コンテンツにスキップ

「小田原電気鉄道チキ2形電車」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 画像を追加
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
1行目: 1行目:
{{鉄道車両
'''小田原電気鉄道チキ2形電車'''(おだわらでんきてつどうチキ2がたでんしゃ)は、[[箱根登山鉄道]]の前身である小田原電気鉄道が導入した[[直流電化|直流]][[電車]]である。箱根登山鉄道で現役最古の車両であり、日本において定期運用される電車としても現役最古の車両である。
|車両名=小田原電気鉄道チキ2形電車<br/><small>箱根登山鉄道チキ3形電車</small>

|社色=#42302A
== 概要 ==
|画像 =Tozan chiki2 10 Yumoto.jpg
{{Vertical_images_list
|pxl =300px
|幅= 250px
|画像説明 =箱根湯本駅に停車中のチキ2形10号
| 1=Tozan 109.jpg
|unit = self
| 2=モハ2形電車109号(2010年7月11日 宮ノ下駅)
|編成 =
| 3=Tozan-Moha2-inside.jpg
|営業最高速度 =
| 4=モハ2形110号の車内
|設計最高速度 =
| 5=Tozan 108 2009.jpg
|最高速度 =
| 6=108号は昭和30年代の「金太郎塗装」(2010年1月2日 強羅駅)
|起動加速度 =
| 7=Tozan-108.jpg
|減速度(常用最大)=
| 8=108号は1998年にも昭和初期の緑一色塗装になったことがある(1998年頃 小田原駅)
|減速度(非常) =
|編成定員 =
|車両定員 =102名<ref name="1988-69"/>(チキ2形108-110号製造当初・うち座席50名)<br/>100名<ref name="2000-117"/>(チキ2形108-110号鋼体化後・111-112号・うち座席44名)<br/>100名<ref name="1994-49"/>(チキ3形・うち座席46名)
|編成長 =
|最大寸法 =14,660[[ミリメートル|mm]]×2,590mm×4,005mm<ref name="1988-69"/>(チキ2形108-110号製造当初)<br/>14,660mm×2,590mm×3,890mm<ref name="1994-49"/>(チキ2形108-110号鋼体化後)<br/>14,660mm×2,590mm×3,990mm<ref name="1994-49"/>(チキ2形111-112号・チキ3形)
|全長 =
|全幅 =
|全高 =
|車体長 =
|車体幅 =
|車体高 =
|車体材質 =
|編成質量 =
|車両質量 =[[#車両一覧|車両一覧]]を参照
|軸配置 =
|軌間 =
|電気方式 =[[直流電化|直流]]600V→750V・1,500V<br/>([[架空電車線方式]])
|編成出力 =
|総出力 =
|主電動機 =[[アセア・ブラウン・ボベリ|ブラウン・ボベリ]] BBC-GDTM42<ref name="1994-47"/>(チキ2形製造当初)<br/>[[東芝|芝浦製作所]] SE-121-A<ref name="1994-47"/>(チキ3形)<br/>[[ゼネラル・エレクトリック]] GE240-A-S<ref name="1994-47"/>(チキ3形){{refnest|group="注釈"|本文中でも述べているとおり、チキ3形導入後にはSE-121-Aと同規格の主電動機であるGE240-A-Sが混用されるようになった<ref name="dj93-40"/>。}}<br/>[[東洋電機製造]] TDK-8180A<ref name="1994-49"/>(駆動方式変更後)
|主電動機出力 =60[[馬力|HP]](チキ2形製造当初)<br/>78.3[[ワット|Kw]](チキ3形)
|搭載数 =4基/両
|端子電圧 =
|定格速度 =
|定格引張力 =
|歯車比 =79:16=4.90<ref name="1994-47"/>(製造当初)<br/>78:13=6.0<ref name="2000-120-121"/>(駆動方式変更後)
|駆動装置 =[[吊り掛け駆動方式]](製造当初)<br/>[[中空軸平行カルダン駆動方式]]<ref name="2000-120-121"/>(駆動方式変更後)
|変速機 =
|変速段 =
|制御装置 =
|台車 =[[スイス車両エレベーター製造]](シュリーレン)板台枠台車(チキ2形製造当初)<br/>[[川崎重工業車両カンパニー|川崎車両]] 板台枠台車(チキ3形製造当初)<br/>[[東急車輌製造]] TS-110<ref name="1994-48"/>(チキ3形114号台車交換後)<br/>東急車輌製造 TS-330A<ref name="2000-117"/>(駆動方式変更後)
|制動方式 =[[電磁直通ブレーキ]]<ref name="2000-120-121"/><br/>[[発電ブレーキ]]<ref name="2000-120-121"/><br/>レール圧着ブレーキ<ref name="2000-120-121"/><br/>手ブレーキ<ref name="2000-120-121"/>
|保安装置 =
|製造メーカー =[[日本車輌製造]](チキ2形108-110号){{refnest|group="注釈"|name="bbc"|書類上、チキ2形の製造所は「ブラウンボベリ」となっている<ref name="1994-48"/>。}}<br/>[[川崎重工業車両カンパニー|川崎車両]](チキ2形111-112号・チキ3形)<ref group="注釈" name="bbc"/>
|備考 =
|備考全幅 =
}}
}}
'''小田原電気鉄道チキ2形電車'''(おだわらでんきてつどうチキ2がたでんしゃ)は、小田原電気鉄道([[箱根登山鉄道]]の前身)が導入した電車である。
元来は、[[箱根登山鉄道]]の前身である小田原電気鉄道が[[1927年]]([[昭和]]2年)に[[日本車輌製造]]で製造した[[木構造 (建築)|木造]][[ボギー台車|ボギー車]]チキ2形(チキ8 - 10))<ref>昭和10年、チキ2型に存在した荷物室を8、10については廃止、改装し、その際に荷物室を残した9をチキテ2型と呼称変更した。この名称は昭和27年称号変更された際にモハ2型に統一された。</ref>と[[1935年]](昭和10年)に[[小田原駅]] - [[箱根湯本駅]]間の開通時に川崎車輛(現・[[川崎重工業車両カンパニー]])で製造されたチキ111, 112(後にモハに称号変更)の5両からなる。車体が全く異なるにも関わらず、同形式のチキ2形としたのは、前者の新造時に[[スイス]]より輸入した[[スイス車両エレベーター製造|シュリーレン]]社の製[[板台枠]][[鉄道車両の台車|台車]]と[[アセア・ブラウン・ボベリ|ブラウンボベリ]]社製の[[電動機|主電動機]]にはスペアとして2両分があったため、これを用いたことに由来する。


[[箱根登山鉄道鉄道線|鉄道線]]の増備車両として、[[1927年]]に[[スイス]]製の電装品や台車などを使用し、木造車体を有する3両が製造された<ref name="1994-47"/>。その後[[1935年]]には同じ電装品を使用して車体を鋼製車体とした車両が2両増備され<ref name="1994-29"/>、木造車体の車両については[[1955年]]から[[1957年]]にかけて鋼体化が行われた<ref name="1994-48"/>。第二次世界大戦前に鋼製車体で製造された車両は[[1991年]]までに廃車となった<ref name="2013-35"/>が、その後も残った車両は[[小田原電気鉄道チキ1形電車|チキ1形を称号変更したモハ1形]]とともに「箱根登山鉄道の顔」とも評されている<ref name="rj467-52"/>。
なお、チキ111, 112と全く同じ車体に日本製の電装品と台車(チキ2形のものを参考にしたという)を使って製造されたチキ113 - 115を、箱根登山鉄道では[[箱根登山鉄道チキ3形電車|チキ3形]]と称した。


