の音楽文化を考える」というシンポジウムパネリストとして参加し、「かつての平塚は、決して音楽の後進地ではなかった。しかし、周辺の市が振興に力を入れ始めるに従い、遅れが目立ち出した」「地元で発表会をしたくても、思うように会場が確保できない」「会場不足は、さまざまな市の施設のホールにピアノを1台ずつ置くことで、しのげると思う」といった意見を述べた[7][8][9]。これをきっかけに、互いの勉強や地域の音楽文化向上活動などの核になる組織を作る機運が盛り上がり、1991年4月、同市に関連した声楽家や器楽演奏家ら約50人の音楽家で平塚音楽家協会が結成され、岩崎はその代表となった[7][10]。翌年1月15日に同市の中央公民館で第1回記念演奏会が開催された[7]

2012年には、平塚市市制施行80周年記念事業の一環で、タレントの山瀬まみとともに「ひらつか観光大使」に任命された[11][12][13][14][15]

主なコンサート出演

オペラ

  • 1988年10月、藤沢市と藤沢市民会館友の会が主催する藤沢市民オペラの第11回公演、ヴェルディ作曲『椿姫』に参加した。指揮福永陽一郎、藤沢市民交響楽団、同合唱団という布陣であった[16]。歌手陣は4組の交代制で、瑠璃佐ヨ子と錦織健、白石敬子と藤原章雄、岩崎由紀子と長谷川敏、窪田江美子と高丈二が務めた。また、藤沢市には関係がないが、ベテランの鈴木敬介が参加した[16]
  • 1990年10月13日から21日にかけて、「市制50周年の記念特別企画」として藤沢市民会館で4回にわたり行われた、藤沢市民オペラによるグノー作曲のオペラ『ファウスト』公演に出演[17]。日本におけるオペラ『ファウスト』上演は、東京・上野文化会館の上演以来12年ぶりであった[17]。「市民音楽団体と、プロの音楽家を融合合体して本物のオペラを」という藤沢市民オペラの理念のもと、音楽総監督畑中良輔(東京藝術大学名誉教授)、指揮北村協一、藤沢市民交響楽団という布陣が敷かれた[17]
  • 1993年11月、藤沢市民オペラ創立20周年記念公演である『蝶々夫人』にて、片岡啓子、白石敬子とともにタイトルロールを務めた[18]。総監督畑中良輔、音楽監督北村協一、演出栗山昌良、装置鈴木俊朗、指揮若杉弘という布陣であった[18]。「市民オペラの活動が盛んになっているとはいえ、このような大作を上演するのは極めて異例だ」「とにかく力が入っている」と報じられた[18]
  • 1994年10月15日、「平塚でいつか本格的なオペラを」という熱意のもと、ビルのリニューアルオープンを記念して平塚ステーションビル・ラスカが主催した『蝶々夫人』公演にて、タイトルロールを務めた[1][19][20]。音楽仲間たちが友情出演し、平塚市の支援も受けた[19]
  • 2008年に平塚音楽協会がビゼー作曲のオペラ『カルメン』を上演した際には総監督を務めた[2][21]

その他の演奏会

  • 1989年5月4日、恩師の元県立平塚江南高教諭の臼木とし子を招いた合同コンサートに出演した[22]。臼木は1963年に教員を辞めたのちオペラを学ぶためにイタリアへ留学し、帰国後は平塚市高村の自宅で声楽の個人レッスンをしたり、コーラス指導をしたりしていた[22]
  • 1992年神奈川フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン作曲『交響曲第9番』の公演でソプラノソロを務めた[1]
  • 1993年アメリカカーネギーホールで公演を行い、プッチーニ作曲のオペラ『蝶々夫人』のアリアや、『鐘が鳴ります』『中国地方の子守歌』などを歌った[1]
  • 1995年3月、藤沢市民オペラの常連ソリストたちと、阪神大震災の被災者救援のために藤沢市民会館で行われた「チャリティー・オペラコンサート」に手弁当で無料出演した[23]。主催は歌手の白石隆夫・敬子夫妻で、収益金はすべて市を通じて被災者に贈られた[23]
  • 1996年8月7日、日韓ワールドカップ共催決定後初の日韓戦として平塚市で行われた「第2回アジアスーパーカップ(一和 天馬(イルファ チョンマ)対 ベルマーレ平塚戦)」において、日本の国歌を歌った[24]。なお、韓国国歌は岩崎と同じく毎日新聞カルチャーシティの講師として歌曲の講座を持っていた金貞玲が歌った[24][25]
  • 1997年12月14日、横浜みなとみらいホール小ホールの開館記念の市民招待コンサートに、横浜シティオペラの歌手らと出演した[26]
  • 1999年11月24日、青の会が主催した「プーランク歌曲の夕べ」に歌手の末吉利行、河瀬柳史、ピアニストの花岡千春とともに出演した[27]
  • 2000年1月30日、前年4月に結成された平塚市文化財団を記念して、平塚ステーションビル・ラスカと平塚市および平塚市文化財団が共催した「新春ラスカ・ニューイヤーコンサート」に出演し、團伊玖磨のオペラ『夕鶴』のアリア「私の大事な与ひょう」を作曲者自身の指揮、ラスカ祝祭管弦楽団の演奏で披露した[28]

役職など

  • 元国立音楽大学教授[29]
  • 平塚市まちづくり財団理事[30]
  • 新文化センターを考える会会長 - 市民センターの老朽化に伴い建設される新文化センターについて、平塚市は2017年2月「見附台周辺地区土地利用計画」で大ホールの規模を約1000席にする方針を示したが、岩崎らは茅ヶ崎市藤沢市などの周辺地域の施設規模と差別化できないことや、著名アーティストの集客規模に対応できないことを理由に、1400を超える席数が必要と主張し[31]、2018年1月に平塚市に要望書を提出した[32]

ディスコグラフィ

  • 『心に残る日本の歌~津軽のふるさと~』(CD)[33]
  • 『岩崎由紀子(S)さくら横町-recital』(CD)[34]

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f “岩崎由紀子さん 園長先生の言葉(こころの宝物)”. 朝日新聞朝刊: 神奈川面. (1994年2月13日) 
  2. ^ a b c “(青春スクロール 母校群像記)平塚江南高校:5 音楽家輩出・名物仮装”. 朝日新聞朝刊: p. 28. (2013年11月29日) 
  3. ^ 猪熊建夫「〔名門高校の校風と人脈〕/181 平塚江南高校(神奈川県立・平塚市)/横浜緑ケ丘高校(神奈川県立・横浜市中区」『エコノミスト』第94巻第9号、2016年3月1日、2頁。 
  4. ^ 日本音楽コンクール 入賞者一覧”. 日本音楽コンクール. 2020年3月21日閲覧。
  5. ^ 受賞歴”. J-GLOBAL. 2020年3月21日閲覧。
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