池田廉二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

池田 廉二(いけだ れんじ、1890年明治23年)12月29日[1][2] - 1964年昭和39年)7月8日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

愛知県出身[1][2][3]。陸軍憲兵少佐・池田筆吉の二男として生まれる[1]名古屋陸軍地方幼年学校陸軍中央幼年学校を経て、1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第51連隊付となる[1][4]

1922年(大正11年)8月、歩兵第51連隊機関銃隊長に就任[1]。以後、真言宗勧学院配属将校歩兵第45連隊大隊長、歩兵第16連隊付(新潟高等学校配属)、歩兵第16連隊留守隊長を務め、1937年(昭和12年)11月、歩兵大佐に昇進[1][3]1938年(昭和13年)7月、歩兵第51連隊長に発令され日中戦争に出征[1][2][3]1940年(昭和15年)8月、陸軍少将に昇進し第25歩兵団長(関東軍)に就任し林口に駐屯した[1][2][3]。以後、留守第56師団兵務部長、第86師団兵務部長を歴任し、1944年(昭和19年)7月、陸軍中将に進み留守第56師団長に就任[1][2][3]1945年(昭和20年)4月、予備役に編入された[1][2][3]

親族[編集]

伝記[編集]

  • 吉田良三・栗田廉平編『破帽 : 池田廉二先生追悼号』池田会、1968年。
  • 中島欣也『破帽と軍帽』恒文社、1987年。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本陸海軍総合事典』第2版、16頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』55頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』296頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』289、296頁。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。