本項では、1935年に日本製の電装品や台車などを装備して3両が製造され<ref name="1994-29"/>、1997年までに全車両が廃車となった<ref name="2013-33"/>チキ3形についても記述する。
[[小田原電気鉄道チキ1形電車|モハ1形]]と同様にモハ8 - 10も[[1955年]](昭和30年)から[[1957年]](昭和32年)にかけてモハ111 - 115に準じた新造車体に更新されモハ108 - 110となった。ただし、ドア間の[[鉄道車両の座席|座席]]をクロスシートにしたため、座席と窓の位置が合うように窓の大きさを変更したことから、ドア間の窓は6枚になった(モハ1形とモハ111 - 115は5枚)。


== 登場の経緯 ==
下回りが老朽化したことから、[[1985年]](昭和60年)から[[1990年]]([[平成]]2年)にかけて5両とも下回りを交換、[[カルダン駆動方式|カルダン駆動]]化されている。しかし、車体の老朽化が激しかった[[戦前]]製造組のモハ111と112は[[1991年]](平成3年)に[[廃車 (鉄道)|廃車]]された後にモハ3形も廃車されたが、モハ108 - 110は[[2001年]](平成13年)から[[2002年]](平成14年)にかけて大掛かりな更新が行われた。室内の木部は[[デコラ]]貼りになり、車体の側面板を貼り替え、客用ドアを[[ステンレス鋼|ステンレス]]製無塗装のものに交換するなど、かつてのイメージを残しつつも近代化が図られた。また、現在は自動放送装置も追加されている。
小田原電気鉄道では、1919年に鉄道線を開業していたが、当時は[[第一次世界大戦]]の影響を受け、当初予定していたスイス製の車両部品の導入ができず<ref name="1994-14"/>、開業時にはアメリカ製の車両部品を使用したチキ1形を導入していた<ref name="1994-14"/>。


しかし、その後第一次世界大戦は終結し、[[1921年]]に開業した鋼索線では、一切の装置をすべてスイス製から輸入していた<ref name="g100-47"/>。このような状況から、[[1927年]]に車両を増備するにあたってはスイス製の車両部品を使用した車両を導入することになり<ref name="1994-17"/>、登場したのが本形式である。
モハ108と109については、[[1998年]](平成10年)に創立70周年記念行事の一環として昭和初期当時の緑一色塗装に復元されたが、その後一般色に戻った。なおモハ108はさらに[[2004年]](平成16年)[[9月]]から[[1950年]]当時の水色とクリーム色の旧塗装に復元されたが、この際には客用ドア内側も塗装している。そして[[2008年]](平成20年)9月からは創立120周年を記念して昭和30年代の「金太郎塗装」<ref>1957年登場当時の[[小田急3000形電車 (初代)|小田急3000形「SE」]]に似ている塗装</ref>に復元されているが、この時に座席を箱根寄木細工製のものに、[[つり革]]を抗菌加工したものにそれぞれ交換している。


== 車両概説 ==
なお、2008年現在も両[[操縦席|運転台]]構造である。
本節では、登場当時の仕様を記述する。変更については沿革で後述する。


チキ2形・チキ3形とも、全長14.6[[メートル|m]]の車両として製造された[[制御車|制御電動車]]である。形式の先頭に付せられる「チキ」は、「チ」が地方鉄道線用車両を示し<ref name="1988-78"/>、「キ」は客車の意味である<ref name="1988-78"/>。車両番号については、[[#車両一覧|巻末の車両一覧]]を参照。
製造はモハ108と109が[[東急車輛製造]]、モハ110が[[東洋工機]]である。


== 運用 ==
=== 車体 ===
チキ2形の製造当初の車体は[[日本車輌製造]]によって製造された木造車体である<ref name="1994-17"/>。車両の両側に運転台を装備している<ref name="1994-17"/>が、チキ1形とは異なり運転室として区分され、出入口とは分離された。客用扉は運転室直後と車体中央の3箇所にあり、中央扉には路面からの乗降も可能なようにステップが設けられた<ref name="1994-17"/>。屋根は丸みを帯びた形態である<ref name="1988-79"/>。車内は両端の運転室を除いて、ロングシートの並等客室とクロスシート(ボックスシート)の特等客室に分かれていた。[[集電装置]]はトロリーポールを装備した<ref name="1988-79"/>。[[連結器]]は[[連結器#並形自動連結器|柴田式並形自動連結器]]を装備した<ref name="1988-79"/>。
[[箱根登山鉄道鉄道線|鉄道線]]の[[箱根湯本駅|箱根湯本]] - [[強羅駅|強羅]]間で運用されている。両運転台車であるが、[[2000年]](平成12年)[[12月]]の[[ダイヤグラム#ダイヤ改正|ダイヤ改正]]で単行運用が廃止されたため、2両編成で運用されるか、またはモハ1形2両編成と連結して3両編成で運行されることもある。


チキ2形の増備車およびチキ3形の車体は、[[川崎重工業車両カンパニー|川崎車両]]で製造された。車体は鋼製だが窓枠や扉が木製の「半鋼製車体」で<ref name="2013-24"/>、車体外板は[[リベット]]によって接合されている<ref name="2013-24"/>。客用扉は2箇所にあり、両端の運転室と客用扉の間には2段窓が2つ、客用扉の間には2段窓が5つ並ぶ<ref name="2013-24"/>。車内はすべてロングシートである。集電装置は菱形パンタグラフに変更された<ref name="1988-69"/>。連結器は住友金属工業のKS22-C形[[連結器#密着連結器|密着連結器]]を装備した<ref name="1988-68"/>{{refnest|group="注釈"|この連結器を試作したのは[[東芝|芝浦製作所]]とされている<ref name="g100-50"/>。}}。
[[2006年]](平成18年)[[3月18日]]のダイヤ改正までは鉄道線全線で運用されていた。ただし、現在でも鉄道線の[[車両基地]]への入・出庫の関係で[[入生田駅|入生田]] - 箱根湯本間は[[回送]]運転で走行している。


== 車両諸元 ==
=== 主要機器 ===
==== チキ2形 ====
* 車体:半鋼製 2軸ボギー電車 片側2扉
チキ2形の電装品はスイス製のものを使用した<ref name="1988-81"/>。
* 全長:14660mm
* 全幅:2590mm
* 全高:3990mm
* 軌間:1435mm([[標準軌]])
* 電気方式:直流750V/1500V([[複電圧車]])
* 制御装置:単位スイッチ手動加速式[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]](直列5段、並列4段、[[発電ブレーキ]]9段)
* 駆動方式:[[中空軸平行カルダン駆動方式|中空軸撓み接手 平行カルダン]]
* 制動方式:電磁SME-D([[発電ブレーキ|発電制動]]併用非常管併設電磁弁付三管式[[直通ブレーキ|直通空気制動]])
* 座席:セミクロスシート
* 車体塗装:[[小田急電鉄]][[小田急ロマンスカー|ロマンスカー]][[小田急3000形電車 (初代)|3000形「SE」「SSE」]]・[[小田急3100形電車|3100形「NSE」]]に準じた塗色である。ただし、モハ108のみ昭和30年代の旧塗装となっている。


