桂伸乃介

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かつら 伸乃介しんのすけ
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結三柏は、桂文治一門の定紋である。
本名 傳川つたがわ ひろし
生年月日 1953年5月16日
没年月日 (2020-01-01) 2020年1月1日(66歳没)
出身地 日本の旗 日本東京都渋谷区
死没地 日本の旗 日本東京都板橋区
師匠 10代目桂文治
名跡 1. 桂ひろ治(1972年 - 1976年)
2. 桂伸乃介(1976年 - 2020年)
出囃子 越後獅子前弾き
活動期間 1972年 - 2020年
所属 日本芸術協会→落語芸術協会

桂 伸乃介 (かつら しんのすけ、1953年5月16日 - 2020年1月1日[1])は、落語家落語芸術協会に所属していた。本名は傳川つたがわ ひろし東京都渋谷区出身。保谷市立青嵐中学校、東京都立小平高等学校を卒業。

出囃子は越後獅子前弾き。定紋は丸に蔦または結び柏。

来歴[編集]

ジャズピアニストの和田肇(淡谷のり子の最初の夫、和田浩治の父)が親戚筋にあたり、その影響で幼少期よりピアノを始める。高校2年の時に将来ピアノ弾きか芸人になりたいと2代目桂伸治(のちの10代目桂文治)に相談したところ、「それならうちで落語家になって二ツ目になれば、あとから何にだってなれる」と言われて入門を決意した[2]1970年(昭和45年)10月に2代目桂伸治に入門。

1972年(昭和47年)4月に前座となり、桂ひろ治と名乗る。1976年(昭和51年)4月に二つ目昇進、伸乃介に改名。

1986年(昭和61年)5月に真打に昇進した。

2019年(令和元年)12月14日、お江戸上野広小路亭で行われた定席興行(主任)が最後の高座となる。演目は「千早ふる」[3]

2020年(令和2年)1月1日1時10分 - 急性骨髄性白血病のため、東京都板橋区日本大学医学部附属板橋病院で死去[3][4]。66歳没。

人物[編集]

落語家によるディキシーバンド「にゅうおいらんず」のメンバーで、キーボードを担当。前節に記したように音楽を学んで育ったことから、他にもギター三味線クラリネットトランペットと多彩な楽器の演奏をこなした。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 【訃報】落語家の桂伸乃介さん死去”. 日テレNEWS24 (2020年1月3日). 2020年7月30日閲覧。
  2. ^ 『別冊 落語ファン倶楽部 東西全落語家一門名鑑』田村直規、白夜書房、2014年4月5日、102頁。ISBN 9784864940177
  3. ^ a b 訃報  桂 伸乃介 - 落語芸術協会 2020年1月3日
  4. ^ “落語家・桂伸乃介さん、急性骨髄性白血病で死去 66歳”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社. (2020年1月3日). https://www.sanspo.com/geino/news/20200103/geo20010314350013-n1.html 2020年1月3日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 落語芸術協会ホームページ
  • 東京かわら版(編)『東京かわら版増刊号 東西寄席演芸家名鑑』2015年、東京かわら版

外部リンク[編集]