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'''カンタレラ''' ({{lang-it-short|cantarella}}) は、[[イタリア]]の[[ボルジア家|ボルジャ家]]が[[暗殺]]に用いた、「ボルジャ家秘伝の毒」とされる[[毒薬]]である。
'''カンタレラ''' ({{lang-it-short|cantarella}}) は、[[イタリア]]の貴族[[ボルジア家]]が[[暗殺]]に用いたとされる[[毒薬]]。[[スイス]]の[[歴史家]]、[[ヤーコプ・ブルクハルト]]は著書の中で「あの雪のように白く、快いほど甘美な粉薬」と形容している<ref>{{Cite book |last = Burckhardt |first = Jacob |authorlink = ヤーコプ・ブルクハルト|year = 1860 |title = Die Kultur der Renaissance in Italien |page=118 |publisher = Schweighauser |ref = harv}}</ref>。


== 語源 ==
詳細な組成や製法は不明であるが、[[ヒ素]]系毒薬であると推測されている。[[スイス]]の歴史家[[ヤーコプ・ブルクハルト]]は「雪のように白く味の良い粉薬」としている。
カンタレラという名前について19世紀の毒物学者フランダン<!-- Charles Flandin? -->は[[イタリア語]]で「歌を歌わせる(=強請る)」の意味であり、毒を飲ませて金品を巻き上げることが語源であるとしている<ref name="澁澤">{{Cite |和書 |author = 澁澤龍彦 |title = 澁澤龍彦全集 第3巻 |date = 1993/08/09 |publisher = 河出書房新社 |isbn = 978-4-309-70653-5 |page = 152 |ref = harv }}</ref>。また、[[ハンミョウ]]の粉末を指す「カンタリス」から来たとする説もある<ref name="澁澤"></ref>。


== 組成 ==
カンタレラによると言われる有名な事件は、[[1503年]]に[[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]](ロドリーゴ・ボルジャ)と[[チェーザレ・ボルジア|チェーザレ・ボルジャ]]の父子が倒れた事件である。アレクサンデル6世はそのまま死去した。チェーザレは自らも幾度もカンタレラを暗殺に使ったとブルクハルトは主張している。
=== マンダラゲ説 ===
[[ファイル:Gc12 Datura.jpg|thumb|150px|マンダラゲのスケッチ]]
ヨーロッパでは古くから「[[ダツラ]]」の名で知られ毒物として利用されてきた<ref>{{Cite book |title=Brugmansia and datura : angel's trumpets and thorn apples |author=Ulrike Preissel author2=Hans-Georg Preissel |year=2002 |publisher=Firefly Books |page=106-129}}</ref>、マンダラゲ([[チョウセンアサガオ]])を[[チェーザレ・ボルジア]]が暗殺に用いたとする説がある<ref>{{Cite |和書 |author = 福本和夫 |title = 日本ルネッサンス史論 1661年より1850年に至る日本ルネッサンスの比較・綜合 研究 総論編 |date = 1967 |publisher = 法政大学出版局 |isbn = 9784588325021 |page = 245 |ref = harv }}</ref>。但し、マンダラゲに含まれる[[トロパンアルカロイド]]は危険な量ではあるが、1972年の[[群馬県]][[沼田市]]における集団中毒や1977年の[[岩手県]]での中毒事件においてはマンダラゲの種子や根を丸ごと誤食したにも関わらず死者は出ておらず<ref>{{Cite |和書 |author = 船山信次 |title = 毒 青酸カリからギンナンまで |date = 2012/05/18 |publisher = PHP研究所 |isbn = 978-4-569-80285-5 |page= 134-135|ref = harv}}</ref>、ワインなどに密かに混ぜて相手を毒殺するという用途には毒性が足りないとも考えられる。


=== カンタリス説 ===
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[[ファイル:Cysteodemus armatus031611.jpg|thumb|130px|ツチハンミョウ]]
[[ツチハンミョウ]]科の昆虫は威嚇の為に[[カンタリジン]]と呼ばれる毒物を含む油状の液体を分泌する<ref>{{Cite |和書 |author = ジョージ・マクガヴァン |translator = 岸本年郎 |title = 完璧版 昆虫の写真図鑑 |date = 2000/04 |publisher = 日本ヴォーグ社 |isbn = 978-4-529-03267-4 |page= 124|ref = harv}}</ref>。語源の項で述べた通り、カンタレラの語源がカンタリジンであるとする説がある。カンタリジンは[[薬事法施行規則]]においても「生薬、動植物成分及びそれらの製剤」として「毒物及び劇薬の範囲」に含められている<ref>[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S36/S36F03601000001.html#1000000000006000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000 薬事法施行規則第二百四条]</ref>。</br>但し、カンタリジンが初めて分離抽出されたのは1872年にピエール・ジャン・ロビケによってであり<ref>{{Cite book |last = Wolter |first = Hans |year = 1995 |title = Kompendium der Tierärztlichen Homöopathie |publisher = Enke |isbn = 978-3432978925 |page= 181|ref = harv}}</ref>、ボルジア家の時代にこの毒物を高純度で用いることは難しく、マンダラゲと同様に毒性が不十分だとも考えられる。