[[主電動機]]は[[アセア・ブラウン・ボベリ|ブラウン・ボベリ]] (BBC) 製の直流[[直巻整流子電動機|直巻電動機]]であるBBC-GDTM42型<ref name="1994-47"/>を採用し、1車両に4基ずつ搭載した<ref name="1988-69"/>。駆動装置は[[吊り掛け駆動方式]]で<ref name="1994-17"/>、[[歯車比|歯数比]]は79:16=4.90である<ref name="1994-47"/>。[[主制御器]]はBBC製の直接制御器を使用した<ref name="1988-78"/>。制動装置([[ブレーキ]])は通常の[[空気ブレーキ]]・[[手ブレーキ]]のほか、下り勾配で使用する[[発電ブレーキ]]、非常用のレール圧着ブレーキを装備した<ref name="1994-14"/>。発電ブレーキ用の大容量抵抗器は屋根上に装備した<ref name="1994-16"/>。
== 在籍車両 ==

* [[2008年]](平成20年)現在は108,109,110の計3両が在籍している。
[[鉄道車両の台車|台車]]は、[[スイス車両エレベーター製造]](SWM、日本では「シュリーレン」とも呼ばれる)製の板台枠台車で<ref name="1988-66"/>、[[ホイールベース#鉄道|軸間距離]]は1,800mm<ref name="1988-68"/>である。主電動機は外側、つまり車軸から見て台車端寄りに装架された<ref name="1994-17"/>。空転に備え、砂撒きによって粘着係数を増加させるための砂箱を設けた<ref name="1994-15"/>。レール圧着ブレーキに使用する[[炭化ケイ素|カーボランダム]]片は台車中央に設けられた<ref name="1994-15"/>。

==== チキ3形 ====
チキ3形の電装品はほとんど日本製のものを使用した<ref name="dj93-44"/>。

[[主電動機]]は[[東芝|芝浦製作所]](後の東芝)製の直流[[直巻整流子電動機|直巻電動機]]であるSE-121-A型<ref name="1994-47"/>を採用し、1車両に4基ずつ搭載した<ref name="1994-47"/>ほか、[[1925年]]に廃車となったチキ1形5号車に使用されていた[[ゼネラル・エレクトリック]] (GE) 製の直流[[直巻整流子電動機|直巻電動機]]であるGE240-A-S型が混用された<ref name="1994-32"/>。駆動装置は[[吊り掛け駆動方式]]で<ref name="1994-17"/>、[[歯車比|歯数比]]は79:16=4.90である<ref name="1994-47"/>。[[主制御器]]は芝浦製作所製の間接制御器を使用した<ref name="dj93-44"/>。制動装置(ブレーキ)は通常の空気ブレーキ・手ブレーキのほか、下り勾配で使用する[[発電ブレーキ]]、非常用のレール圧着ブレーキを装備した<ref name="1994-14"/>。発電ブレーキ用の大容量抵抗器は屋根上に装備した<ref name="1994-16"/>。[[鉄道車両の台車|台車]]は、チキ2形に使用されたシュリーレン製の板台枠台車を参考にした<ref name="1994-29"/>川崎車両製の板台枠台車である<ref name="1994-29"/>。

== 沿革 ==
=== 運行開始から終戦まで ===
1927年8月に3両が製造された<ref name="1994-47"/>が、同時に2両分の電装品と台車が輸入されており、これらの部品は湯本電車庫に保管されていた<ref name="1994-19"/>。

[[ファイル:Tozan Itabashi viaduct 1935.jpg|thumb|1935年の増備車を使用した連結運転の試運転]]
1935年9月にはチキ2形2両とチキ3形3両が増備された<ref name="1994-29"/>。この時に製造された車両はチキ2形とチキ3形とも、川崎車両で製造された全く同じ車体となっていた<ref name="1994-29"/>。1927年に製造された車両とは全く車体が異なる<ref name="1988-81"/>にもかかわらず2両がチキ2形の増備車とされたのは、湯本電車庫に保管されていたスイス製の電装品と台車を使用したためである<ref name="1988-81"/>。車両番号は当初よりチキ111号・チキ112号であった<ref name="1994-29"/>。チキ3形では電装品と台車はほぼ日本製となったため新しい形式となり<ref name="2013-79"/>、車両番号はチキ113号からチキ115号の連番である<ref name="1994-29"/>。

これらの車両増備は、当時計画されていた連結運転に対応したもので、少し遡る[[1934年]]10月にはチキ9号が芝浦製作所製の間接制御装置を装備し、試運転が行われていた<ref name="1994-19"/>。1935年9月にはチキ2形の全車両が芝浦製作所の間接制御に交換され<ref name="1994-20"/>、連結器も密着連結器に変更された<ref name="1994-20"/>。また、この頃に車体色が緑色1色に変更されている<ref name="2013-77"/>。

なお、チキ9号については1934年に形式称号が変更され、チキテ2形9号となっている<ref name="1994-30"/>。また、1940年5月15日には、チキ111号とチキ114号が運転中に火災が発生したため全焼した<ref name="1994-31"/>が、翌年2月には復旧されている<ref name="1994-31"/>。

[[第二次世界大戦]]の終了後しばらくは、チキ111号が進駐軍専用車となり<ref name="1988-82"/>、車体に白い帯を巻いた<ref name="1988-82"/>。

=== 複電圧化・鋼体化 ===
1950年から鉄道線に[[小田急電鉄]](小田急)が乗り入れることが決定し、鉄道線の小田原駅から箱根湯本駅までの区間については架線電圧も600Vから1,500Vに昇圧されることになった<ref name="g100-61"/>。これに対応し、鉄道線の車両については600Vと1,500Vの両方に対応した「複電圧仕様」に改造されることになった<ref name="2000-u-72"/>。チキ2形については、まず1950年7月にチキ109号について複電圧化が行われ、その後1953年9月にはモハ2形の残りの車輌が複電圧化、さらに1954年1月にはモハ3形の全車両が複電圧化改造された。なお、形式称号で「チキ」と「モハ」が混在しているのは、1952年には形式称号の変更が行われ、チキ2形はモハ2形に<ref name="1988-80"/>、チキテ2形はモハニ2形に<ref name="1988-80"/>、チキ3形はモハ3形に変更された<ref name="1988-83"/>ためである。形式称号の変更と同時に、チキ8号・チキテ9号・チキ10号については車両番号がモハ108号・モハニ109号・モハ110号に改番されている<!--木造車体のままで改番されている--><ref name="1988-80"/>。車体色についても、窓回りを黄色とし、それ以外の部分を水色とする塗装デザインとした<ref name="2013-30"/>。また、スイス製の主電動機については、モハ1形(チキ1形を称号変更)との連結運用を行う関係で、チキ1形と同出力へ更新が行われている<ref name="1994-32"/>。

[[ファイル:Tozan 109.jpg|thumb|更新後のモハ109号]]
1955年からは、木造車体で製造された車両については、1935年に増備した車両と同一仕様の鋼製車体に更新することになり、1955年6月にモハニ109号が車体更新の上モハ109号に変更され<ref name="1994-30"/>、1956年6月にはモハ108号が<ref name="1994-48"/>、1957年12月にはモハ110号が鋼製車体となった<ref name="1994-48"/>。この3両については、車体更新時に出入口扉の間はクロスシートとされたため、それまでの車両と異なり扉の間には6つの窓が並ぶ仕様となった。また、新造当初から鋼製車体だったチキ2形・チキ3形では車体外板がリベットによる固定だったのに対し、この時に製造された車体は全溶接構造であった<ref name="2013-24"/>。車体の製造を担当したのは、モハ108号とモハ109号が[[東急車輛製造]]<ref name="1988-82"/>、モハ110号は[[東洋工機]]である<ref name="1988-83"/>。

