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江崎権兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

江崎 権兵衛(本姓:江嵜[1]、權兵衞、えさき ごんべえ、1844年9月5日(弘化元年7月23日[2])- 1914年大正3年)3月21日[1][2][3])は、明治から大正初期の実業家政治家衆議院議員京都府紀伊郡伏見町長。幼名・源三郎[2]

経歴

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山城国紀伊郡伏見過書町[2]京都府[1]紀伊郡伏見町字過書[2]伏見市を経て現京都市[3]伏見区過書町)で、材木業・先代江崎権兵衛、モトの二男として生まれる[2]。兄・房丸が出家していたため、1968年(明治元年)父の死去に伴い家督を相続し権兵衛を襲名した[2]

家業の材木業を継承し[1][2]、さらに酒造業を起こして成功した[1][2]。その他、伏見倉庫社長、淀川汽船社長、伏見銀行頭取、伏見現米取引所代表、伏見米穀市場代表、伏見酒造監査役、京都商業会議所理事、伏見商業会議所頭取、京都府農工銀行取締役などを務めた[1][2][3]

1871年(明治4年3月)伏見第九番組副年寄に就任し[2]、1872年(明治5年)伏見第十一区副区長に任じられ1873年(明治6年)6月まで在任[2]。1879年(明治12年)3月、京都府会の開設に伴い同議員に選出され[2]、通算4期在任し[2]、1892年(明治25年)2月に退任した[2]。1889年(明治22年)4月、町村制の施行により伏見町会議員となり[1][2]、同年5月、初代伏見町長に就任した[1][2][3]

1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(京都府第3区、自由党)で当選[2][4]。同年8月、第6回総選挙(京都府第3区、憲政党)では次点で落選し[4]、衆議院議員に1期在任した[1][3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』99頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『京都府議会歴代議員録』528-530頁。
  3. ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』75頁。
  4. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』68頁。

参考文献

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  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 京都府議会事務局編『京都府議会歴代議員録』京都府議会、1961年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。