潔世王

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潔世王(きよよおう、弘仁11年(820年) - 元慶6年4月28日882年5月19日))は、平安時代前期の皇族桓武天皇の孫。二品仲野親王の八男。子に平遂良がいる。官位従四位上民部大輔

経歴[編集]

幼い頃から歴史や伝記を学び[1]文章生に補せられる[2]。しかし、長く対策に及第できず文章生のまま、貞観2年(860年)41歳にして従四位下に直叙された。

しばらく散位であったが、貞観5年(863年大学頭に任ぜられる。大学頭在任中、貞観8年(866年)の高山祭使や[3]、貞観10年(868年)の文徳天皇田邑陵で発生した野火に伴う陵への使い[4]など臨時の使者を務めている。その後、従四位上・民部大輔に叙任された後、貞観17年(875年)には雨乞い等のために神功皇后陵への使者も務めた[5]元慶6年(882年)4月28日卒去享年63。最終官位散位従四位上。

官歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本三代実録』元慶6年4月28日条
  2. ^ 『日本三代実録』貞観2年11月16日条
  3. ^ 『日本三代実録』貞観8年7月1日条
  4. ^ 『日本三代実録』貞観10年2月25日条
  5. ^ 『日本三代実録』貞観17年7月3日条

参考文献[編集]