その後、[[1957年]]に小田急で特急車両の[[小田急3000形電車 (初代)|3000形SE車]]が登場すると、車体色も窓周りをグレーとし、窓の上下の帯(ウインドシル・ヘッダー)を白色、それ以外の部分についてはオレンジバーミリオンと、SE車と同様の塗装デザインに変更された<ref name="2013-30"/>。当初は屋根の前縁やヘッドライトもオレンジで、正面下部は曲線的に塗り分けられていた{{refnest|group="注釈"|2008年9月以降にモハ2形108号に施されたデザイン<ref name="2013-31"/>。}}が、しばらくすると屋根周りとヘッドライトについてはオレンジに塗られなくなり、正面デザインも直線的なデザインとなった<ref name="2013-30"/>。

[[ファイル:Tozan-cMc115.jpg|thumb|強羅駅構内に保存されていたモハ115号]]
[[1975年]]にはモハ114号の台車が東急車輛製造のTA-110A形に交換され<ref name="1988-83"/>、それまで装備していた川崎車両製の板台枠台車は[[箱根登山鉄道モニ1形電車|モニ1形]]に流用された<ref name="1988-83"/>。[[1980年]]には電動発電機の設置が行われ<ref name="1988-80-81"/>、1983年にはパンタグラフが下枠交差形へ変更された<ref name="1988-80-81"/>。

[[1984年]]には[[箱根登山鉄道1000形電車|新型車両1000形「ベルニナ号」]]の増備車「ベルニナII」が運用開始されたことに伴い<ref name="g100-92"/>、モハ113号・モハ115号が運用から外れ<ref name="1985-mik"/>、1985年3月18日付で廃車となった<ref name="1988-83"/>。モハ3形は形式の順序からすれば最も新しい車両であった<ref name="2013-82"/>が、車体は最も古かったために早い段階での廃車になったものである<ref name="2013-82"/>{{refnest|group="注釈"|ただし、この2両は廃車時点で車齢49年と、一般的な車両からみれば十分長期間の運用であった<ref name="2013-82"/>。}}。廃車前には2両とも記念の装飾が施され<ref name="2013-33"/>、モハ113号は廃車後に[[箱根町]]の神明町公園に<ref name="2013-36"/>、モハ115号は強羅駅の裏手に[[小田原電気鉄道ユ1形電車|ユ1形「魚菜電車」]]とともに静態保存された<ref name="2013-36"/>が、屋外での保存だったため<ref name="2013-36"/>、撤去され現存しない<ref name="2013-36"/>。

=== 駆動方式変更 ===
[[1985年]]からはモハ2形に対して、台車の交換と同時に駆動方式の変更が行われた<ref name="2013-27"/>。これは、台車を東急車輛製造のTS-330形に変更した上で<ref name="1988-82"/>、主電動機も東洋電機製造の<ref name="1988-82"/>TDK-8180A形に変更<ref name="1994-49"/>、駆動方式も[[中空軸平行カルダン駆動方式]]に変更する<ref name="2000-120-121"/>というもので、改造された車両では、台車に装備されたブレーキシリンダ等の部品が干渉するのを避けるため<ref name="2013-27"/>、側面の客室扉ステップ部分裾板が切り詰められていることが外観上での識別点である<ref name="2013-27"/>。まず同年にモハ110号が<ref name="1994-48"/>、1986年にはモハ109号が<ref name="1994-48"/>、1987年にはモハ107号とモハ111号について改造が行われた<ref name="1994-48"/>。モハ112号は1990年ごろに同様の改造が行われた<ref name="2013-74"/>が、1991年にはモハ111号とモハ112号は廃車となり<ref name="2013-35"/>、台車は2000形「サン・モリッツ号」の第2編成に流用された<ref name="2013-35"/>。

[[ファイル:Tozan-Moha2-inside.jpg|thumb|腰掛が変更されたモハ110号車内]]
[[1990年]]4月から同年9月にかけて、箱根登山鉄道では「花のフェスティバル90」というキャンペーンを展開した<ref name="rj285-112"/>が、これに合わせてモハ110号が上半分を「サン・モリッツ号」と同じ赤色とし、下半分には箱根の観光名所や花を描いた塗装に変更され、同時に同じデザインに変更されたモハ1形101号と2両編成を組んで限定運用に入った<ref name="rj285-112"/>。なお、モハ110号では、車内のクロスシートが「サン・モリッツ号」と同型の腰掛に変更されている<ref name="rj285-112"/>。

また、[[1993年]]7月から鉄道線で3両編成での運転が開始されたことを記念して、車体色も窓周りをマルーンとし、窓の上下の帯(ウインドシル・ヘッダー)を銀色、それ以外の部分については赤みの強いオレンジ色とした塗装デザインがモハ110号に対して施され<ref name="rj324-77"/>、1995年までそのままの塗装で運用された<ref name="2013-31"/>。その後は、モハ1形の2両編成の増結車として運用されることが多い<ref name="rj467-55"/>が、モハ2形だけで2両編成で運用されることもあり<ref name="rj467-55"/>、柔軟な運用が行われている<ref name="rj467-55"/>。

1997年にはモハ114号が廃車となったが、モハ114号は廃車前に窓回りを黄色とし、それ以外の部分を水色とする塗装デザインに変更された<ref name="2013-36"/>。これによってモハ3形は全廃となった<ref name="2013-33"/>。

{{triple image|right|Tozan-108.jpg|160|Tozan cMc108 Mc2002 Kamiohiradai 20070308.jpg|160|Tozan 108 2009.jpg|160|1998年に緑色1色の塗装に変更されたモハ108号|2004年に旧塗装に変更されたモハ108号|2008年にSE車と同様のデザインに変更されたモハ108号}}
1998年4月からは、箱根登山鉄道としての創立70周年<!--日本電力から分離したのが1928年なので間違いではない-->を記念して、モハ108号とモハ109号が緑色1色の塗装に変更された<ref name="2013-31"/>。モハ109号は2000年4月まで、モハ108号は2001年4月までその塗装のままであった<ref name="2013-33"/>。

2000年代に入ってから、全車両とも客用扉が無塗装ステンレス製に変更された<ref name="2013-28"/>。2004年9月からはモハ108号が窓回りを黄色とし、それ以外の部分を水色とする塗装デザインに変更された<ref name="2013-36"/>。さらに2008年9月からは、正面がSE車と同様のデザインとなった1957年以降の塗装デザインに変更された<ref name="2013-36"/>。

== 車両一覧 ==
; 凡例 : Mc …[[制御車|制御電動車]]、CON…[[主制御器|制御装置]]、MG…補助電源装置、CP…[[圧縮機|電動空気圧縮機]]、BT…[[蓄電池]]、PT…[[集電装置]]

