熨斗

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伝統的な熨斗

熨斗(のし)とは、戦後に於いて、一般的には慶事、における贈進物に添える熨斗と水引きのついた包装紙である。 意外かも知れないが、現代の熨斗にはなんの礼法的な意味を持たない。 元来は、室町時代より約600年の歴史を持つ日本伝統文化の折形礼法の一つ、熨斗鮑包みが、戦後形骸化、デパートが 大量販売するために、手づから物を包んで渡す「折形」を無視、祝儀包みではなく礼法にない「祝儀袋」等の表面に意味もなく印刷、 縁起がよさそうと形骸化、簡略化された飾りとなってしまった。水引きまでセットで印刷されてしまっているが デザイン専攻で、礼法的な意味、熨斗の意味、熨斗包みの形状、熨斗包みの色合わせ、水引の本数、水引の色すべて間違ってしまっている。

熨斗鮑[編集]

伊勢の熨斗鮑制の図。歌川国貞画。江戸時代。

概要[編集]

元来、熨斗鮑とはアワビの肉を薄く削ぎ、干して琥珀色の生乾きになったところで、竹筒で押して伸ばし、更に水洗いと乾燥、押し伸ばしを交互に何度も繰り返すことによって調製したものを指した。

「のし」は延寿に通じ、アワビは長寿をもたらす食べ物とされたため、古来より縁起物とされ、神饌として用いられてきた。『肥前国風土記』には熨斗鮑についての記述が記されている。また、平城宮跡の発掘では安房国より長さ4尺5寸(約1.5m)のアワビが献上されたことを示す木簡が出土している(安房国がアワビの産地であったことは、『延喜式』主計寮式にも記されている)。中世の武家社会においても武運長久に通じるとされ、陣中見舞などに用いられた。『吾妻鏡』には建久3年(1191年)に源頼朝の元に年貢として長い鮑(熨斗鮑)が届けられたという記録がある。

神饌として伊勢神宮に奉納される他、縁起物、価値の高い神饌として熨斗鮑び包み(折形)で包み、贈進されている。


伊勢神宮における熨斗鮑[編集]

伊勢神宮では、古来の製法で調製された熨斗鮑が、6月と12月の月次祭(つきなみさい)、10月の神嘗祭(かんなめさい)で奉納される。この熨斗鮑は三重県鳥羽市国崎町の神宮御料鰒調製所にて調製される。熨斗鮑造りは、毎年6月から8月にかけて作業が行われ、一回に使われる鮑は約200kg。一つ一つ皮を剥くように薄く切っていき、それを干していく。調進所より少し先のヒノキで造られた干し場で、布のようになった鮑が下がる風景を見ることもできる。毎年7月2週目の日曜日に熨斗鮑祭りが開催される。第11代垂仁天皇の第4皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が国崎を訪れた際、「お弁」と言う海女からアワビを献上されたことが由来とされる。

現代の折り熨斗[編集]

現代では礼法的な価値、贈る気持ちが形骸化され、意味もなくデザイン重視で紙を折り込んで中央に黄色の短冊状の紙が付されているものを熨斗とすることが多く、この黄色の短冊状の紙の部分が熨斗鮑を表している。折り熨斗とも呼ばれるが本来の熨斗ではない。

その他の熨斗[編集]

熨斗の簡略化が進んで折り熨斗が紙に直接印刷されている場合も多く、また、熨斗鮑の本来の形から離れて印刷のしと呼ばれる次のような熨斗が用いられることもある。

文字のし
「のし」の2文字を用いたもの
わらびのし
ワラビを熨斗にデザインしたもの
松葉のし
松葉を熨斗にデザインしたもの

熨斗に関するしきたり[編集]

正しい熨斗に関する決まり、故実は、伊勢貞丈の「貞丈雑記」「包結図説」が最も文献として正確に残されている。

  • 仏事(主に弔事)などの贈進物には、熨斗を付けない。仏教では生臭物を避けるため。仏事でもお祝いごとの場合は戒律の厳しい宗派では気にされるが、最近は熨斗を付ける場合も多いのは残念極まりない。
  • 魚介類を贈進する場合は、熨斗を付けない。付けること自体も魚介類の時だけつけないというのも間違いだが、現代ではデザイン重視で特に何も気にされていない。
  • お見舞いには熨斗を付けない。弔事に熨斗を避けることから、熨斗がお祝いの意味に理解されるようになり、現在市販されている御見舞と字の入った金封・祝儀袋はほとんどが熨斗無しである。本来は熨斗鮑が長寿を願う縁起物であるので、熨斗を付けたほうが良いという根拠のない迷信が広まっている。


関連項目[編集]

外部リンク[編集]