淵ノ上忠義

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淵ノ上忠義
生誕 1913年1月5日
日本の旗 日本 鹿児島県
死没 (2001-07-29) 2001年7月29日(88歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍
警察予備隊
保安隊
陸上自衛隊
軍歴 1942 - 1945(日本陸軍)
1950 - 1952(予備隊)
1952 - 1954(保安隊)
1954 - 1965(陸自)
最終階級 陸将
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淵ノ上 忠義(ふちのかみ ただよし、1913年大正2年)1月5日[1] - 2001年(平成13年)7月29日[2])は、日本台湾総督府官僚陸軍司政官陸上自衛官弁護士。最終階級は陸将

経歴・人物[編集]

鹿児島県鹿児島市草牟田町に生まれる[3]鹿児島県立第二中学校第八高等学校文科[注 1]を経て、1935年(昭和10年)3月、東京帝国大学法学部を卒業する[3]。同年10月[4]高等試験行政科合格後[3]1936年(昭和11年)4月、台湾総督府財務局に奉職する[1]

ついで1938年(昭和13年)2月、地方理事官に進み、台中州大屯郡守に就任[3]。のち高雄州警務課長、財務局事務官、台北州高等警察課長、台中州教育課長を経て、1942年(昭和17年)11月、陸軍司政官に選任され[1]第25軍軍政監部附となった[5]

戦後は、1950年(昭和25年)10月25日、陸上自衛隊の前身である警察予備隊1等警察正(現・1等陸佐)として入隊し[6]第一幕僚監部監察課長、陸上自衛隊業務学校[7]、第2管区(現・第2師団)副総監兼旭川駐屯地司令、自衛隊長野地方連絡部長などを歴任し、1965年(昭和40年)3月30日に陸将で退官(特別昇任)。退官後は弁護士となる[8]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、318頁では第七高等学校造士館

出典[編集]

  1. ^ a b c 興南新聞社 1943, 353頁.
  2. ^ 『官報』(号外第199号・平成13年9月18日)
  3. ^ a b c d 太田 1940, 500頁.
  4. ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、318頁。
  5. ^ 第269号 昭和19年12月21日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120928600 、昭和19年12月21日。
  6. ^ 『官報』(本紙第7369号・昭和26年8月2日)
  7. ^ 『(陸上自衛隊業務学校長)陸将補淵ノ上忠義アメリカ合衆国へ出張を命ずるの件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、昭和30年10月18日。
  8. ^ 『官報』(本紙第12130号・昭和42年5月25日)

参考文献[編集]