モハ2形の表中の()内の数値は鋼体化後か、登場当時から鋼製車体の車両。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #A14023; background-color:#ccc;"|&nbsp;
|style="border-bottom:solid 3px #A14023;" colspan="11"|{{TrainDirection|[[出山信号場|出山]]・[[上大平台信号場|上大平台]]/|[[小田原駅|小田原]]・[[大平台駅|大平台]]・[[強羅駅|強羅]]}}
|-
!形式
| '''チキ2'''('''モハ2''')
|-
!style="border-bottom:solid 3px #7B766A;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;"| Mc
|-
![[鉄道の車両番号|車両番号]]
| '''8''' ('''108''')<br/>'''9''' ('''109''')<br/>'''10''' ('''110''')<br/>('''111''')<br/>('''112''')
|-
!搭載機器
| CON,MG,CP,BT,PT
|-
!style="border-bottom:solid 3px #A14023;"|自重
|style="border-bottom:solid 3px #A14023;"|31.6t (33.3t)
|-
!定員
| 102 (100)
|}

{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #A14023; background-color:#ccc;"|&nbsp;
|style="border-bottom:solid 3px #A14023;" colspan="11"|{{TrainDirection|[[出山信号場|出山]]・[[上大平台信号場|上大平台]]/|[[小田原駅|小田原]]・[[大平台駅|大平台]]・[[強羅駅|強羅]]}}
|-
!形式
| '''チキ3'''('''モハ3''')
|-
!style="border-bottom:solid 3px #7B766A;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #7B766A;"| Mc
|-
![[鉄道の車両番号|車両番号]]
| '''113'''<br/>'''114'''<br/>'''115'''
|-
!搭載機器
| CON,MG,CP,BT,PT
|-
!style="border-bottom:solid 3px #A14023;"|自重
|style="border-bottom:solid 3px #A14023;"|31.6t
|-
!定員
| 100
|}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}

{{reflist}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}

=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="1985-mik">[[#渡辺1985|『トコトコ登山電車』 見返し]]</ref>
<ref name="1988-66">[[#市川1988|『箱根の鉄道100年』 p.66]]</ref>
<ref name="1988-68">[[#市川1988|『箱根の鉄道100年』 p.68]]</ref>
<ref name="1988-69">[[#市川1988|『箱根の鉄道100年』 p.69]]</ref>
<ref name="1988-78">[[#市川1988|『箱根の鉄道100年』 p.78]]</ref>
<ref name="1988-79">[[#市川1988|『箱根の鉄道100年』 p.79]]</ref>
<ref name="1988-80">[[#市川1988|『箱根の鉄道100年』 p.80]]</ref>
<ref name="1988-80-81">[[#市川1988|『箱根の鉄道100年』 pp.80-81]]</ref>
<ref name="1988-81">[[#市川1988|『箱根の鉄道100年』 p.81]]</ref>
<ref name="1988-82">[[#市川1988|『箱根の鉄道100年』 p.82]]</ref>
<ref name="1988-83">[[#市川1988|『箱根の鉄道100年』 p.83]]</ref>
<ref name="1994-14">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.14]]</ref>
<ref name="1994-15">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.15]]</ref>
<ref name="1994-16">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.16]]</ref>
<ref name="1994-17">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.17]]</ref>
<ref name="1994-19">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.19]]</ref>
<ref name="1994-20">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.20]]</ref>
<ref name="1994-29">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.29]]</ref>
<ref name="1994-30">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.30]]</ref>
<ref name="1994-31">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.31]]</ref>
<ref name="1994-32">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.32]]</ref>
<ref name="1994-47">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.47]]</ref>
<ref name="1994-48">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.48]]</ref>
<ref name="1994-49">[[#荒井1994|『箱根登山鉄道への招待』 p.49]]</ref>
<ref name="g100-47">[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.47]]</ref>
<ref name="g100-50">[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.50]]</ref>
<ref name="g100-61">[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.61]]</ref>
<ref name="g100-92">[[#tozan100|『すばらしい箱根』 p.92]]</ref>
<ref name="2000-117">[[#登山江ノ電2000|『箱根登山鉄道と江ノ電の本』 p.117]]</ref>
<ref name="2000-120-121">[[#登山江ノ電2000|『箱根登山鉄道と江ノ電の本』 pp.120-121]]</ref>
<ref name="2000-u-72">[[#生方2000|『小田急物語』 p.72]]</ref>
<ref name="2013-24">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.24]]</ref>
<ref name="2013-27">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.27]]</ref>
<ref name="2013-28">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.28]]</ref>
<ref name="2013-30">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.30]]</ref>
<ref name="2013-31">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.31]]</ref>
<ref name="2013-33">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.33]]</ref>
<ref name="2013-35">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.35]]</ref>
<ref name="2013-36">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.36]]</ref>
<ref name="2013-74">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.74]]</ref>
<ref name="2013-77">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.77]]</ref>
<ref name="2013-79">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.79]]</ref>
<ref name="2013-82">[[#登山2013|『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.82]]</ref>
<ref name="dj93-40">[[#楠居93|『鉄道ダイヤ情報』通巻93号 p.40]]</ref>
<ref name="dj93-44">[[#楠居93|『鉄道ダイヤ情報』通巻93号 p.44]]</ref>
<ref name="rj285-112">[[#RJ285|『鉄道ジャーナル』通巻285号 p.112]]</ref>
<ref name="rj324-77">[[#三浦324| 『鉄道ジャーナル』通巻324号 p.77]]</ref>
<ref name="rj467-52">[[#蛯原467|『鉄道ジャーナル』通巻467号 p.52]]</ref>
<ref name="rj467-55">[[#蛯原467|『鉄道ジャーナル』通巻467号 p.55]]</ref>
}}

== 参考文献 ==
{{Commonscat|Hakone Tozan Type Moha 2}}

=== 社史 ===
* {{Cite book|和書|author =箱根登山鉄道株式会社総務部総務課 |authorlink = |coauthors = |year = 1988|title = すばらしい箱根 グラフ100|publisher = 箱根登山鉄道|ref = tozan100|id = |isbn = }}

=== 書籍 ===
* {{Cite book|和書|author = 荒井文治|authorlink = |coauthors = |year = 1994|origyear = 1988|title = 箱根登山鉄道への招待 |edition =第6版|publisher = [[電気車研究会]]|ref = 荒井1994|id = |isbn = 4885480698}}
* {{Cite book|和書|author = 市川健三編|authorlink = |coauthors = |year = 1988|title = 箱根の鉄道100年|publisher = [[大正出版]]|ref = 市川1988|id = |isbn =4811706184}}
* {{Cite book|和書|author = 生方良雄|authorlink = |coauthors = |year = 2000|title = 小田急物語|publisher = 多摩川新聞社|ref = 生方2000|id = |isbn = 4924882372}}
* {{Cite book|和書|author = 渡辺一夫|authorlink = |coauthors = |year = 1985|title = トコトコ登山電車|publisher = あかね書房|ref = 渡辺1985|id = |isbn = 4251063961}}
* {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 2000|title =箱根登山鉄道と江ノ電の本|publisher = 枻出版社|ref = 登山江ノ電2000|id = |isbn = 4870993163}}
* {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 2013|title = 鉄道車両ガイドVol.15 箱根登山鉄道モハ1・2・3|publisher = [[ネコ・パブリッシング]]|ref = 登山2013|id = |isbn = 9784777014446}}