=== プトマイン説 ===
プトマイン({{lang-de-short|Ptomain}})とは「屍毒」({{lang-de-short|Leichengift}})とも呼ばれる毒物で、動物の死体を腐敗させる事で得られるとされ、食中毒の原因物質であると考えられていた。[[日本薬科大学]]薬学科教授の[[船山信次]]は、「有名なボルジア家(BorgiasまたはBorjas)の毒薬であるカンタレラ(cantarella)は、プトマインとみなされていた」としている<ref name="船山">{{Cite |和書 |author = 船山真次 |title = アミノ酸 タンパク質と生命活動の化学 |date = 2009/7/30 |publisher = 東京電機大学出版局 |isbn = 978-4501624705 |page= 190|ref = harv}}</ref>。
プトマイン中毒は[[アガサ・クリスティ]]の小説に登場するなど昔から有名だが<ref name="山崎">{{Cite |和書 |author = 山崎昶 |title = 基礎から考える化学 |date = 2008/09/01 |publisher = 化学同人 |isbn = 9784759810899 |page=130 |ref = harv}}</ref>、凄まじい臭気のため容易に混入を感知できるため<ref name="山崎"></ref>、現代では「プトマイン中毒説は消滅し、プトマインやプトマイン中毒は、歴史上にのみ存在する言葉」<ref name="船山"></ref>であるとされている。よって、カンタレラの主成分がプトマインであるとする説には無理があるといえる。

=== 砒素化合物説 ===
「逆さ吊りにして撲殺したブタの肝臓をすり潰したものに、[[三酸化二ヒ素|亜砒酸]]を混入して腐敗させたものを、乾燥したものか液体にしたもの」<ref name="船山"></ref>がカンタレラであるとする説もある。亜ヒ酸の毒性は非常に強く、摂取すると死に至ることもある<ref>{{Cite |和書 |author = 村上雅人 |title = 元素を知る事典: 先端材料への入門 |date = 2004年11月 |publisher = 海鳴社 |isbn = 978-4-87525-220-7 |page=129 |ref = harv }}</ref>。更に、亜砒酸を含む砒素化合物はその摂取経路や摂取量によって症状が慢性や急性に変化するため<ref>{{Cite |和書 |author = 村田徳治 |title = 廃棄物のやさしい化学 第1巻 有害物質の巻 |date = 2003/05 |edition = 新訂 |publisher = 日報出版 |isbn = 9784890861804 |page=139 |ref = harv }}</ref>、亜砒酸をカンタレラの主成分であるとすれば「処方により即効毒にも遅効毒にも自由に操れた」とされる当時の記述にも矛盾が無く説明がつく<ref name="船山"></ref>。<br/>また、砒素は13世紀には[[アルベルトゥス・マグヌス]]により単体での製造法が記されているため<ref>{{Cite report |author=前田正史 |date=2005 |title=研究課題「循環型社会における問題物質群の環境対応処理技術と社会的解決」研究実施終了報告書 |url=http://www.ristex.jst.go.jp/result/circulation/pdf/env01.pdf |publisher=科学技術振興機構 社会技術研究開発センター |page=8 |accessdate=2012/09/17}}</ref>、ボルジア家の時代には高純度のものが入手可能であったと考えられる。

