桂米若

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桂 米若(かつら よねじゃく)は、上方落語明治から大正にかけて「米若」の名はよく見られるが、一体、何人の米若がいたのか、詳細は不明である。尼崎米吉の米若を初代とするのが妥当。

先々代?[編集]

初代桂文團治の門人。あだ名を赤いもの米若という。

先代?[編集]

桂米團治(後の7代目桂文治)の門弟に桂米若の名がある。『落語系圖』には玩三の兄なりとある。

尼崎米吉の米若[編集]

桂 米若かつら よねじゃく
本名 尼崎 米吉
生年月日 1879年2月17日
没年月日 (1945-07-15) 1945年7月15日(66歳没)
出身地 日本の旗 日本
師匠 初代笑福亭福松
5代目林家正楽
初代三遊亭圓若
7代目桂文治
名跡 1. 初代桂福楽(? - 1904年)
2. 4代目林家正二(1904年 - 1905年)
3. 三遊亭若三郎(1905年 - 1908年)
4. 桂米若(1908年 - 1935年)
活動期間  ? - 1935年
活動内容 上方落語
所属 大八会

桂 米若1879年(明治12年)2月17日 - 1945年(昭和20年)7月15日)は、本名: 尼崎 米吉

最初は初代笑福亭福松の門で初代福楽という。1904年ころに5代目林家正楽の門で4代目林家正二1905年ころに初代三遊亭圓若の門で若三郎、1908年に7代目桂文治の門で米若を継いだ。

この米若は大八会の端席中心の活動が主で大正ころが一番活躍した時期だと思われる。そのころ何枚かSPレコードが残されている。

大八会は色物中心だったが生涯落語一本で活動した。

兵庫船」「帯の祝」「鳥屋坊主」などを得意とした。「無筆の親」「やまと炬燵」がSPレコード化されている。

1935年(昭和10年)頃糖尿病で足が不自由になり正座が出来なくなり引退し親戚の家で身を寄せていたが、1945年に心臓疾患で死去。(1945年7月に亡くなったために長らく大阪大空襲で死んだという説があった)

出典[編集]

  • 『落語系圖』(月亭春松編)
  • 『古今東西落語家事典』(諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編、平凡社ISBN 458212612X
  • 『ご存知 古今東西噺家紳士録』