テキサスタワー乱射事件
テキサスタワー乱射事件 | |
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テキサス大学オースティン校本館時計塔。28階建て、93mの高さを誇る | |
場所 | アメリカ合衆国テキサス州テキサス大学オースティン校 |
日付 | 1966年8月1日 |
標的 | 民間人 |
攻撃手段 | 狙撃 |
武器 | 狙撃ライフル銃等の銃器 |
死亡者 | 15名 |
負傷者 | 31名 |
犯人 | チャールズ・ジョセフ・ホイットマン |
動機 | 不明 |
対処 | オースティン警察が犯人を射殺 |
テキサスタワー乱射事件(テキサスタワーらんしゃじけん、University of Texas tower shooting)とは、1966年8月1日にアメリカ合衆国のテキサス大学オースティン校で発生した銃乱射事件である。
概要
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チャールズ・ジョセフ・ホイットマン(1963年)
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凶器のカービン銃や狙撃ライフル等の銃器
1966年8月1日正午、元海兵隊員で、テキサス大学の大学院生であるチャールズ・ホイットマンがテキサス大学オースティン校本館時計塔にM1カービン銃、レミントンM700狙撃ライフル等の銃器、立て籠もりのための食料等を持ち込み、受付嬢や見学者を殺害した後に同時計塔展望台に立て籠もり、眼下の人を次々に撃ち始めた。
事件の一報を受けたオースティン警察が出動するも、90mもの高さを利用した射撃に歯が立たず、警察が地下水道からタワーに侵入してチャールズを射殺するまでの96分の間に警察官や一般市民など15名の犠牲者(犯人のチャールズを含まず。当時腎臓を撃たれて重い障害が残り、後に死亡した1名と、被害者の1人の胎内にいた胎児を含めて16名ないし17名とする場合もある)、31名の負傷者を出す等、2007年4月16日にバージニア工科大学銃乱射事件が起きるまで最悪の学校銃乱射事件となった。
犯人の人物像
犯人であるチャールズ・ジョセフ・ホイットマン(Charles Joseph Whitman)は1941年6月24日生まれ。裕福な中流上層家庭で何不自由なく育った。成績優秀でスポーツ万能、音楽の才能を示すなど、恵まれた少年時代を過ごしている。その一方、厳格な父親からは体罰を含む厳しいしつけを受け、父との関係は悪かった。ボーイスカウトとして活動していた12歳のときには、当時世界最年少のイーグルスカウトに昇進したこともあった。アメリカ海兵隊で一級射手の資格を取ったのち除隊。事件当時は犯行の舞台となったテキサス大学で建築学を学ぶ大学院生であった。性格は穏やかで快活。冗談がうまく、子供好きで、誰にでも愛想が良く、「模範的なアメリカの好青年」であったといわれている。
1966年、両親が離婚したころから発作的な暴力衝動や激しい頭痛に悩まされるようになり、カウンセリングを受けている。事件に先立ち「悲しませたくないから」という理由で妻と母を殺害、死後に自分を解剖をするよう希望する遺書を遺している。また、この遺書には、父親に対する憎悪の念が生々しく記されていた。他に、父親と弟に宛てた遺書も残されているが、父親宛ての遺書は現在も公表されていない。事件後、実際に解剖が行われ、脳の視床下部の部分からくるみ大[1]の腫瘍が発見された。この腫瘍が脳の扁桃核を圧迫し、暴力衝動を誘発していたとも考えられたが、事件へどの程度影響したかや、事件の詳しい動機などはよくわかっていない。
エピソード
- 前年8月に発生したワッツ暴動と並び特殊部隊SWATが創設される契機となった事件である(当時、オースティン警察には機動隊に相当する部隊しかなかった)。
- 映画『フルメタル・ジャケット』において、海兵隊の教練指導官ハートマン軍曹(R・リー・アーメイ)が「チャールズ・ホイットマンは500ヤードの距離で柱の陰の男(地元警察の警官)を撃ち抜いた。あいつはどこで射撃を習った? もちろん海兵隊だ!」と、リー・ハーヴェイ・オズワルドの事柄と共に言及している。
関連作品
- 『殺人者はライフルを持っている!』(映画) - 石油貯蔵タンク上からの乱射シーンは本事件をモデルとしており、犯人(主人公)役のティム・オケリーはチャールズ・ホイットマンに似ているため配役された。
- 『パニック・イン・テキサスタワー』(映画)
- 『パニック・イン・スタジアム』(映画)本事件をモデルとしたチャールトン・ヘストン主演のパニック映画。
- 『アメリカン・バイオレンス』(映画) - 本事件を紹介している。
- 『大量殺人者』(ノンフィクション)
- 『Tower』(映画)
脚注
関連項目
外部リンク
- テキサス大でライフル乱射 元海兵隊員が13人殺害 - 懐かしの毎日ニュース、2017年1月9日閲覧