== 伝説 ==
[[ファイル:Wilhelm Trübner Tod Alexanders.jpg|thumb|250px|死せるアレクサンデル]]
1503年夏に教皇アレクサンデル6世が没し、その息子チェーザレが重病で床に臥せった原因も、彼らが誤ってカンタレラを自分たちで服用したためだとする研究者もいる<ref>{{Cite book |author = John N.D. Kelly |year = 1995 |title = Vite dei Papi |publisher = Oxford University Press |isbn = 88-384-2290-7 |page= 617 |ref = harv}}</ref>。教皇父子は、病に伏せる数日前に参加していたコルネート枢機卿宅での宴会にて、参加者に対してカンタレラ入りのワインを飲ませるつもりが、ボーイの不注意で彼ら自身も含む参列者全員に供されてしまったとする説である<ref name="クルーラス">{{Cite |和書 |author = イヴァン・クルーラス |translator = 大久保昭男 |title = ボルジア家 |date = 1989/02 |publisher = 河出書房新社 |isbn = 978-4309221588 |page=342 |ref = harv }}</ref>。この説は[[フランチェスコ・グイチャルディーニ]]や後世の歴史家たちも賛同しているが<ref name="クルーラス"></ref>、当時の資料に記された教皇父子の症状は[[マラリア]]のそれであり、「三日ごとの熱」という当時のマラリアの病名も挙げられているため<ref name="塩野">{{Cite |和書 |author = 塩野七生 |title = チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 |date = 1970 |publisher = 新潮社 |page=236-237 |ref = harv }}</ref>、当時流行していたマラリアが彼らの病の正体である可能性が高いと言える。</br>また、イヴァン・クルーラスは砒素に防腐作用があることを述べたうえで、教皇の死体が忽ち腐敗したという同時代人による記述について指摘し、教皇父子が何らかの形で服毒していたとしても「ボルジア家の有名なあの毒薬ではなかったということになる」<ref name="クルーラス"></ref>としている。

== 実在性 ==
[[塩野七生]]は、[[ヴェネツィア共和国]]の[[十人委員会 (ヴェネツィア共和国)|十人委員会]]が当時最も毒薬に詳しかった組織であるとし、同委員会の当時の資料では毒殺に関する記述は極めて幼稚で、成功例も殆ど無いことから、「世に有名なボルジア家の毒薬とは、法王とチェーザレ二人の頭脳のことではなかったか」<ref name="塩野"></ref>としている。

== 脚注 ==
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2012年9月23日 (日) 00:24時点における版

教皇アレクサンデル6世

カンタレラ (: cantarella) は、イタリアの貴族ボルジア家暗殺に用いたとされる毒薬スイス歴史家ヤーコプ・ブルクハルトは著書の中で「あの雪のように白く、快いほど甘美な粉薬」と形容している[1]

語源

カンタレラという名前について19世紀の毒物学者フランダンはイタリア語で「歌を歌わせる(=強請る)」の意味であり、毒を飲ませて金品を巻き上げることが語源であるとしている[2]。また、ハンミョウの粉末を指す「カンタリス」から来たとする説もある[2]

組成

マンダラゲ説

マンダラゲのスケッチ

ヨーロッパでは古くから「ダツラ」の名で知られ毒物として利用されてきた[3]、マンダラゲ(チョウセンアサガオ)をチェーザレ・ボルジアが暗殺に用いたとする説がある[4]。但し、マンダラゲに含まれるトロパンアルカロイドは危険な量ではあるが、1972年の群馬県沼田市における集団中毒や1977年の岩手県での中毒事件においてはマンダラゲの種子や根を丸ごと誤食したにも関わらず死者は出ておらず[5]、ワインなどに密かに混ぜて相手を毒殺するという用途には毒性が足りないとも考えられる。

カンタリス説

ツチハンミョウ

ツチハンミョウ科の昆虫は威嚇の為にカンタリジンと呼ばれる毒物を含む油状の液体を分泌する[6]。語源の項で述べた通り、カンタレラの語源がカンタリジンであるとする説がある。カンタリジンは薬事法施行規則においても「生薬、動植物成分及びそれらの製剤」として「毒物及び劇薬の範囲」に含められている[7]
但し、カンタリジンが初めて分離抽出されたのは1872年にピエール・ジャン・ロビケによってであり[8]、ボルジア家の時代にこの毒物を高純度で用いることは難しく、マンダラゲと同様に毒性が不十分だとも考えられる。

プトマイン説

プトマイン(: Ptomain)とは「屍毒」(: Leichengift)とも呼ばれる毒物で、動物の死体を腐敗させる事で得られるとされ、食中毒の原因物質であると考えられていた。日本薬科大学薬学科教授の船山信次は、「有名なボルジア家(BorgiasまたはBorjas)の毒薬であるカンタレラ(cantarella)は、プトマインとみなされていた」としている[9]。 プトマイン中毒はアガサ・クリスティの小説に登場するなど昔から有名だが[10]、凄まじい臭気のため容易に混入を感知できるため[10]、現代では「プトマイン中毒説は消滅し、プトマインやプトマイン中毒は、歴史上にのみ存在する言葉」[9]であるとされている。よって、カンタレラの主成分がプトマインであるとする説には無理があるといえる。