=== 雑誌記事 ===
* {{Cite journal|和書|author=蛯原宏 |year=2005 |month=9 |title=初夏の山峡にツリカケ三重奏 箱根登山鉄道モハ1形・2形に見る連結運転|journal=[[鉄道ジャーナル]] |issue=467 |pages= 50-55 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 蛯原467}}
* {{Cite journal|和書|author=楠居利彦 |coauthors =|year=1992 |month=1 |title=特集 箱根登山鉄道 |journal=[[鉄道ダイヤ情報]] |issue=93 |pages= 26-47 |publisher=[[交通新聞社|弘済出版社]] |ref =楠居93 }}
* {{Cite journal|和書|author=三浦衛|coauthor= |year= 1993|month=10 |title=天下の険を攀じ登る 箱根登山鉄道 箱根湯本-強羅間3両編成運転化で輸送力増強 |journal= 鉄道ジャーナル|issue=324 |pages=70-77 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 三浦324}}
* {{Cite journal|和書|author=|coauthor= |year= 1990|month=7 |title=RAILWAY TOPICS |journal= 鉄道ジャーナル|issue=285 |pages=107-114 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = RJ285}}


{{箱根登山鉄道の車両}}
{{箱根登山鉄道の車両}}

{{rail-stub}}
{{rail-stub}}



2013年8月27日 (火) 15:34時点における版

小田原電気鉄道チキ2形電車
箱根登山鉄道チキ3形電車
箱根湯本駅に停車中のチキ2形10号
基本情報
製造所 日本車輌製造(チキ2形108-110号)[注釈 1]
川崎車両(チキ2形111-112号・チキ3形)[注釈 1]
主要諸元
電気方式 直流600V→750V・1,500V
架空電車線方式
車両定員 102名[2](チキ2形108-110号製造当初・うち座席50名)
100名[3](チキ2形108-110号鋼体化後・111-112号・うち座席44名)
100名[4](チキ3形・うち座席46名)
自重 車両一覧を参照
最大寸法
(長・幅・高)
14,660mm×2,590mm×4,005mm[2](チキ2形108-110号製造当初)
14,660mm×2,590mm×3,890mm[4](チキ2形108-110号鋼体化後)
14,660mm×2,590mm×3,990mm[4](チキ2形111-112号・チキ3形)
台車 スイス車両エレベーター製造(シュリーレン)板台枠台車(チキ2形製造当初)
川崎車両 板台枠台車(チキ3形製造当初)
東急車輌製造 TS-110[1](チキ3形114号台車交換後)
東急車輌製造 TS-330A[3](駆動方式変更後)
主電動機 ブラウン・ボベリ BBC-GDTM42[5](チキ2形製造当初)
芝浦製作所 SE-121-A[5](チキ3形)
ゼネラル・エレクトリック GE240-A-S[5](チキ3形)[注釈 2]
東洋電機製造 TDK-8180A[4](駆動方式変更後)
主電動機出力 60HP(チキ2形製造当初)
78.3Kw(チキ3形)
搭載数 4基/両
駆動方式 吊り掛け駆動方式(製造当初)
中空軸平行カルダン駆動方式[7](駆動方式変更後)
歯車比 79:16=4.90[5](製造当初)
78:13=6.0[7](駆動方式変更後)
制動装置 電磁直通ブレーキ[7]
発電ブレーキ[7]
レール圧着ブレーキ[7]
手ブレーキ[7]
テンプレートを表示

小田原電気鉄道チキ2形電車(おだわらでんきてつどうチキ2がたでんしゃ)は、小田原電気鉄道(箱根登山鉄道の前身)が導入した電車である。

鉄道線の増備車両として、1927年スイス製の電装品や台車などを使用し、木造車体を有する3両が製造された[5]。その後1935年には同じ電装品を使用して車体を鋼製車体とした車両が2両増備され[8]、木造車体の車両については1955年から1957年にかけて鋼体化が行われた[1]。第二次世界大戦前に鋼製車体で製造された車両は1991年までに廃車となった[9]が、その後も残った車両はチキ1形を称号変更したモハ1形とともに「箱根登山鉄道の顔」とも評されている[10]

本項では、1935年に日本製の電装品や台車などを装備して3両が製造され[8]、1997年までに全車両が廃車となった[11]チキ3形についても記述する。

登場の経緯

小田原電気鉄道では、1919年に鉄道線を開業していたが、当時は第一次世界大戦の影響を受け、当初予定していたスイス製の車両部品の導入ができず[12]、開業時にはアメリカ製の車両部品を使用したチキ1形を導入していた[12]

しかし、その後第一次世界大戦は終結し、1921年に開業した鋼索線では、一切の装置をすべてスイス製から輸入していた[13]。このような状況から、1927年に車両を増備するにあたってはスイス製の車両部品を使用した車両を導入することになり[14]、登場したのが本形式である。

車両概説

本節では、登場当時の仕様を記述する。変更については沿革で後述する。

チキ2形・チキ3形とも、全長14.6mの車両として製造された制御電動車である。形式の先頭に付せられる「チキ」は、「チ」が地方鉄道線用車両を示し[15]、「キ」は客車の意味である[15]。車両番号については、巻末の車両一覧を参照。

車体

チキ2形の製造当初の車体は日本車輌製造によって製造された木造車体である[14]。車両の両側に運転台を装備している[14]が、チキ1形とは異なり運転室として区分され、出入口とは分離された。客用扉は運転室直後と車体中央の3箇所にあり、中央扉には路面からの乗降も可能なようにステップが設けられた[14]。屋根は丸みを帯びた形態である[16]。車内は両端の運転室を除いて、ロングシートの並等客室とクロスシート(ボックスシート)の特等客室に分かれていた。集電装置はトロリーポールを装備した[16]連結器柴田式並形自動連結器を装備した[16]

チキ2形の増備車およびチキ3形の車体は、川崎車両で製造された。車体は鋼製だが窓枠や扉が木製の「半鋼製車体」で[17]、車体外板はリベットによって接合されている[17]。客用扉は2箇所にあり、両端の運転室と客用扉の間には2段窓が2つ、客用扉の間には2段窓が5つ並ぶ[17]。車内はすべてロングシートである。集電装置は菱形パンタグラフに変更された[2]。連結器は住友金属工業のKS22-C形密着連結器を装備した[18][注釈 3]

主要機器

チキ2形

チキ2形の電装品はスイス製のものを使用した[20]

主電動機ブラウン・ボベリ (BBC) 製の直流直巻電動機であるBBC-GDTM42型[5]を採用し、1車両に4基ずつ搭載した[2]。駆動装置は吊り掛け駆動方式[14]歯数比は79:16=4.90である[5]主制御器はBBC製の直接制御器を使用した[15]。制動装置(ブレーキ)は通常の空気ブレーキ手ブレーキのほか、下り勾配で使用する発電ブレーキ、非常用のレール圧着ブレーキを装備した[12]。発電ブレーキ用の大容量抵抗器は屋根上に装備した[21]

台車は、スイス車両エレベーター製造(SWM、日本では「シュリーレン」とも呼ばれる)製の板台枠台車で[22]軸間距離は1,800mm[18]である。主電動機は外側、つまり車軸から見て台車端寄りに装架された[14]。空転に備え、砂撒きによって粘着係数を増加させるための砂箱を設けた[23]。レール圧着ブレーキに使用するカーボランダム片は台車中央に設けられた[23]

チキ3形

チキ3形の電装品はほとんど日本製のものを使用した[24]

