橘家蔵之助 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初代 橘家たちばなや 蔵之助くらのすけ
本名 木全きまた 由太郎よしたろう
生年月日 1880年3月5日
没年月日 1950年
出身地 日本の旗 日本愛知県
師匠 四代目橘家圓蔵
名跡 1.橘家〆蔵
(1905年 - ?)
2.橘家蔵之助
活動期間 1905年 - 1950年?
活動内容 古典落語
新作落語
配偶者 三友派
主な作品
衛生料理

初代橘家 蔵之助1880年3月5日 - 1950年頃?)は、愛知県出身の落語家。本名∶木全 由太郎

経歴[編集]

18歳で下駄屋に奉公をしていたがしくじり、天狗連に入って夢廼家浮世を名乗って東海道を7年ほど活動していた。

1905年四代目橘家圓蔵の門に入り〆蔵を名乗る。入門の前、酒屋に奉公でもしていたのか、楽屋では「酒屋」と呼ばれていたという。

明治40年代初めに蔵之助となる。1907年に京都に現れ1908年に下阪し互楽派に出たり、東京筆世界という新聞社で支局主任をしていた。後に三友派に加入した。

戦後は高座を勤める機会は少なかった。しかし、寄席の楽屋に顔を出し、元気な姿を見せていた。

芸風[編集]

観客の意表を付く八の字髭と、あまり他の落語家がやらない『壁金』で人気を得た。

余興の『滑稽浪花節』では馬鹿当たりし、それ以外ではあまり評価をされなかった。しかし、枕を振るのも巧く見事な出来栄えだったという。もう一つ評価されなかった理由に、名古屋訛りの東京落語が偏見をよんだようである。

新作落語も手掛け、『衛生料理』の作者。古典落語では『二人書生』『長頭まわし』『おはち』など演じ、SPレコードは『壁金』『滑稽浪花節』『天狗』など多くを残している。『百川』『意地競べ』『松山鏡』などは品と重みがあり立派であった。

芸歴[編集]

出典[編集]