砒素化合物説

「逆さ吊りにして撲殺したブタの肝臓をすり潰したものに、亜砒酸を混入して腐敗させたものを、乾燥したものか液体にしたもの」[9]がカンタレラであるとする説もある。亜ヒ酸の毒性は非常に強く、摂取すると死に至ることもある[11]。更に、亜砒酸を含む砒素化合物はその摂取経路や摂取量によって症状が慢性や急性に変化するため[12]、亜砒酸をカンタレラの主成分であるとすれば「処方により即効毒にも遅効毒にも自由に操れた」とされる当時の記述にも矛盾が無く説明がつく[9]
また、砒素は13世紀にはアルベルトゥス・マグヌスにより単体での製造法が記されているため[13]、ボルジア家の時代には高純度のものが入手可能であったと考えられる。

伝説

死せるアレクサンデル

1503年夏に教皇アレクサンデル6世が没し、その息子チェーザレが重病で床に臥せった原因も、彼らが誤ってカンタレラを自分たちで服用したためだとする研究者もいる[14]。教皇父子は、病に伏せる数日前に参加していたコルネート枢機卿宅での宴会にて、参加者に対してカンタレラ入りのワインを飲ませるつもりが、ボーイの不注意で彼ら自身も含む参列者全員に供されてしまったとする説である[15]。この説はフランチェスコ・グイチャルディーニや後世の歴史家たちも賛同しているが[15]、当時の資料に記された教皇父子の症状はマラリアのそれであり、「三日ごとの熱」という当時のマラリアの病名も挙げられているため[16]、当時流行していたマラリアが彼らの病の正体である可能性が高いと言える。
また、イヴァン・クルーラスは砒素に防腐作用があることを述べたうえで、教皇の死体が忽ち腐敗したという同時代人による記述について指摘し、教皇父子が何らかの形で服毒していたとしても「ボルジア家の有名なあの毒薬ではなかったということになる」[15]としている。

実在性

塩野七生は、ヴェネツィア共和国十人委員会が当時最も毒薬に詳しかった組織であるとし、同委員会の当時の資料では毒殺に関する記述は極めて幼稚で、成功例も殆ど無いことから、「世に有名なボルジア家の毒薬とは、法王とチェーザレ二人の頭脳のことではなかったか」[16]としている。

脚注

  1. ^ Burckhardt, Jacob (1860). Die Kultur der Renaissance in Italien. Schweighauser. p. 118 
  2. ^ a b 澁澤龍彦『澁澤龍彦全集 第3巻』河出書房新社、1993年8月9日、152頁。ISBN 978-4-309-70653-5 
  3. ^ Ulrike Preissel author2=Hans-Georg Preissel (2002). Brugmansia and datura : angel's trumpets and thorn apples. Firefly Books. p. 106-129 
  4. ^ 福本和夫『日本ルネッサンス史論 1661年より1850年に至る日本ルネッサンスの比較・綜合 研究 総論編』法政大学出版局、1967年、245頁。ISBN 9784588325021 
  5. ^ 船山信次『毒 青酸カリからギンナンまで』PHP研究所、2012年5月18日、134-135頁。ISBN 978-4-569-80285-5 
  6. ^ ジョージ・マクガヴァン 著、岸本年郎 訳『完璧版 昆虫の写真図鑑』日本ヴォーグ社、2000年4月、124頁。ISBN 978-4-529-03267-4 
  7. ^ 薬事法施行規則第二百四条
  8. ^ Wolter, Hans (1995). Kompendium der Tierärztlichen Homöopathie. Enke. p. 181. ISBN 978-3432978925 
  9. ^ a b c d 船山真次『アミノ酸 タンパク質と生命活動の化学』東京電機大学出版局、2009年7月30日、190頁。ISBN 978-4501624705 
  10. ^ a b 山崎昶『基礎から考える化学』化学同人、2008年9月1日、130頁。ISBN 9784759810899 
  11. ^ 村上雅人『元素を知る事典: 先端材料への入門』海鳴社、2004年11月、129頁。ISBN 978-4-87525-220-7 
  12. ^ 村田徳治『廃棄物のやさしい化学 第1巻 有害物質の巻』(新訂)日報出版、2003年5月、139頁。ISBN 9784890861804 
  13. ^ 前田正史 (2005). 研究課題「循環型社会における問題物質群の環境対応処理技術と社会的解決」研究実施終了報告書 (PDF) (Report). 科学技術振興機構 社会技術研究開発センター. p. 8. 2012/09/17閲覧 {{cite report}}: |accessdate=の日付が不正です。 (説明)
  14. ^ John N.D. Kelly (1995). Vite dei Papi. Oxford University Press. p. 617. ISBN 88-384-2290-7 
  15. ^ a b c イヴァン・クルーラス 著、大久保昭男 訳『ボルジア家』河出書房新社、1989年2月、342頁。ISBN 978-4309221588 
  16. ^ a b 塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』新潮社、1970年、236-237頁。