主電動機芝浦製作所(後の東芝)製の直流直巻電動機であるSE-121-A型[5]を採用し、1車両に4基ずつ搭載した[5]ほか、1925年に廃車となったチキ1形5号車に使用されていたゼネラル・エレクトリック (GE) 製の直流直巻電動機であるGE240-A-S型が混用された[25]。駆動装置は吊り掛け駆動方式[14]歯数比は79:16=4.90である[5]主制御器は芝浦製作所製の間接制御器を使用した[24]。制動装置(ブレーキ)は通常の空気ブレーキ・手ブレーキのほか、下り勾配で使用する発電ブレーキ、非常用のレール圧着ブレーキを装備した[12]。発電ブレーキ用の大容量抵抗器は屋根上に装備した[21]台車は、チキ2形に使用されたシュリーレン製の板台枠台車を参考にした[8]川崎車両製の板台枠台車である[8]

沿革

運行開始から終戦まで

1927年8月に3両が製造された[5]が、同時に2両分の電装品と台車が輸入されており、これらの部品は湯本電車庫に保管されていた[26]

1935年の増備車を使用した連結運転の試運転

1935年9月にはチキ2形2両とチキ3形3両が増備された[8]。この時に製造された車両はチキ2形とチキ3形とも、川崎車両で製造された全く同じ車体となっていた[8]。1927年に製造された車両とは全く車体が異なる[20]にもかかわらず2両がチキ2形の増備車とされたのは、湯本電車庫に保管されていたスイス製の電装品と台車を使用したためである[20]。車両番号は当初よりチキ111号・チキ112号であった[8]。チキ3形では電装品と台車はほぼ日本製となったため新しい形式となり[27]、車両番号はチキ113号からチキ115号の連番である[8]

これらの車両増備は、当時計画されていた連結運転に対応したもので、少し遡る1934年10月にはチキ9号が芝浦製作所製の間接制御装置を装備し、試運転が行われていた[26]。1935年9月にはチキ2形の全車両が芝浦製作所の間接制御に交換され[28]、連結器も密着連結器に変更された[28]。また、この頃に車体色が緑色1色に変更されている[29]

なお、チキ9号については1934年に形式称号が変更され、チキテ2形9号となっている[30]。また、1940年5月15日には、チキ111号とチキ114号が運転中に火災が発生したため全焼した[31]が、翌年2月には復旧されている[31]

第二次世界大戦の終了後しばらくは、チキ111号が進駐軍専用車となり[32]、車体に白い帯を巻いた[32]

複電圧化・鋼体化

1950年から鉄道線に小田急電鉄(小田急)が乗り入れることが決定し、鉄道線の小田原駅から箱根湯本駅までの区間については架線電圧も600Vから1,500Vに昇圧されることになった[33]。これに対応し、鉄道線の車両については600Vと1,500Vの両方に対応した「複電圧仕様」に改造されることになった[34]。チキ2形については、まず1950年7月にチキ109号について複電圧化が行われ、その後1953年9月にはモハ2形の残りの車輌が複電圧化、さらに1954年1月にはモハ3形の全車両が複電圧化改造された。なお、形式称号で「チキ」と「モハ」が混在しているのは、1952年には形式称号の変更が行われ、チキ2形はモハ2形に[35]、チキテ2形はモハニ2形に[35]、チキ3形はモハ3形に変更された[36]ためである。形式称号の変更と同時に、チキ8号・チキテ9号・チキ10号については車両番号がモハ108号・モハニ109号・モハ110号に改番されている[35]。車体色についても、窓回りを黄色とし、それ以外の部分を水色とする塗装デザインとした[37]。また、スイス製の主電動機については、モハ1形(チキ1形を称号変更)との連結運用を行う関係で、チキ1形と同出力へ更新が行われている[25]

更新後のモハ109号

1955年からは、木造車体で製造された車両については、1935年に増備した車両と同一仕様の鋼製車体に更新することになり、1955年6月にモハニ109号が車体更新の上モハ109号に変更され[30]、1956年6月にはモハ108号が[1]、1957年12月にはモハ110号が鋼製車体となった[1]。この3両については、車体更新時に出入口扉の間はクロスシートとされたため、それまでの車両と異なり扉の間には6つの窓が並ぶ仕様となった。また、新造当初から鋼製車体だったチキ2形・チキ3形では車体外板がリベットによる固定だったのに対し、この時に製造された車体は全溶接構造であった[17]。車体の製造を担当したのは、モハ108号とモハ109号が東急車輛製造[32]、モハ110号は東洋工機である[36]

その後、1957年に小田急で特急車両の3000形SE車が登場すると、車体色も窓周りをグレーとし、窓の上下の帯(ウインドシル・ヘッダー)を白色、それ以外の部分についてはオレンジバーミリオンと、SE車と同様の塗装デザインに変更された[37]。当初は屋根の前縁やヘッドライトもオレンジで、正面下部は曲線的に塗り分けられていた[注釈 4]が、しばらくすると屋根周りとヘッドライトについてはオレンジに塗られなくなり、正面デザインも直線的なデザインとなった[37]

強羅駅構内に保存されていたモハ115号

1975年にはモハ114号の台車が東急車輛製造のTA-110A形に交換され[36]、それまで装備していた川崎車両製の板台枠台車はモニ1形に流用された[36]1980年には電動発電機の設置が行われ[39]、1983年にはパンタグラフが下枠交差形へ変更された[39]

1984年には新型車両1000形「ベルニナ号」の増備車「ベルニナII」が運用開始されたことに伴い[40]、モハ113号・モハ115号が運用から外れ[41]、1985年3月18日付で廃車となった[36]。モハ3形は形式の順序からすれば最も新しい車両であった[42]が、車体は最も古かったために早い段階での廃車になったものである[42][注釈 5]。廃車前には2両とも記念の装飾が施され[11]、モハ113号は廃車後に箱根町の神明町公園に[43]、モハ115号は強羅駅の裏手にユ1形「魚菜電車」とともに静態保存された[43]が、屋外での保存だったため[43]、撤去され現存しない[43]

駆動方式変更

1985年からはモハ2形に対して、台車の交換と同時に駆動方式の変更が行われた[44]。これは、台車を東急車輛製造のTS-330形に変更した上で[32]、主電動機も東洋電機製造の[32]TDK-8180A形に変更[4]、駆動方式も中空軸平行カルダン駆動方式に変更する[7]というもので、改造された車両では、台車に装備されたブレーキシリンダ等の部品が干渉するのを避けるため[44]、側面の客室扉ステップ部分裾板が切り詰められていることが外観上での識別点である[44]。まず同年にモハ110号が[1]、1986年にはモハ109号が[1]、1987年にはモハ107号とモハ111号について改造が行われた[1]。モハ112号は1990年ごろに同様の改造が行われた[45]が、1991年にはモハ111号とモハ112号は廃車となり[9]、台車は2000形「サン・モリッツ号」の第2編成に流用された[9]

腰掛が変更されたモハ110号車内

1990年4月から同年9月にかけて、箱根登山鉄道では「花のフェスティバル90」というキャンペーンを展開した[46]が、これに合わせてモハ110号が上半分を「サン・モリッツ号」と同じ赤色とし、下半分には箱根の観光名所や花を描いた塗装に変更され、同時に同じデザインに変更されたモハ1形101号と2両編成を組んで限定運用に入った[46]。なお、モハ110号では、車内のクロスシートが「サン・モリッツ号」と同型の腰掛に変更されている[46]

