月亭春松
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| 本名 | 植松 秀一郎 |
|---|---|
| 没年月日 | 不詳年 |
| 師匠 | 2代目月亭文都 7代目朝寝坊むらく 2代目桂文團治 |
| 名跡 | 1.月亭春松(1892年 - 1913年) 2.朝寝坊小夢(1913年 - 1914年) 3.5代目月亭文當(1914年 - ?) 4.月亭春松(不詳) |
| 活動期間 | 1892年 - ? |
| 所属 | 三友派 浪花落語反対派 花月派(後の吉本興業部) 吉本興業 |
| 備考 | |
| 『落語系圖』の編者 | |
月亭 春松(つきてい はるまつ、生没年不詳[1](明治初期ごろ生まれ、昭和初期没とされる))は、上方噺家。『落語系図』の編者として知られる。本名は植松 秀一郎[1]。
1892年1月15日、2代目月亭文都門下となり、春松を名乗る[1]。同年2月、初高座[1]。落語家になった当初は三友派に所属した。のちに上京し、役者として、1894年5月に中村雀右衛門の下で活動し、その後も市川八百蔵、中村福圓の下で活動する[1]。同年12月に帰阪すると、再び落語家として活動するも[1]、1898年、京都の大黒座の新派に「植松一郎」の名で加わる[1]。
同年、月亭文都の門に戻り、二代目桂文團治に預けられる[1]。この頃には花月派に出演していた[1]。のちに落語家は廃業し[1]、吉本興行部の事務員をしていた[1]。
1929年7月25日、『落語系図』を刊行した[1]。
『落語系図』について
[編集]1929年に出版された『落語系図』は、戦前の上方落語の資料としては、数少ない体系だった資料である。前半は江戸・上方落語の諸流系図を、後半は鳴物のきっかけ表、出番表、席亭・落語家の肖像などを掲載している。写真資料が豊富なのも特徴である。
ただし、維新前の記述内容は「なんとも心許ない」と評される[2]。3代目桂米朝は、著書『上方落語ノート』の中で、『落語系図』について、次のように述べている。
『落語系図』は貴重な本だが書き方が乱雑で、古い時代のことは今日の辞典のようなつもりで簡単に引用すると、とんでもない間違いを仕出かすことがある。誤りも少なくない。前後矛盾もあるし、要注意の資料であるが、しかし上方落語史において大事なものであることは間違いない。 — 3代目桂米朝、『上方落語ノート』、p.266