森恭三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

森 恭三(もり きょうぞう、1907年9月24日 - 1984年2月15日)は、日本新聞記者朝日新聞所属。

来歴[編集]

兵庫県西宮市出身[1]。父は神戸市の外国商館に勤務し、兵庫県立第一神戸中学校(現・兵庫県立神戸高等学校)に進学したが、在学中に父を失う[2]1930年東京帝国大学法学部を卒業後、大阪朝日新聞社に入社[1]。東京帝大在学中には帝大セツルメントの法律相談部で活動した[2]。大阪朝日新聞への就職は母を養う必要からで、社会運動を継続する友人に対して罪悪感を抱いており、大阪経済部に配属後は夜勤料を運動にカンパしていたという[2]。しかし1934年に逮捕状が出た(親友の前田俊彦の妹と交友を持ち、この妹の逮捕による)際に、その執行を差し止めた部長の和田信夫から「人間には得手、不得手が亜ある。すべての人間が革命運動に走るのが正しいとはいえない」と諭されて新聞社に残った[2]

1937年、ニューヨーク支局員となる[3]1940年日独伊三国同盟が締結されると、アメリカとの戦争を不可避とみて妻を帰国させた[2]

日米開戦後、1942年に交換船で帰国[2]。その後の戦時中は海軍報道班員として東南アジアに駐在した[3]。戦後は労働組合委員長を務め、1952年にヨーロッパ総局長、1964年には論説主幹となる[1][3]。1967年に定年退職[1][3]

東京大学の社会情報研究所、新聞研究所の教育部非常勤講師を務めた。

著書[編集]

  • 『滞欧六年』朝日新聞社、1959年
  • 『ヨーロッパ通信』みすず書房<みすず・ぶっくす>、1959年
  • 『書生論的政治論』みすず書房、1961年
  • 『日本を考える』広済堂出版、1967年
  • 『記者遍路』朝日新聞社<朝日選書>、1974年
  • 『風速計』朝日新聞社、1977年
  • 『私の朝日新聞社史』田畑書店、1981年

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 森恭三 - コトバンク(20世紀日本人名事典)2021年7月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 宇佐美承 1981, pp. 179–182.
  3. ^ a b c d ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. “森恭三” (日本語). コトバンク. 2021年7月25日閲覧。

参考文献[編集]

  • 宇佐美承『さよなら日本 絵本作家八島太郎と光子の亡命』晶文社、1981年11月30日。ISBN 978-4794959379

関連項目[編集]

外部リンク[編集]