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津田信綜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
津田信綜
時代 江戸時代中期
生誕 元禄10年(1697年
死没 享保19年7月18日1734年8月16日
改名 盛昌、新十郎、六郎兵衛、金十郎、信綜
主君 徳川継友宗春
尾張藩士(尾張衆)
氏族 津田氏
父母 父:津田信明
兄弟 信綜吉原甚太夫仲治
養子:信栄
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津田 信綜(つだ のぶふさ?)は、江戸時代中期の尾張藩士。家紋は織田木瓜。

略歴

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岩倉織田氏の系統・津田信明の嫡男として誕生。

正徳3年(1713年)、父が病気により隠居し、家督相続する(1000石、普請組寄合)。享保10年(1725年)、大番頭となる。

嫡子がなく、妹の子・信栄を養嗣子として家督相続させた。

享保19年(1734年7月18日、病没。享年38。

脚注

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参考文献

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