また、1993年7月から鉄道線で3両編成での運転が開始されたことを記念して、車体色も窓周りをマルーンとし、窓の上下の帯(ウインドシル・ヘッダー)を銀色、それ以外の部分については赤みの強いオレンジ色とした塗装デザインがモハ110号に対して施され[47]、1995年までそのままの塗装で運用された[38]。その後は、モハ1形の2両編成の増結車として運用されることが多い[48]が、モハ2形だけで2両編成で運用されることもあり[48]、柔軟な運用が行われている[48]

1997年にはモハ114号が廃車となったが、モハ114号は廃車前に窓回りを黄色とし、それ以外の部分を水色とする塗装デザインに変更された[43]。これによってモハ3形は全廃となった[11]

1998年に緑色1色の塗装に変更されたモハ108号 2004年に旧塗装に変更されたモハ108号 2008年にSE車と同様のデザインに変更されたモハ108号
1998年に緑色1色の塗装に変更されたモハ108号
2004年に旧塗装に変更されたモハ108号
2008年にSE車と同様のデザインに変更されたモハ108号

1998年4月からは、箱根登山鉄道としての創立70周年を記念して、モハ108号とモハ109号が緑色1色の塗装に変更された[38]。モハ109号は2000年4月まで、モハ108号は2001年4月までその塗装のままであった[11]

2000年代に入ってから、全車両とも客用扉が無塗装ステンレス製に変更された[49]。2004年9月からはモハ108号が窓回りを黄色とし、それ以外の部分を水色とする塗装デザインに変更された[43]。さらに2008年9月からは、正面がSE車と同様のデザインとなった1957年以降の塗装デザインに変更された[43]

車両一覧

凡例
Mc …制御電動車、CON…制御装置、MG…補助電源装置、CP…電動空気圧縮機、BT…蓄電池、PT…集電装置

モハ2形の表中の()内の数値は鋼体化後か、登場当時から鋼製車体の車両。

 
形式 チキ2モハ2
区分 Mc
車両番号 8 (108)
9 (109)
10 (110)
(111)
(112)
搭載機器 CON,MG,CP,BT,PT
自重 31.6t (33.3t)
定員 102 (100)
 
形式 チキ3モハ3
区分 Mc
車両番号 113
114
115
搭載機器 CON,MG,CP,BT,PT
自重 31.6t
定員 100

脚注

注釈

  1. ^ a b 書類上、チキ2形の製造所は「ブラウンボベリ」となっている[1]
  2. ^ 本文中でも述べているとおり、チキ3形導入後にはSE-121-Aと同規格の主電動機であるGE240-A-Sが混用されるようになった[6]
  3. ^ この連結器を試作したのは芝浦製作所とされている[19]
  4. ^ 2008年9月以降にモハ2形108号に施されたデザイン[38]
  5. ^ ただし、この2両は廃車時点で車齢49年と、一般的な車両からみれば十分長期間の運用であった[42]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 『箱根登山鉄道への招待』 p.48
  2. ^ a b c d 『箱根の鉄道100年』 p.69
  3. ^ a b 『箱根登山鉄道と江ノ電の本』 p.117
  4. ^ a b c d e 『箱根登山鉄道への招待』 p.49
  5. ^ a b c d e f g h i j k 『箱根登山鉄道への招待』 p.47
  6. ^ 『鉄道ダイヤ情報』通巻93号 p.40
  7. ^ a b c d e f g 『箱根登山鉄道と江ノ電の本』 pp.120-121
  8. ^ a b c d e f g h 『箱根登山鉄道への招待』 p.29
  9. ^ a b c 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.35
  10. ^ 『鉄道ジャーナル』通巻467号 p.52
  11. ^ a b c d 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.33
  12. ^ a b c d 『箱根登山鉄道への招待』 p.14
  13. ^ 『すばらしい箱根』 p.47
  14. ^ a b c d e f g 『箱根登山鉄道への招待』 p.17
  15. ^ a b c 『箱根の鉄道100年』 p.78
  16. ^ a b c 『箱根の鉄道100年』 p.79
  17. ^ a b c d 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.24
  18. ^ a b 『箱根の鉄道100年』 p.68
  19. ^ 『すばらしい箱根』 p.50
  20. ^ a b c 『箱根の鉄道100年』 p.81
  21. ^ a b 『箱根登山鉄道への招待』 p.16
  22. ^ 『箱根の鉄道100年』 p.66
  23. ^ a b 『箱根登山鉄道への招待』 p.15
  24. ^ a b 『鉄道ダイヤ情報』通巻93号 p.44
  25. ^ a b 『箱根登山鉄道への招待』 p.32
  26. ^ a b 『箱根登山鉄道への招待』 p.19
  27. ^ 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.79
  28. ^ a b 『箱根登山鉄道への招待』 p.20
  29. ^ 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.77
  30. ^ a b 『箱根登山鉄道への招待』 p.30
  31. ^ a b 『箱根登山鉄道への招待』 p.31
  32. ^ a b c d e 『箱根の鉄道100年』 p.82
  33. ^ 『すばらしい箱根』 p.61
  34. ^ 『小田急物語』 p.72
  35. ^ a b c 『箱根の鉄道100年』 p.80
  36. ^ a b c d e 『箱根の鉄道100年』 p.83
  37. ^ a b c 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.30
  38. ^ a b c 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.31
  39. ^ a b 『箱根の鉄道100年』 pp.80-81
  40. ^ 『すばらしい箱根』 p.92
  41. ^ 『トコトコ登山電車』 見返し
  42. ^ a b c 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.82
  43. ^ a b c d e f g 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.36
  44. ^ a b c 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.27
  45. ^ 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.74
  46. ^ a b c 『鉄道ジャーナル』通巻285号 p.112
  47. ^ 『鉄道ジャーナル』通巻324号 p.77
  48. ^ a b c 『鉄道ジャーナル』通巻467号 p.55
  49. ^ 『箱根登山鉄道モハ1・2・3』 p.28

参考文献

社史

  • 箱根登山鉄道株式会社総務部総務課『すばらしい箱根 グラフ100』箱根登山鉄道、1988年。 

書籍

  • 荒井文治『箱根登山鉄道への招待』(第6版)電気車研究会、1994年(原著1988年)。ISBN 4885480698 
  • 市川健三編『箱根の鉄道100年』大正出版、1988年。ISBN 4811706184{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  • 生方良雄『小田急物語』多摩川新聞社、2000年。ISBN 4924882372 
  • 渡辺一夫『トコトコ登山電車』あかね書房、1985年。ISBN 4251063961 
  • 『箱根登山鉄道と江ノ電の本』枻出版社、2000年。ISBN 4870993163 
  • 『鉄道車両ガイドVol.15 箱根登山鉄道モハ1・2・3』ネコ・パブリッシング、2013年。ISBN 9784777014446 

雑誌記事

  • 蛯原宏「初夏の山峡にツリカケ三重奏 箱根登山鉄道モハ1形・2形に見る連結運転」『鉄道ジャーナル』第467号、鉄道ジャーナル社、2005年9月、50-55頁。 
  • 楠居利彦「特集 箱根登山鉄道」『鉄道ダイヤ情報』第93号、弘済出版社、1992年1月、26-47頁。 
  • 三浦衛「天下の険を攀じ登る 箱根登山鉄道 箱根湯本-強羅間3両編成運転化で輸送力増強」『鉄道ジャーナル』第324号、鉄道ジャーナル社、1993年10月、70-77頁。 
  • 「RAILWAY TOPICS」『鉄道ジャーナル』第285号、鉄道ジャーナル社、1990年7月、107-114頁。